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持ち人の匂い

ぐしゃり

狙いを定め剣を構え飛び掛かってきた人間の頭を、鋭く巨大な爪が三本という人の頭よりも巨大な手がつかみ、そして完熟した果物をそうするように握り潰す。

何の感慨も、躊躇も無く行われたそれは、物言わぬ物体と成り果てた人の体をぶんっと放り投げ、近くで蠢いていた黒く、弱弱しい存在感しか放てない魔物達の中へと捨て去った。

「うぉ」

丁度、力無き肉の塊が捨てられた近くには背中に蝙蝠のような大きな羽根を持つ男が立っていた。その男も男で、それが投げ捨てたものと同じ格好をした人間と剣を交じわし応戦していたのだが、無造作に投げ飛ばされてきたものに驚き慌てる声を上げながら、自分の相手を切り捨て飛び退って逃げた。

「クリーオ!あぶねぇだろ!!」

自分の戦いに水を差されたのだ。男が剣から滴る赤い血を拭いながら、文句の一つも言いたくなる、と実際に声を荒げるのも仕方無い。


魔物、魔族という名で一纏めにされている、闇の神の意思によって生み出された存在達。

人と同じ姿形をした者もあれば、異形と人が言う姿の者も居る。言葉を持ち知能が高い者も居れば、言葉を持たずとも知能が高い者、言葉を得ても知能は人よりも劣る者も。そんな中でも最底辺に位置する、言葉もなく、効率などという糧を得る為に地上で生きる魔力も持たない生物達さえも持ち合わせている頭も持たない、まるで家の壁に染み付いた汚れのような黒くて汚らしい、ただそれだけの存在というものが魔界には存在している。ただ蠢き、何でも取り込んで糧とする。少しでも知能を持っている存在達から嫌われ、目に端へと映りこんだだけで排除される。地上に暮らす平凡な人間にさえ、振り払うような動作で排除されてしまう。種族という名前さえも与えられていないそんな魔物達が、普通に生きている時であるならば手を伸ばすことも出来ない、力ある騎士達の骸を我先にと貪り始める。


そんな光景を自分達が起こしたというのに、この場にしっかりと立っている二人は興味の一切も、そちらに向けることはない。文句を言い続けようとしている翼を持つ男の視線からも、蠢く魔物達にも、あっさりと背中を向けたそれはクンクンと鼻を鳴らし、頭の上に生えた三角の耳をピクピクと動かし、そして目を輝かせた。


「あぁ、彼女の匂いだ!」


深く深く、周囲に存在している空気全てを惜しむようにして鼻から吸い込んでみせたそれ、まず魔界に暮らす多くの魔族達が醜悪と判じる姿を持った男が、感動と恍惚に満ちた、悲鳴にも近い歓喜の声を上げる。


「は?」

「あぁ、戻ってきてくれたんだね、ビアンカ!!!」


醜悪な形をした男-伯爵位を持ち『狂情』の名を冠しているクリーオは、傍に居た蝙蝠の翼を持つ友たる男の怪訝にする声も全く無視して、興奮に鼻息を荒く、その目は段々と血走る様子を見せ始めていた。


「いや、それは絶対にねぇよ。嫁さんが出てって、何百年経ってると思ってんだよ。まさか、思い余って幻覚まで見始めたとか言わねぇよな?」

止めてくれよ、と不安と心配の声を投げかけてくる友人。

だが、残念なことに今のクリーオにそんな姿はほんの少しも映りこみはしなかった。

「ビアンカ。ビアンカ。ビアンカ。ビアンカ・・・、あぁ四百と五十九年、百五十八日ぶりの彼女の匂いだ。・・・知らない匂い?」

クンッ。

愛しい妻の名前を呼びながら、僅かに香ってくる彼女の匂いを堪能していたクリーオ。

会いたくとも会えない。

会ってもらえない。

クリーオが行ったあることが逆鱗となり、愛しい妻は夫であるクリーオも愛する子供達も置き去りにして、家を飛び出してしまったのだ。

それからというもの、義父や義兄、義弟達には会うことが出来るのに、どんなに会いに行っても、会いたくて彼女の向かう先々に先回りしてみても、魔界でも有数の呪術士に頼んで想いを伝えて貰っても、どんな努力をしても、ただ無駄に終わり、妻に再会することは叶わなかった。

彼女に会えない日々を毎日、毎日数えていた。


そんな彼の姿に、数少ない友人達や知人達は「まさに『狂情』の名にふさわしい」と称し、クリーオが嫌がるのも構わずに、「父親似だな」とため息をつく。


「バック。この匂いは誰だろう?」


「いや、知るかよ」 


愛しい妻の香りを堪能していたというのに、そこに紛れ混んでいる異物の匂い。

悪い匂いではない。

愛しい妻ほどでは無いが、魅力のある匂いだ。だが、知らない匂い。

そこで完全に無視を通していた友人の存在を思い出したクリーオは、どれだけ考えても思い出せない、謎を解くことの出来ない匂いの答えを知っていないか、と問うた。

だが、返ってきたのは素っ気無くクリーオの問いかけを切り捨てるものだった。

「ひどい」

「うるせぇよ。そもそも、俺にはそんな匂い感じられない!魔狼とか、そんなのでもない俺に何を期待してんだよ!」

地上において、王族に仕えている騎士である、と名乗っても可笑しくない風貌。ただ異質なのは、その背中から身長よりも大きく生えている蝙蝠のような羽根の存在だけ。まず見ただけで、鼻の利く魔狼族などの種族とは大きく違うことが分かる男-バックは、自分の返答へ不満を漏らした友人クリーオに怒鳴りつけた。

「っていうか。一体、何処に、嫁さんが居るって?」

バックはまだ、信じてはいなかった。

クリーオが自分よりも何十倍も鼻が利くということは理解してはいる。だが、それとこれとは、今は話が違うのだ。長年の友人である。クリーオの妻ビアンカの事も、まだ幸せな家族を築いていた頃も知っている。だからこそ、ビアンカのクリーオに対する怒りが解けることが無いと分かっている。

そんなビアンカが、クリーオの迷宮に自分から足を踏み入れるなんて、ありえないと断言できた。


「最下層に…。あれ?この匂いはムウロ君かな?じゃあ、こっちは?」


バックに言われ、クリーオはより一層鼻を動かし、そして迷宮の中全体へと意識を傾けた。

クンクンと鼻を利かせれば、それまで興味があった只一人ビアンカの匂いしか感じ取れなかったというのに、妻よりも会うことが出来ている義弟ムウロの匂いがあった。

その匂いに気づけば、少しだけ心に余裕を持ち、落ち着くことが出来た。

そうして落ち着いてみれば、もう一つある知らない匂いについても、心穏やかな状態で考えることが出来た。

ムウロの友人、ビアンカの友人、そう考えれば焦らずに対処出来そうだった。


「ムウロ様?あぁ、なら、あれじゃないかな?」


クリーオの口から漏れでたムウロの名を、バックは聞き逃さなかった。

「何?」

あれじゃないのか、とクリーオが鼻にしているという、ビアンカでもムウロでもない匂いというものの持ち主を予想し、それをクリーオに指摘する。

その指摘はクリーオが知っていると思ってのもので、知らない人にとっては意味が分からない、通じ合えないものだった。

「あれ?知らねぇの?この前の爵位持ちの集まりで…」

「出てない。あの時は、ビアンカが久しぶりに出掛ける日だったからな」

バックが説明を重ねようとしたところで、クリーオは肩を竦めてみせた。

爵位持ちが魔界の中心、魔王の城であった場所に集まるという出来事に対し、クリーオの言葉はあまりにもあっさり、悪びれることのないものだった。

「何してんだよ、お前、は!」

基本、爵位持ちは絶対に参加することとされているというのに。

しかも、クリーオが口にした理由が理由になってない。

何してんだよ、と頭を抱えるバックは爵位は持っていない。その話は、爵位を持つ人に聞いただけの、不確かなものだった。

「はぁぁぁっ。『銀砕大公』の魔女で、お届け物係っていう仕事を任されている。そんな女の子の面倒を見て挙げてるのが、ムウロ様なんだって話」

深いため息を一つ。

その後に自分が聞き齧った話をクリーオに教えてやった。


「届け物?………つまり、俺にビアンカを届けに来てくれたって事か?」


ならば大歓迎だ!

クリーオの目がキラキラと輝いた。

そして、


「待っていて、ビアンカ!今、行くよ!」


ビアンカの居る最下層に向かい、すぐさまに向かおうとした。

だが、その腕をバックががっしりと掴み、絶対に放すものかと強い意志と力を込めて、クリーオを引き留めてみせた。

「お前!まさか、この状況で行くなんて、本気じゃないだろうな!お前が消えたら、どうやって此処を守れっうんだ!?」

クリーオとバック、二人が居るのは『崇敬の迷宮』の第三階層。

其処には今、拮抗線があった。

迷宮を消し去ろうという統率の取られた人間の軍隊、『狂情伯爵』が率いる迷宮の住人達。その争いに終わりはまだこない。


この迷宮を消し去ろうという押し寄せてきている人間達は多分、全ての迷宮がこれまで晒されてきた危険や危機のどれよりも、厄介で鬱陶しく、強力なものだろう。

なんたって迷宮の入り口が口を開いている地上には、あの国があるのだ。


魔族にして女怪と評する人間の女が治める、国が。


最大戦力であるクリーオが抜けるなど、考えたくもない。

バックは何としても手は離すまい、と全力を尽くした。

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