化物と呼ばれる存在
三日月を横に転がした形となり、アウディーレの目は笑っている。
だが、その目を浴びるようにして注がれているシエルにとっては、それは笑っているなんて思えないものだった。
怖い。
これまでも怖いという感情をアウディーレに対して覚えていた。だが、『勇者の欠片』を持つ者同士であるが為の親和性が、その恐怖を大きく和らげる効果を発揮してしまってもいた。
けれど今はもう、それだけでは逸らしきれない程にシエルは恐ろしいと、ただそれだけの印象しかアウディーレに感じられなくなっていた。
「美味しいお茶、美味しいお菓子。あぁなんだったら、国一番の素晴らしい役者達を集めて、貴女の好きな話を演じさせるわ。それとも、」
ぶんぶんと、首が引き千切れそうになるのではと心配になる程の勢いで、シエルが首を振って拒絶を表現しているというのに、それを真っ直ぐに見下ろしている筈のアウディーレはまるで見えていないかのように話を勝手に進めていく。
「『耳』は特段必要でも無いし、必要だとも思わないけれど、貴女自身にはとっても興味があるの。大切な御客様として格上の待遇を約束するわ。だから…『さぁ行きましょう』」
アウディーレはその『左目』が『勇者の欠片』である筈だ。
ムウロ達も、アウディーレ自身もそう言っている。
怖さとそれが相まって、シエルはずっとアウディーレの目を見ないように逸らしていた。怖いから。『勇者の欠片』の持っている力を警戒して。
だというのに、何故だろうか。
ついふらふらと。吸い寄せられてしまうような魅力が感じられ、首に縄を括られて連れ去られそうになる気分に陥る。『左目』を見てはいないのに。その『声』がシエルの『耳』に残って仕方無い。
彼女は永く生きたから色々出来るようになったと先程言った。
これもその一つなのだろうか。
それとも…。
「必要でないのなら、構わないでくれる?」
その不思議な力に驚き、うっかりと顔を上げて彼女のほのかに燐光が浮かび上がる目を直視してしまったシエル。
駄目、とシエル自身も声にはせずに叫んだものの、その時にはもうアウディーレ以外の何もかもを目に映すことが出来なくなっていた。どうしよう…。不安に陥ったシエルを引き摺り戻したのは、シエルの手をしっかりと繋ぎ締めていたムウロの手。
グイッとシエルの腕を引く事で強制的に視線をずらし、ムウロはシエルをアウディーレの『目』から解放することを成し遂げた。
「大願には必要なくとも、この子自身に興味があるの」
邪魔をするのではないわよ?
ムウロを坊やと、シエルの隣、アウディーレの目の前に立っているムウロは何処をどう見ても青年であるというのに、アウディーレの声には泣き喚く幼い子供を宥める時に出すそれのような音をありありと宿していた。
「どうしてかしらね?」
シエルに向かって、グイッと腰を折り曲げてシエルとの身長差を無くし、それだけでなく首を伸ばしてまで顔を近づけたアウディーレは、ひくひくと鼻を動かした。
その様子はまるで、ムウロやアルス、鼻の利く彼等が周囲の匂いを探っている時のようで、一瞬アウディーレは本当に人なのか、シエルはそんな疑問を浮かばせ、そして口にすることもなく打ち消した。
アウディーレは『勇者の欠片』持ちだ。闇を払い浄化する『欠片』を持っているのだから、人でない訳がない。
「この子から、『魔女』と『魔王』、そして『あの方』の匂いがするわ?」
不思議ね?
本当に不思議。
「僕達と行動を共にしていて、『耳』を持っているんだ。別に不思議なことじゃない」
言葉もないシエルの、手を繋ぐだけでは安心できずにアウディーレからもっと離すという意味も込めて、ムウロは肩に手を回して抱き寄せ、アウディーレの疑問を冷たく切り捨てた。
行動を共にしているムウロも、魔女の契約を結んでいるアルスも、そして交流を図ってきた数々の存在の多くも、『魔王』から力を授かった爵位持ちが多かった。
『勇者』に至っては、シエル自身が『欠片』をその身に宿しているのだから、言うまでもない。
永く生きすぎて考える頭を失ったの?
ムウロは冷たく、嘲るように吐き捨てる。
「本当にそれだけなのかしら?」
ふふふ。
凍えるように冷たい声音でムウロに自分の疑問を吐き捨てられようとアウディーレは気にも留めない。いや、ムウロの言葉など耳に入っていないかのように、アウディーレは怪しく笑みを深める。
「シエル・ホールソン。私と共にいらっしゃいな。招きに応じてくれるのなら、私がどんなものでも貴女に見せてあげるよ」
アウディーレはまた、シエルを誘う。シエルもまた、それに対してぶんぶんと必死に頭を横に振って拒否を示す。
「…何でもよ?何でも。そうね、例えば、貴女のお姉様に何があったのか、とか」
何があって、今何処にいて、何をしているのか。
全て見せてあげる。
アウディーレの『声』が、怪しい誘惑の色を甘い花の蜜の香りのように漂わせ、シエルの『耳』に染み込もうとする。
「全て、とは言えないけれど。あの皇太子には視えないことも、私は視ることが出来るわ。貴女のお姉様、ロゼさんみたいに力も存在も目立つ方なら特によく視えるのよ?」
素敵でしょう?
アウディーレの『目』、『声』、その一挙一動、全てにシエルの動きを縛り付ける力があった。
呑み込まれる。
そう表現するに値する、強すぎる引力がシエルを包み込んでいた。
「シエル」
自分の名前を呼びかけるムウロの声が耳に入ったのだが、それだけではアウディーレの力を弾くまでには至らない。ムウロもそれは分かっていたのだろう。シエルの返事を待つことなく、シエルの肩を抱いていた腕ではない、もう片方の腕を伸ばしてシエルの目を塞いだ。
そして、
「そろそろ自分の体に帰ったら?」
「相変わらずの化物ね。おぉ嫌だ」
「その話については、後でじっくりと聞かせて貰おう。首を洗って待っていて頂こうか、女王」
様々な音が目を塞がれたシエルの耳に響いたのだが、それらが大きく霞んでしまう程に、驚きと懐かしさ、嬉しさに舞い上がりそうになる声がシエルの耳に飛び込んできた。
「えっ?む、ムウさん。この声って!!」
シエルが音を、人の声を聞き間違える筈がない。
それだけの自信と確信をシエルは自分の『耳』、『勇者の耳』にもっている。
そんなシエルの『耳』に飛び込んできたのは、意味を理解するまでには及ばないまでもムウロの声と、知らないが耳に心地よい低音の女性の声、そして此処には居る筈のない一番上の兄、シリウスの声だった。
「お兄ちゃん!?」
ペシペシとムウロでなくとも、ただの人であっても痛くも痒くも感じられない力で、シエルは自分の目を塞ぐムウロの手を叩き、自分の視界を解放するよう求めた。少しだけムウロから戸惑うような気配を感じ取ったシエルだったが、ゆっくりとムウロの手が目の前から離れていき、真っ暗だった視界に光が映りこみ、そして確かに兄シリウスの制服ではない私服なのであろう姿と、先程までは居なかった薄紅色の髪の女性の姿を写し取った。
「どうして此処に居るの!?えっそれに、アウディーレ…さんは?」
先程まで居なかったシリウスと女性。
その逆に、確かに目を塞がれる直前まで目の前に存在していたアウディーレの姿が何処にも見当たらなかった。




