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監視の目

イリア・アルゲートには気をつけておいでなさい。


それはたった一言。

皇后から、皇太子に向けた、細やかな忠告だった。


その名前、母の面白がる様を目にしたなら、その忠告がどういったものなのか深く考えずとも理解出来る。皇太子ブライアンは何も言わず、その目に力を集めるだけ。

名のある貴族達に官吏、そして自身の傍近くに置く部下達に関わるような者。

ブライアンはその殆どに対して、印をつけてあった。何かあれば、すぐにその視界を自分へと回せるように。些細な事態も見逃さないように、と。

それは長年の友人でもある部下達を含めた、ブライアンが『目』を持っていることを知る者達は皆、理解を持って知っていることだった。


信頼する近衛騎士であり、気心の知れた親友でもあるシリウスの養父母にだって、ブライアンは印をつけてあった。皇太子の身を守る騎士に手を回そうと、まず家族から近づくのは常套手段だ。シリウスとアルゲート家の関係性を見れば、利用しようとしても、人質にとったとしても、無駄の一言に尽きるしかないのだろうが、そんな事も知ることのない輩達ならば安易な考えでアルゲート家に近づくだろう。あの家にあってシリウスが動くかも知れない弟妹、グレルとロゼについては危惧はない上に、印をつけようにも敏い彼等はつけさせてくれなかった。すでに、何度も試し済みなのだ。


イリア・アルゲート。

あの貴族に生まれ育ち、そして嫁いだ見本のような女性が何をしようというのか。


ブライアンはその『目』でイリア・アルゲートの目を奪った。

ボオッと霞む視界に僅かに目眩を覚えた。それは、あまり良い状態ではないということを示す傾向。ただ、母の忠告があってからの覗き見故に、ある程度の覚悟が出来ていたブライアンは目を通して覚えた不調を払いのけ、イリア・アルゲートが見ている周囲の光景に目を走らせた。


「……殿下?」


まったく…。そんな声がブライアンの口から漏れた。そして、大きなため息も。

僅かに笑っていた口許が引き結ばれ、一瞬にして改まったブライアンの気配に、騎士だけでなく文官達までもが気を引き締めることになった。


「イリア・アルゲートは罪を犯そうとしている」


捕らえますか?

『目』の使用を止めて、焦点を周囲に侍る部下達へと戻したブライアンの言葉に、彼等は戸惑いも驚きも、疑問さえも見せず、身構えてみせる。文官達は貴族を捕縛する際に必要な手続き、書類、関係各所への通達などの準備を始めようとする。

シリウス、お前は一応関係者扱いになるから待機な。

騎士達はアルゲート家へと向かおうと準備を始め、籍を外したとはいえ確かな血の関係のあるシリウスの肩を叩き押し留めたり。あとはブライアンの一声、という段階まで瞬時に準備は整っていく。


「いや。悪魔を召喚した程度では、大した罪には問えないからな。一番は、悪魔に願いを叶えさせた後、だが」


魔術師がそう珍しくはない帝国の、その中心である帝都において、召喚が行われることは少なくはない。勿論、あまりにも危険な存在を召喚したり、召喚した存在を利用して悪事を働いたのならば、逃れ得ない罰に服することになる。

が、ブライアンが覗き見た時点ではまだ、悪魔を召喚し、願いと引き換えに契約を交わしただけだ。それでは、貴族を確かな罪に問い、連行するまでには至らない。


「イリア・アルゲートは何を望んだのですか?」


ディクス家への報復か、裏切った三人の子供達への仕置きか。全員がそんなところだろうと頭に過らせる。当事者になるシリウスも、どの程度かは知らぬが悪魔を倒せば、と自分に悪魔が差し向けられると信じて疑わなかった。


「ヘクス殿とシエルを、惨たらしく殺すこと」


はっ?

肉体と共に精神も、皇太子の騎士として恥ずかしくないようにと鍛え上げている彼等が、珍しくも一瞬とはいえ隙を作った。

ブライアンが鼻で笑いながら告げた、イリア・アルゲートと悪魔の契約の内容には、それだけの驚くべきものがあった。

どうして、ヘクスとシエルが出てくるのだろうか。

彼等には分からない。三人を新たに迎えたディクス家の当主であるモノグならば分かる。アルゲートを捨てる判断をしたシリウス、グレル、ロゼならば。それを後押しする形となった皇帝。あとは、ロゼの婚約を承認したグリーフェル公爵でも、彼等は納得出来る。

だというのに、どうして。そこに何の関わりもない、公としては長い間会っていないことになっている実母と妹?


「…願いを叶えさせる訳にはいきませんね」


良識ある文官が頭を抱えている。

騎士達もそれに呼応して、渋い表情で頷く。

あの空気を和ませる母子を犠牲にしようなんて、任務を何よりも是としなければならない騎士としては有り得ない考えなのは分かった上で、思う事など出来ない。ましてや、大切な同僚で友人の、大切な家族だ。そして何より、ヘクスとシエルに何かがあった場合の、シリウス達兄妹の怒り狂った末の騒動と被害は計り知れない。友人の幼い頃の思い出に聞いた村人達の実力、前歴などを鑑みれば、そちらもまた帝都に恐ろしい結果をもたらすだろう。


さて、どうしようか。


貴族の貴婦人を連行するというのに、罪が無いなど許されない。しかも、それが些細なものであったなら、色々とブライアンの悪評も立つことだろう。




《…という訳なんだ》

すまない、と謝りながらシリウスがしてくれた説明。

どうしようかと悩んだ末に、イリア・アルゲートに対して監視を張り巡らせ、何か大きく事が動くまで待つ事に決定したらしい。


その決定にはブライアンによる、ある、シリウスも承諾せざる得ない説得力に溢れた言葉があった。

-シエルを先に狙うにしろ、ヘクス殿を先に狙うにしろ、あの二人を本当に害せるような悪魔が存在するわけが無いし、そもそも私達も及びつかない予想外の行動で、事態を動かしてくれる気がしてならない。

幼い頃、母の周囲で起こっていた呆気に取られる事態などを思い返せば、シリウスも否定仕切れなかったのだ。

国などより、仕事よりも、何よりも家族を重視しているグレルだったなら、それでも許せるわけがないと、ありとあらゆる手を用いて悪魔を殺し、イリア・アルゲートを追い込んでいただろう。だが、シリウスは家族と同じ程に大切な、忠誠を誓った主が居る。その主の言葉でもあり、確信出来るだけの無事を想像出来たことで、シリウスは傍観することを自身に定めた。


その事を悔いているわけではない。だが、母と妹を案じていなかったことも一時も無かったのだ、と。

シリウスは何度も、シエルへ謝る。

《だ、大丈夫だったんだから。もう、そんなに謝んないでよ、お兄ちゃん。》

ブライアンの面白がっていただけのような予想も、しっかりと的中した。

悪魔はシエルとヘクスに一筋も傷をつけることも出来ず、何もしない内に全面降伏したのだ。


「なら、シエルが悪魔に襲われたって事にして。その悪魔は捕まえたという事で帝都に送る、というところかな?」


「はい、喜んで!」


契約を結んだ張本人は、シリウスの「悪魔を帝都へ」という言葉に尻尾を振らんばかりに喜びを露にした。ムウロの傍に居るよりかは、帝都の騎士達の尋問に大人しく従っている方がマシ、なのだから。




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