歌姫と拾い子と、果実。
『百薬』という場所に広がっている森に生える木々。そこに年中途絶えることなく生っている果実には、それを食したモノが強く望む願いを叶える、不思議な力があった。
どんな医者も匙を投げてしまった病を癒したい。屈強な肉体が欲しい。今以上の力が欲しい。
たった一つの願いを必ず叶えてくれる果実。
その伝説を耳にした者は皆、そこが何処にあるのかを一度は探そうとする。
誰だって、身を損なうような、気が狂うような努力をしなくても不可能が可能となるのなら、嘘か本当かも定かではない伝説に縋ろうとするものだ。
『百薬』に辿りついて果実を手に入れた、という話も少なからずともあるのだ。もしも、本当に手に入れ願いを叶えた、という話を一つも聞くことが無かったなら、自然と探すことを諦め、話を忘れるだろう。
だが、『百薬』に関しては、少しでも追い縋って探すのなら、実際の体験談が必ず耳に入ってくるのだ。
なんたって、ちゃんと『百薬の迷宮』として現実に存在しているのだから。
その果実は、『百薬の迷宮』の第二階層、今シエル達が立っているフルンプロスの森に生っている。
そう、あの奇妙な木に果実のように生っている、瓶や楽器、本などこそが"何でも願いを叶える果実"なのだ。
第一階層に待ち構えている魅了の罠に惑わされることなく、第二階層へと降りることが出来た者だけが、その果実を手に入れることが出来る。
細々と広く伝わり続ける伝説、それによれば果実を一つ食べれば願いが叶うとされているのだが、実際は少し違う。その願いにあった果実を食べる必要がある。音楽の才能が欲しいのならば、楽器の形をした実を。知識が欲しいのなら、本の形をした果実を。シエルが目にしていないだけで、あの森の中にはそれらの形以外にも様々な形をした果実の生る木が存在していた。その中には、力を表すもの、魔術を表すものもあった。
第二階層にまで辿り着ける冒険者の中には、それを迷宮の外へと持ち出して、自身の願いを叶えるのではなく、それに大金を支払う者に渡して稼ぐものもいる。
迷宮の事を他言にしてしまえば、もう二度と迷宮へと入ることが出来なくなる。
『百薬の迷宮』にはそんな禁則事項が存在していて、その為に『百薬の迷宮』の場所を知り出入りしている者は頑として口を割ろうとはしない。だが、うっかりと漏らしてしまった者から在り処を知り、また別の冒険者へと果実の採取を依頼する、などの抜け道は少なくない数が編み出されている。欲求を追及する者の前には、道が切り開かれるものなのだ。
「ざぁざぁ。クォータ。ごれ食って、まどもな体になれ!」
メリッサへ、いや歌姫へとファンが献上したその果実は、ダクセの目から見ても本物だと分かった。それから漏れ出る魔力はダクセが知る『百薬の迷宮』のものと同じだった。
そのファンが本当に自分で採りに行ったのか、それとも人を使って採りに行かせたのか、それは分からないし、どうでもいいことだ。ただ、もしも自分で迷宮へ入り採取してきたのなら、それをメリッサに対して明かしてことで、その人物は二度と『百薬の迷宮』に入ることは出来ないであろうなという事だけは頭によぎった。
ふるふる
必死に頭を横に振ってクォータは拒否を示す。
だが、メリッサはそれを許そうとはしない。
指先に摘んだ丸い果実を、なんとしてもクォータに食べさせようとする。
その気持ちは分かる。
愛しい小鳥はなんと優しく、可愛いのか。困惑を露にするクォータ、という仮面の下でダクセは、うっとりと自分に迫るメリッサに頬を赤く染めて見惚れていた。だが、ダクセの本心としても、その果実は必要ないと拒絶する。
"願いが叶う果実"
話を耳にしただけでは魅力的なそれには、その存在を知る者の中でもほんの一部だけが知る、秘密がある。
ダクセはそれを、知る側だった。
「我侭をいうでねぇ!!!おめぇは元気になりだくねぇのか!?」
元気にはなりたい。
弱い体はダクセにとっては望むものではあるが、あまりにも脆弱な体では何も出来ない。せめて普通の状態にまで体が整えば、体を鍛えることも出来るのに、とは思う。
だが、その為に果実を使おうとは一切思わない。
自分の肉体を痛めつけるだけ痛めつけて手に入れた力こそを、ダクセは最良のものだと信じている。もちろん、爵位と共に得た魔王の力も否定する気はない。それもまた、ダクセが戦い抜いたからこそ手に入れたものだからさ。だが、果実に願って得る力は自分の力では無い、と思う。
何より、ある程度の時間が経ってしまえば消える力を一時だけ得て、何が楽しいのか、嬉しいものか。
果実で叶えた願いは、長くは持ちはしない、儚い夢のようなものだ。
果実を食することで願いが叶うその仕組みとは、『箱夢侯爵』が所有している魔王の力で簡単に説明出来る。
淫魔の王である彼の下には多くの淫魔と夢魔達が集っている。それらが誘惑した人々から吸い取ってきた精気や欲望を『箱夢侯爵』に献上するのだが、彼はそれに魔王の力を利用し、果実とする。
侯爵位ともなれば、所有する魔王の力は大きい。
欲望と結びついた魔王の力は、願いを叶える、叶ったように見せる力を食した者に与えてくれた。
だが、それはその果実一つに含まれていた力が消えてしまうまで。力が尽きた瞬間に願いの効果は消え、それによって得ていた全てを失ってしまうことになるのだ。
叶った願いが突然、夢から目を覚ますように、無かったことになってしまう。
そうなると、どうなるか。
一度見てしまった、願いが叶った状況にまた夢を見る。そして、また果実を食べれば、あの夢が見れる。多くの者達はそう思うものだった。そして、もう一度迷宮に潜り、精気を吸われながらも突き進んで、果実を得る。夢に囚われてしまった人は、何度も何度も、死ぬまでそれを繰り返すようになった。
さて、愛しい小鳥にどう説明したものか。
クォータがそれを知っているのは可笑しいし、傍で見守っているヘンゼルは知らぬ様子。
どうしようか、とダクセが考えていた時、救いの手は訪れた。
「お止めなさい、メリッサ」
「バーバラ?んだば、クォータはひょろ過ぎだで」
騒がしい楽屋の様子を見に来たバーバラが、呆れるような表情をありありと浮かべて、制止の声をあげたのだ。
不服な顔をバーバラに向けたメリッサに、ホッと息を吐いたクォータ。
「それを食べたとしても、その子は健康にはなれないわよ?」
「あんの野郎が、嘘づいだっでごとか?」
「嘘ではないわね。浅い知識しか無かったというだけで、ね」
それ以上、バーバラは説明することは無かったが、その表情に偽りは無いだろうと悟ったメリッサは、クォータへ迫っていた姿勢を整え手元を見た。
「もぉ、私の迷宮に変なものを持ち込まないで欲しいものだわ」
効果がないのか、と手元の果実をメリッサが見ていると、バーバラがスルスルと近づき、それを簡単に取り上げてしまった。メリッサが驚く暇も、抵抗する暇もなく、赤い果実はバーバラの指先に。だが、その指先に留まったのも一瞬のことで、赤く丸い果実はバーバラによって握り潰されてしまうことになった。
「他力本願に魅了。あまり好ましいとは言えないわね」
控えめな言葉を口にしたバーバラだったが、その表情はそれを裏切り、酷く冷たく顰められていた。




