姉と弟、そして鍵。
受け取って欲しい、とレイはシエルの手の中に丸い宝石を落とした。
「えっ‼」
シエルの手のひらに落ちた赤い宝石は、よく見ようと顔へ近づけている間にスーっとシエルの手のひらの中へと沈みこんでいった。
「これで、お前の行ける迷宮が増えることになる。」
「えっ、ええ?」
「私の許しを得ているという証明のようなものだ。害は無い。特に吸血鬼族相手ならば如何なる時も庇護が得られよう。」
迷宮内を見て回るのを好んでいると聞いた。ならば、これが役に立つだろうと思ったのだ。
そう満足気に笑うレイは、シエルを見る間にチラチラと、まるで褒めてといってるように、ディアナへと目を向けていた。
「我等の母、『夜麗大公』が支配する全ての迷宮を自由に出入り出来る。」
何処からどう報告があがっているのか。チラチラと視線を向けられ、納得出来ていないという表情のディアナの隣に歩み寄りながら、ムウロは眉を顰めていた。
今まで、監視されている感覚をムウロは感じることは無かった。だというのに、魔界にいた筈の兄がシエルの事をよく知っているかのように口にする。ディアナの件も知っていた。
レイが魅了して忠実な下僕としている何かが見ていたのか、何らかの術をレイが使っていたのか、それは分からないが、良い気はしない。
そんな干渉を受け続けていながらも、レイの事を可愛いと言ってのける姉に感心してしまった。
「ありがとうございます。」
二人の大公の迷宮を自由に歩き回れる。
迷宮に入る事さえ諦めていたシエルにとって、こんな短い間に願いが叶い、行動範囲が広がった事は、夢のような話だった。
満面な笑顔をレイに向け、シエルは素直にお礼を言う。
純粋そのものな反応を返されたレイが、ディアナ以外、家族以外の前で見せることなど無いに等しい笑みを口元に浮かべていた事に、唯一気づいたカフカは驚いた。
有り得ない光景を見てしまったとカフカはただ呆然としていた。
「姉さん、いい加減覚悟決めたら?」
ほんの少しだけ、突き放すようにムウロはディアナに言い放つ。
納得がいかない。
そんな顔をしてディアナは、シエルに向かい合って朗らかに話を進めているレイを見ていた。
そんなディアナにムウロが歩み寄った。
お互いの主張を引こうともしない姉兄の間に立って決着させなくてはと思うのは、弟だからだろう。他人だったら、さっさとシエルを連れて父の下あたりに逃げ込むだけだ。
「それとも、何か他に解除の方法かあるの?」
魅了を解く方法が何だったのかディアナは言わなかったが、それはレイには効いていない。ディアナが魔界から消える前に最中、そして今、まったく変わった様子の無いレイの姿に、ムウロは効果は全く無かったのだと確信している。
それはディアナだって分かっているはずだとその表情や気配を見ただけで感じるのもまた、幼少期を共に過ごした弟だからこそ。
「…無いわ。」
悔しそうな顔をするディアナ。
ディアナが聞いていた方法は、拒絶を告げて暫くの間会わないようにすること。そんな簡単な方法だった。それ以外に教えてもらってはいないし、他の魅了に対して効果があるという方法は、とうの昔に試し済みだった。何も効果は無い。それは、レイの言う通り、初めから掛かってはいないということだと、ディアナも分かっている。
それでも認めたくないのは、自分に対するレイの態度のせいで、妹がレイに反発を露にしているから。その反発から、二人の間で争いが起きているからだった。
「じゃあ、もう兄上はずっとあのままって事で受け入れてあげなよ。多分、姉上の事を気にしているんだと思うけど、あれはあれ。これはこれ。」
レイには双子の妹がいる。
ディアナには妹、ムウロとカフカには姉に当たる。
侯爵位を持つ女傑ではあったが、何をしてもレイには敵わず、『夜麗大公』の配下の中での評価はレイには及ばない。純血主義達に支持されたカフカにも劣るかも知れない。
それ故にか、あまり兄弟と馴れ合うような事を好まず、特にダンピールであるディアナの事を毛嫌いしている節があった。もちろん、ディアナを溺愛する母やレイの前では隠そうとはしていたようだが。
ディアナがレイのことを気に病むようになったのも、きっと裏では下の姉であるルージュが何かしたのだろうとムウロは思っている。そういう噂もあったのだ。ディアナが姿を消したのは、妹である『麗華侯爵』ルージュの仕向けたことだろうと。弟として信じないでおこうと思ってはいたが、本心では当たりだろうと思っていた。
気にするなとディアナに伝えても、その顔が完全に晴れることは無かった。
だからムウロは、もう一声、きっとディアナには効き目がある言葉を放つ。
「シエルの教育上に悪いから、あんまり兄上とシエルを関わらせたくないんだけど。」
それは確かに効き目があった。俯きかけていたディアナの顔がしっかりと上がり、見開いた目はムウロに注がれた。
「だから解決するかして、後は二人でどうにでもしてくれないかな。」
ムウロの言葉は完全に姉兄達を放り投げたもの。可愛い弟にそんな事を言われて衝撃を受けない姉はいない。ましてや、ディアナの大切な友人であるシエルに悪影響があるのだと言われれば、マゴマゴとしていたディアナも動かなくてはと思い始めた。
「そうね。そうよね。…それにしても…まるで、シエルちゃんの父親みたいな事を言うのね、ムウロったら。」
ディアナの顔に笑顔が戻る。
ムウロの言葉が面白くて仕方が無かったと声を上げた笑っていた。
「シエルちゃん。」
ディアナは意を決した表情で、シエルとレイに近づいていった。
そして、顔を向けたシエルの手にあるものを握りこませた。
「私からは、これをあげるわ。ありがとう、弟と会う切っ掛けをくれて。これからは、シエルちゃんの力で話をするだけじゃなくて、会ってお茶を飲みながらお話しましょう?」
シエルがディアナの手が離れた自分の手を開くと、それは一本の古びた鍵だった。
「鍵?」
なんだか見たことがあるような、そんな鍵にシエルは首を傾げた。
何処で見たっけ、そんな事を考えながら、これは何とディアナを見上げる。
「魔女が作った箱庭に出入りする為の鍵なの。それを持っていれば、私の箱庭に入ってくることが出来るの。シエルちゃんなら、好きにしてくれていいわ。」
ディアナは腕を広げて、心地の良い森の風景といった感じに造り上げた自分の箱庭を紹介する。
「本当なら、私の家に招待したいのだけど、さすがに息子に駄目だと叱られると思うから。」
ここで我慢して欲しい。
シエルはブンブンと首を振った。
「ううん。こんな素敵な所でディアナちゃんとお話出来るなんて嬉しい。」
「本当?ふふふ、嬉しいわ。」
「お菓子とか、美味しそうなのがあったら買っておくね。」
「まぁ、私も息子に頼んで人気があるものとかを用意しておくわね。」
「私も送らせて頂きます。」
キャッキャとはしゃぐシエルとディアナに、普通に声を交えるレイ。
「じゃあ、私が取りに行くね。」
レイの表情があまりにも憂いと希望に満ちたものだったせいか、シエルはレイが用意するというお菓子を取りに行くことをサラリッと約束した。
ディアナは「もう」と息をついたが、それでもレイに向かい「美味しいものをお願いね。」と、レイの申し出を受け入れる言葉を渡していた。
「えぇ、分かっております、姉上。姉上の為ならば、魔界全土より取り寄せましょう。」
「それって、僕がやるのかな?」
カフカは一抹の不安を覚えた。
「…取りに行くのは僕かな?」
ムウロは、シエルに行かせるなら僕が、と決意していた。
「あっ、そうだ。鍵あった。」
そうシエルが叫んだのは、ディアナに貰った鍵をしまおうと籠の中を覗き込んだ時だった。
蓋にしている布を捲って覗いた籠の中には、箱があった。
それは、母ヘクスとアルスによってシエルに預けられたもの。
中には鍵が入っている。
箱の蓋を少し開ければ、そこにはやっぱり、ディアナに貰った鍵によく似た鍵が横たわっていた。




