姫の残した扉
「ねぇ、ディアナちゃん。この鍵って…」
シエルは籠から取り出した、箱に入った鍵をディアナに見せた。
所々違いはあるが、持ち手に複雑な模様が編みこまれている古びた色合いの鍵は似ていた。
ディアナの鍵の持ち手には三日月と小さな花が、シエルが母より譲り受けた鍵には小鳥が、それぞれ描かれている。その模様の違いと色合い、後は少しだけ小鳥の模様の鍵の方が大きい程度の違い。
何より、誰もが認める鈍感さを誇るシエルには分からなかったが、ディアナの鍵とシエルが持っている鍵からは似通った気配が感じられる。何なのかははっきりと言えない。だが、確かに二つの鍵は同じ意味を持つものだと分かる何かの気配が同じだった。
まぁ。
シエルから鍵を見せられたディアナは目を輝かせて、箱の中に横たわる鍵に手を伸ばした。
「姉さん!!」
ムウロが声を上げる。
鍵に触れることが出来るのは、シエルとグレル、ヘクスのみ。
何より、箱に触れれば、アルスがそうなったように黒い電撃が生まれるかも知れない。そうなれば、頑丈で大公級の再生力のあるアルスは怪我程度で済んだが、ディアナでは大変なことになり、レイが黙ってはいない。
しかし、ムウロの声は遅かった。
ディアナの手は、すでに鍵を持ち上げていた。
そう、持ち上げていたのだ。
「えっ?」
呆気に取られた声がムウロの口から出た。
「どうして…」
「どうした?」
疑問の声を上げるムウロに、レイが声をかけた。
ムウロは、箱と鍵に纏わる話を伝えた。
アルスが大怪我を負ったと聞いて顔色を変えたレイがディアナに目を向けるが、そこには目を輝かせて鍵を手にしているディアナの姿。異変は一切感じられない様子にレイはホッと息をついた。
「懐かしいわ。姫姉様の鍵ね。」
「そうなの?」
これにはシエルは驚いた。
ムウロやアイオロスに探して欲しいと頼まれた『魔女大公』の手掛かりを、すでに手に入れていたなんて。ましてや、それをもたらしたのは母とアルス。
知っていたのか?
そう、ムウロを見て尋ねれば、気づいてはいた、と返事が返って来た。
「姫の気配がするとは気づいていたけど、それが姫の箱庭に入る為のものっていうのは気づかなかったよ。」
父上も同じじゃないかな?
ムウロの言葉に、ディアナが頷いた。
「鍵と言っても、魔女によって形はそれぞれだもの。それに、魔女無しに箱庭に入る方法を知っているのなんて一部。魔女が心から信頼して鍵を預けることが出来る相手だけだもの。」
鍵の形状としては、宝石、指輪、耳飾りが多い。中には杖や鏡など、どう考えても持ち運びしにくいものや、本やタンスなどの変り種もいたのだとディアナは面白そうに、シエルに教えた。
鍵を持って、箱庭に入ると頭で考えれば目の前に箱庭に入る為の扉が現れる。
その扉を潜れるのは鍵を持ったものだけ。他に人を連れて行きたいのなら、魔女に許しを乞わねばならない。
扉もまた、魔女それぞれの形がある。ちゃんと扉が目の前に現れるもの、空中に鍵穴だけが現れるもの、木の洞や岩、魔女の自宅のドアなど一つの場所に設置してしまう魔女も居たという。
「私の扉は、ちゃんと扉が現れるの。姫姉様の場合は…」
そこでディアナは何かを思い出した。
そうだわ。
そう言ってディアナは、木々の奥深くへと目を向けた。
「ちょっと待っていて。あるものがあるの。」
シエルに鍵を返すと、パタパタと木々の間に入っていくディアナ。その背中が見えなっていく。
レイが心配そうに追いかけようとしたが、ムウロに止められた。
「何をする。」
「兄上こそ。姉さんの箱庭の中で、何が起こるっていうのさ。」
「あるものって、あれかしら?」
「あれ、でしょうね。」
ディアナが何を持ってこようとしているのか知っている様子のナナリーとニルに、シエルは近づいた。
「あれって何ですか?」
聞かれた二人は一瞬、躊躇いを見せた。が、どうあってもディアナが持ってきて説明してしまうだろうと意を決した。
「我が国の皇家で代々受け継がれているものなんだけど…。濃い血と力を受け継いだ皇家だけが触れることが出来るもので、それに触れることが出来たからディアナ様が認められたっていう話もある品物よ。」
それは何だか、シエルが持つ鍵の入っていた箱のような話だった。
限られた人間しか触れることの出来ない箱。それに似たものをディアナが持ってくるのなら、それは鍵に関係しているものなのかな。シエルは期待に胸を膨らませた。
そんなシエルの横では、ナナリーとニルが顔を向かい合わせて、ある相談をしていた。
「どうしよう?報告した方がいいわよね。」
「そう…だね…。うん。陛下に報告しないと…」
ディアナが持ってこようとしているものは、本来は神聖皇国の皇帝のもの。ディアナは様々な経緯があって自分の傍に置いているが、ディアナの弟達とはいえ魔族に見せようとしているのだ。報告しなくてはいけないよな、と二人は考えていた。
「血を継いだものだけが触れることが出来るものですか。うちにもあるね、似たようなものが。」
なし崩しに巻き込まれてしまい、大人しくしていようと考えていたヒースだったが、思わず頭に浮かんできた事が口から飛び出てしまった。
「本当!?」
その言葉を聞き逃さなかったのはシエル。
驚き、興味津々のシエルはヒースを見た。
「王家にありますね。祖である『聖騎士』の遺物だと言われているもので、王家と王家に近い血の者だけが触れることが出来るんですよね。」
まぁ、最近では触れる者はほとんど居ないが。
シエルには気づかれないように、国として絶対に隠さねばならない王家の秘密を心の中でヒースは嘲笑していた。
「お待たせ。その鍵って、これのものじゃないかしら。」
小走りで木々の間から出てきたディアナの手の中には、小さな小箱。
すかさず、レイがお持ちしますと手を伸ばすが、小箱の周りに現れた見えない壁によってレイの手は阻まれることになった。
「ふふふ。無理よ。勇者様と歴代の皇帝達の手によって護りは完璧だもの。無理に触れようとしたら手が弾き飛んでしまうわ。護りの術が無くても、姫姉様の血筋にしか触れないようにしてあるから、人間でも無理だけど。」
そう言うディアナは易々と箱を持ち、優しい手つきで撫でている。
「それで、ね。」
パカッ
ディアナはおもむろに箱の蓋を開けて、その中が皆に見えるようにした。
「えっ!?」
「蓋、開くんですか!?」
驚いたのは、箱を初めて見たシエル達だけでなく、幼い頃から見慣れているナナリー達もだった。
「開かないと、箱として使えないでしょ?」
何を言っているのと首を傾げるディアナに、脱力するのはシエル以外の全員。
「鍵の話だったので、その箱の蓋を開ける為の鍵かと思ったんです。」
ニルが自分たちが何故驚いたのか説明すれば、ディアナは納得したようだった。
「あら、そうだったの。…そうよね。私か、あの子しか触れないものだし。知らなくても仕方無いわね。」
ディアナが傾けて見やすいようにした箱の中には何も無かった。
あるのは真っ暗な闇と、その中心に浮かび上がっている鍵穴だった。
「結婚してすぐに、これが姫姉様の扉だというのは分かったの。だから、お願いして手許に置かせてもらったのよ。」
一度、箱の蓋を閉めたディアナは、蓋に描かれている「木の枝に止まる小鳥」の絵を示した。
「この鳥は、姫姉様が使っていた印のようなもの。だから、すぐに分かったわ。その鍵にも小鳥がいるでしょ?だから、多分この鍵穴に鍵を差し込めば、箱庭に入る事が出来ると思うの。」
「…扉…っていうの、これ?」
「姫姉様は、こうなのよ。タンスの引き出しの中とか、どう考えても誰も入っていけないような隙間の奥とか。変な場所に入り口を作っていたの。」
懐かしそうに笑う、ディアナ。同じように昔を思い出していたムウロの顔は引き攣っている。
「そういえば…そうだった。父上や色々な人が箱庭に篭った姫を追おうと変なところに頑張って入っていこうとしてたよ。」
壁と壁の隙間に入り込もうとしていたアルス。
他にも、ゴミ箱やら噴水の中など。
一度、兄である魔王に叱られたからは成りを潜めていたのだが…。
「だから、これはまだマトモなのよ。」
マトモな扉の設置場所である箱の中を再びシエルに見せる。
シエルはゆっくりと、手にしていた鍵を鍵穴に差し込んだ。
何が出てくるんだろう。
そんな期待を胸に、鍵を捻る。
カチン
音が聞こえた。
パンパッカ パ~ン
奇妙でリズミカルな音が全員の真上に響いた。




