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『耳』と『目』

「あぁ嫌だ。その姿といい、その在り方といい、その耳、化物というのはまさに貴方のことでしょうに」

「黙れ。妄執に囚われた女怪が。貴様に否定される謂れなどない」

蔑みの眼差しを注ぐアウディーレ、睨み返すクリーオ。

ムウロもシエルも、そんな二人に口を挟むことは出来ない。


「僕達もあの耳や尻尾のことは、姉上が怒り狂って帰ってきてから知ったんだ。本当のところで何があったのか、とかは分からないんだよ。でも、あれが確かにカズイ、二人の長男のものだっていうことは見たら分かることだったからね」


「じゃあ、何があったのか本当に知っているのは、ビアンカさんとクリーオさんだけって事?」


ビシギシ

空気が軋む音が響く。

切り裂く刃のように研ぎ澄まされていく空気がシエルの肌を痛めつけようとしたが、それをムウロは眉一つ、指一本動かすことなく力を奮い、彼等二人と自分達の間に見えない壁を作り出し、それらの空気を完全に防いでみせる。

そのおかげで、シエルは痛みも恐れも抱くことなく、平然とした様子でムウロとの話を続けることが出来ていた。


「そういうこと。あっ、でも。別にクリーオが息子を殺した、とかそういう話では無いっていうことは分かっているんだよ?」

「?」

シエルは首を傾げる。

ムウロが焦ったように付け加えた説明は、魔族の中では当たり前のこと、人間の中でもそう少なくない数で起こっていることだった。親が子を、子が親を。事情も状況も様々あれど、絶対に起こったりなどしない、と言い切れない悲劇。

そういった事に無縁な生活を小さな村で送ってきたシエルには理解し得ないことだったが、ムウロはそれが簡単に起こり得ていることだと知っている。だからこその、焦りを含んだ付け加えだったのだが、シエルのきょとんとしている表情にほっと安堵の息を小さく吐き出した。

「元々、そろそろ寿命だっていう話だったんだ。だから、あれはカズイが死んだ後に、という話になってはいるんだけど…多分ね」

「寿命?」

ビアンカとクリーオの子供、という事にシエルが想像していたのは、兄達くらいの、ムウロともそう変わらないであろう若い青年の姿だった。その為、ムウロの口にした"寿命"という言葉に「ん?」と大きく瞬きをして、不思議そうな顔になる。

「カズイが生まれたのは大戦前。爵位もなく、二人の子供にしてはあまり強い力を持っていなかったし、病弱でもあったからね。本人も仕方無いと納得していたよ、最期に会った時には」

ビアンカはムウロの姉。その子であるカズイは当たり前のことだが、ムウロにとっては甥ということになる。

その彼のことについて語る時、ムウロの顔に寂しげな色がありありと浮かび上がるのは、どうしようもなく仕方無いことだろう。




父様ととさまは何も悪くないのだけどね。




「えっ?」


それは空耳だったのか。

睨み合うクリーオとアウディーレの様子を見守り、寂しげな表情を浮かばせたムウロを見上げていたシエルの耳に、そんな小さく朧な声が飛び込んで来た、ような気がした。薄い壁、いや靄かも知れない、そんな障害物の向こう側から放たれているような、本当に聞こえたものなのか存在した声なのか、考えれば考えるだけ不安に陥ってしまうような声。

驚いたシエルがきょろきょろと周囲を見回すが、そこにその声を発したと思われる人影など一切なく。勿論、『勇者の耳』をシエルは持っているのだから、それが何処か遠くでの誰かの声で、偶然にもそれを拾い取ってしまったという可能性もある。だが、シエルはそうではないと、すぐさま考えた。これまでに『耳』をもって繋がりを得た人々との会話、それらの経験とは一致するところのない、つかみどころのない聞こえ方をその声はしたのだ。それだけは、シエルは確信を持って言い切れた。


「どうしたの、シエル?」


きょろきょろと周囲を見回しているシエルの様子に気づいたムウロが、どうしたのか聞いてくる。そこにはもう、寂しげな色はとっくに無く、シエルと同じ様にきょろきょろと周囲を見回し、そこには何も無いと確認するとシエルに視線を戻してきた。そういった行動をとるということは、ムウロにはあの声が聞こえていなかったということなのか。

「ムウさん、男の人の声が聞こえなかった?」

「声?いや、僕には聞こえなかったよ?」

「"父様ととさまは何も悪くないのだけどね"って言う声が聞こえたんだけど…」


「それは本当か!?」


ムウロは聞いていないと首を傾げて答えてくれた。

シエルの問い掛けに答えてくれる声が放たれたのは、シエルが思ってもいない所からだった。


「声を聞いたのか?いや、だが…」


戸惑うような声を出し、シエルを凝視しているのは、それまでアウディーレを睨みつけていた筈のクリーオだった。


「まぁ何を聞いたのかしら、興味があるわ」


クスクスと笑って、アウディーレも好奇心の光を湛えさせて細めた目を、シエルへと注いでいた。

「『勇者』の『耳』。あの方の悔しさから生まれた『耳』で、貴女は今、何を聞いたのかしら?」

アウディーレの強い興味がシエルへと向けられ、ムウロは何が起こっても対処出来るようにと、シエルの手をとり、しっかりと握り締めた。

「悔しいから生まれたの?」

アウディーレに対する怖さはまだ、感じている。

だが、ムウロの手の温かみによってそれも小さなものに成りを潜め、そうなればアウディーレの言葉への疑問が大きなものに膨れ上がる。

「そうよ?」

自分の話にシエルが興味を持ったからなのだろうか。

アウディーレはそれまでも見せていた笑顔とは一線を画す、ぱぁと華やかで本心からの喜び、嬉しさをありありと出した笑顔を放った。

「あいつが聞こえている音が俺に聞こえないなんて可笑しい。そう言って生まれたのが、その『耳』の力。強欲な方だった。欲しいと思ったものは何でも手に入れないと気が済まない。そういう方」

懐かしみ、親しみを込めて、アウディーレは表情を綻ばせている。

アウディーレの語るそれが本当なのかどうか。

その当時を知っているムウロに真偽を確認しようと、隣に立つムウロの顔をシエルは見上げたのだが、ムウロはゆっくりと視線をシエルとは真逆の方向に逸らしていった。

「ムウさん?」

「そこの坊やには嫌な思い出でしょうね。ふふふ。初めて会った時に飼い犬にされるところだったのだもの」

真っ赤な首輪をつけられそうになって。

怯える姿は可愛かったわね、とアウディーレは笑う。そんな彼女をムウロは睨みつけるが、クリーオの怒りに溢れた睨みでさえも気にも留めていなかったアウディーレは、ムウロのそれにも平然と笑い続ける。


「彼女が制して、事なきを得たのよね。…あの方がその強欲を抑えるなんて滅多に見るものではなかったから、あの時は本当に驚いたわ」


右手には真っ赤な皮の首輪。

左手には首根っこを鷲掴みにされて揺れ動き、きゃいんきゃいんと悲痛な叫びをあげて暴れている小さな灰銀色の狼の姿。


パッとすぐ目の前の光景を見ているかのような映像が、シエルの頭の中に浮かび上がった。

そして、その場面はすぐに切り替わり。


ぐすぐすと鼻を鳴らして縮こまっている仔狼を胸に抱いたいる女性を、その女性の前にして両手を空へと掲げ降参の意を示している男性の姿。


手を伸ばせば触れることが出来るのではない。そう思わせる映像だったが、二つの場面をシエルに見せると、何事も無かったかのように消えていった。


「やだなぁ。年よりはすぐに、無駄に昔のことを話したがる」

突然消えた映像に驚きの声をあげたシエルの隣で、苛立ちを隠さない声でムウロが吐き捨ていた。

「便利でしょう?永く生きているからかしらね、もっと色々と面白いことが出来るのよ?」

だが、アウディーレはそんなムウロの非難の声も何処吹く風。ただシエルだけを見て、シエルだけに話しかける。

「どうかしら。私の家で、ゆっくりとお茶でも飲みながら、色々とお話をしない?」

ムウロの存在を完全に無視して、アウディーレはシエルに誘いをかけた。

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