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ちょっと前

「あっ、そうだ。おい、シュラー。ちょっと、こっち来い」

良い事思いついた、と伏せていた頭を持ち上げた巨大な銀狼姿の父親に、シュラーは嫌な予感しか感じなかった。


シュラーが生まれるよりも遥か昔の思い出が詰まったものを周囲に並べた部屋に巨体を寝そべり、死んでいるのかと勘違いしそうになる程に動く気配が無かった父、アルス。

出掛けるとしても、意識の一欠けらを人形に宿して向かわせ、本体の周囲で何か少しでも異変が起これば対応出来るように備えていた。

シュラーからすれば、兄姉達や優しい義母達の昔語りでしか知らない、『魔王』に『魔女大公』『勇者』といった存在がそれほどまでにアルスにとって大切だったのかと、あまり頭が良いとは言えないシュラーにも十分に理解させる姿だった。


アルスが数多存在する子の中でも、我が子と名を呼び認識している兄姉達。シュラーは別に兄姉達のように優秀だとか、そういった理由でアルスに認められている訳ではない。兄姉達の言うところの、すっかりとアルスが柔らかく丸くなった頃合に生まれ、まるで誰かを思い出させる放っておけない行動などが偶々目に留まったが為に認識されているに過ぎない。そんな駄目な子程…なシュラーや時には自分の妻達にまで、アルスは身動きを最小限に懐かしい思い出に浸り、語ったりなどしていた。それが最近の常の姿だったというのに、突然声を発したと思えば、たまたま顔を覗かせたシュラーを呼んだ。

嫌な予感しかしない。

これが他の兄弟達の誰かなら、全力でもって何処か遠くへと逃げていたかも知れない。勿論、後々の事を考えたアルスの話を聞くくらいはしたかも知れないが、きっとその姿は完全に逃げる体勢を取っていてだろう。

だが、シュラーはそんな事はしない。

大人しく返事をして、父の言うがままに近くへと寄る。

シュラーは自分の力量というものを過信したりはしない。

例え面白半分、手加減に手加減を重ねたとしても、大公である父から逃げることなど不可能であると分かっている。


羊人族の村の門番を任されていたシュラー。

のんべんだらり。甘やかしてくれる優しい義母達や、優しいビアンカから離れるのは大いに悲しいことではあったが、自分を想ってくれていることは分かっても厳しい、厳しすぎることも多々ある兄達から離れ、自由気儘にごろごろと日々を過ごせるのは楽しかった。

だが、予想外に突然、村を訪れた兄ムウロによってそれは露見し。

その報告を受けて、村へと現れたのは一番シュラーに厳しく、怠惰を許してはくれなかった存在。

性根を叩き直すと、シュラーなどよりも役に立つと言う代理を門番に沿え置かれ、シュラーは一度生まれ育った『銀砕大公』の城へと連れ戻されたのだ。

義母達に姉の取り成しが無ければ、今頃シュラーは一室に監禁されて仕置きを受け続けていたことだろう。

兄から押し付けられた勉強や修練を除けば、少しくらいならば休む時間をもらえている。だが、それは本当に僅かなもので。後は忙しいにも関わらず兄達が監視の目を向けて、シュラーがしっかりとしているか、だらけていないかを確認してくるのだ。


父に呼ばれ、嫌な予感はある。

だが、それに託けて兄の言いつけを反故に出来るかも、などとシュラーは思ってしまった。

シュラーらしいと、兄姉、義母達は呆れながらも笑うことだろう。


「なになに?何でっすか?」


「うん。お前ちょっと、シエルの代わりに大量に溜まった荷物、届けてこい」


軽い考えで呼ぶ父に近づき、要件を聞こうとしたシュラー。

その父の口から放たれた要件に、シュラーは凍りつくことになった。


「えっ?えぇ!?シエルってあの子だよね?ムウロ兄ちゃんと一緒に…父上の魔女の…届け物係の…」


えぇ!!!!

と叫んだシュラーの声は城中に響き渡ったという。



「何事ですか!!!」


その叫びを聞きつけ、駆けつけたのはシュラーが何よりも苦手とする兄パスティス。

その後には、フランテやグルデンなど、この部屋に入る事を許されている兄達も続いていた。

アルスが篭る部屋から聞こえた、シュラーの叫び声。

何事か、と飛び込んでくるなりパスティスはシュラーの頭を鷲掴みにした。

「痛い、痛いよ、兄ちゃん。今回は、今回だけは俺なんにも悪くない!あれは誰だって驚くんだから!!」

図体に似合わない甘ったれた声でシュラーは訴える。

パスティスはそれを不審に思いながらも、ちらりとシュラーが震える指先でさす父親を見た。


「だってなぁ、最近シエル、忙しそうだし~。まぁそれは?『お届け物係』なんて、あいつが遊びまわれるようにする口実みたいなもんだからいいんだよ。だけどなぁ、噂を聞きつけて俺の所だけじゃなくて、あっちやこっちからも届けてくれってのが殺到しちまってんだよ。邪魔だろ?」


シエルが楽しそうに、あっちにこっちに、時折覗いてみると視える楽しそうな姿や驚く表情なんかに癒されるものがあった。

だが、あちらこちらから届けられる『届け物』の溜まり具合は笑えないものとなっていた。

元々は口実。

人の子供であるシエルが出来る範囲での『届け物係』だった。だというのに、その噂は噂を呼び、多くの爵位持ちの興味までも引いてしまい、今や『届け物係』に頼みたい、一目会ってみたいとアルスへ直に話をしてくるものまでいる状況だった。


「ってことで、お前暇だろ?シエルみたいな、しっかりとなれるかも知れないし?」


よくよく考えれば後付だと分かるその言葉に、パスティスが大きく反応を示した。

「…シュラーがしっかりと成長してくれる、良い機会かも知れませんね…」

「えぇ!やだよ!俺、知ってるんだからね!『死人大公』とか『毒喰大公』とか、あそこらへんの迷宮に届けて欲しいとか、そんなのもあったって!!」

「それこそ、ムウロ兄上が可愛いシエルちゃんを行かせる訳無さそうな場所じゃん。行ってきなよ、シュラー」

「うん。良い話だよ」

誰も、シュラーを庇ってはくれなかった。

むしろ、うんうんと頷きながら背中を押す。


「ね、姉ちゃん、姉ちゃん!助けてぇ!!」


再び、シュラーは叫んだ。

兄達は味方にはなってくれない。きっと、優しい姉ならば庇ってくれるだろう、と。

「あれ?ビアンカ姉ちゃんは?」

だが、シュラーの一つ目の叫びを聞いて駆けつけてきてくれたのは、兄達だけ。姉の姿は無かったことを、シュラーはうっかりと見逃していた。

いつもなら優しく頭を撫でて慰めてくれる姉の姿がないことに、今気づいたのだ。


「……ビアンカ姉ちゃんと話をするまで、絶対にその話は受けないから!」


ビアンカの姿が無いことを何とか受け入れたシュラーは、それを利用してアルスからの話を延期にしようという苦肉の策にでる。アルスが命令したのなら、そんな事が出来るわけがない。だが、先程の言い方はまだ命令ではなかった、というのがシュラーの言い分だった。

だが、そのはっきりとした声とは相反して、シュラーは全身を震えさせ、その表情は怯える子供そのものを模っていた。


「まぁ、今すぐって訳じゃないからな。俺が帰るまでに、覚悟を決めておけ」


のっそりと、久方ぶりに起き上がったアルスが呆れる溜息を漏らした。その言い方では決まったも同然ではあるが、僅かな猶予期間は与えられたらしい。

シュラーはほんの少しだけ、安堵に胸を撫で下ろした。どうせ、やらねばならないということになるのだが、シュラーの頭の中では一時回避出来た喜びで一杯。兄達はそんな馬鹿な末の弟に、生暖かな視線を注いだのだった。


「ん?父上、帰るまでって、何処かお出掛けですか?」


『魔女大公』の遺した物を奪われるかも知れない。

そう聞いた時から片時も動かなかったというのに、パスティス達は驚きを露に人型へと変じた父を見た。

「あぁ、少しな。あれに呼ばれたなら、行かない訳にはいかねぇだろ。此処のことはお前達に任せる。何をもっても、護れ」

「承りました」

兄弟達が向けていた視線を、鋭い眼光によって押し返された。

あれ、とは誰なのか。

色々と聞きたいことがありはしたが、それよりも父の殺気さえも混じる命令に深く頷き、しっかりと成し遂げてみせると誓うことの方が重大だった。


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