落とし穴は好きですか?
これまで、村の近くに開いていた『銀砕の迷宮』の入り口は、崖の中ほどにぽっかりと開いた洞穴だった。その為、迷宮の第三階層までは土や岩に囲まれた洞窟が広がっていた。しかし、それより下の階層は突然草原が広がっていたり、森があったり、砂漠になっている階層もあると、シエルは冒険者たちから面白可笑しく聞かされていた。まるで外に出てしまったんじゃないかと思う程、果ての見えない空間になっていて、初めて足を踏み入れることになる冒険者を驚かせるのだそうだ。
子狼姿のムウロとイルを連れ、街を出発したシエル。
広がった迷宮に対する警戒は続いているらしく、盗賊も地上に住む魔物にも遭遇することなく『銀砕の迷宮』に辿り着いた。新しい入り口となったのは、薄暗い木々が生い茂る森にぽっかりと開いた木々のトンネル。そうと見ないと分からない、多分、何も知らない街の住人が森に薪や木の実を採取しようと間違って入ってしまうこともあるかも知れない。シエルは街に出る際、入り口を見てそんな事を思っていた。
「これって、立て札でもして置いた方がいいんじゃないの?」
何気なく言うシエル。
シエルには感じることが出来なかったが、普通の生物ならば近づこうとも思わない魔力の流れと僅かではあるが瘴気が流れ出ている。立て札があろうと無かろうと、シエルが心配しているような事態にはならないだろう。
「そうだね。村に立てたみたいのを作っておくよ。父上のカッコ良さを前面に出して、如何にも大魔族ってやつを。」
シエルの思ってもみなかった言葉を、ムウロは面白がった。村の立て札の言葉を見たアルスに叱られたことなど、すでに頭の端に押しやっていた。何時も無理難題や仕事を押し付けられるのだ、これくらいの憂さ晴らしは可愛らしいものだ。たかだか、アルスが知己たちにからかわれるだけの事なのだから。
迷宮の第一階層は、入り口からも分かる通りに鬱蒼と木々が茂る森が広がる空間。
ジメジメして薄暗く、怪しいキノコや木の実が成っている。シエルが普段聞いていたような鳥の鳴き声はなく、奇天烈な声を上げる鳥が空を飛び、遠くからは獰猛そうな生き物の遠吠えが聞こえてくる。
「なかなか、エルフの好きそうな階層だね。」
「私達が好むのは、秩序のある美しい森です。」
倒れた大木を跨いだり、潜ったり、魔物が出てこない限りただの森と同じようなものだといえる。けれど、その過程が本などを読んで思い描いた冒険っぽくて、楽しくて仕方がないシエル。
ご機嫌に、ニコニコと笑いながら歩いていた。イルとムウロは、そんなシエルは挟み込むように立ち、シエルの様子を微笑ましく思いながら歩いていた。
二人は出発前、宿で朝食を取っている時にエミルに忠告されていた。
シエルから目を放すと大変な目にあう。油断すると苦労するわよ?と。
勘のいい二人は、誘拐された際のシエルと、それを探していたフォルスとエミルの様子から、何となくそれを理解した。
そういう子供と今まで会ったことが無い訳でもなく。ムウロは兄弟の中にも騒ぎを起こす奴いるなぁと脳裏に兄弟達そして父親を思い浮かべ、イルも人の子供の話だからとそこまで大変なことだとは考えなかった。
けれど、それは安易な考えだったと二人は理解した。
どうして、あんなにも分かりやすい魔力放つ毒草の中に足を踏み入れるのだろう?
どうして、ただ歩いていただけで転げて、地中に住む魔物の巣に落ちるのだろうか?
これだけでは無い、シエルが起こしたハプニングに二人は少しだけ疲れ果てていた。
魔女に与えられた加護によって、怪我をしない事も、したとしてもすぐに治る事も、しっかりと確認する事が出来た。そして、アルスがそんな加護を与えた理由もしっかりと理解出来た。
もう、第一階層の中程にまで進んだ今では、呆れるのも怒りのも通り越して、イルもムウロも凄いなと感心してしまっていた。
特に、落とし穴に引っかかる事、引っかかる事。
ここに来るまでに、9回。
小さな落とし穴から、全身が嵌まってしまう大きな落とし穴まで。
どうして、そんなに嵌まるのか?普通に歩いていただけだよね?と疑問を覚える程、シエルは落とし穴に落ちていた。
そして、今もまた腰くらいまでの高さになっている落とし穴に、シエルの体が吸い込まれていった。
「なんで、出来たばっかりなのに落とし穴が出来てるんですか!?」
いい加減にイライラしてきたシエル。今までは、落とし穴も冒険っぽいと喜んでいたのだが、流石に10回目という大台に乗ってしまうと楽しめなくなったのだろう。
「うぅん・・・・多分、近くにいるんだと思うよ?」
狼の手で頭を掻くムウロ。そんな風に人間みたいに動くくらいなら人の姿になればいいのに。イルとシエルで森に入った後に言ったのだが、ムウロは小さな狼の姿のままでいた。
ムウロには、第一階層に落とし穴が量産されている理由が分かっていた。危険だったり、シエルが進む先になかったりとイルとムウロが誘導して幾つかの落とし穴は、来た道のりに残されている。シエルが引っかかる事が無かった数多くの落とし穴。これほどまでも落とし穴が、シエルの言う通り出来たばかりの迷宮の第一階層にあるのは可笑しなことではあるが、『銀砕大公』の迷宮では要因がはっきりしている。
ムウロが聞かれるまで言わなかったのは、その要因の名前を出すのが嫌だったからだ。
「いる?誰がです?」
ムウロの予想通り、シエルはムウロの言葉に興味を示した。
まぁ危害は無い相手だからいいか。そう考えたムウロは素直に教えることにした。名前を言うことで近くにいる奴が姿を見せても仕方がないと諦めて。
「僕の、一番上の兄。」
「あぁ、ケイブ殿下ですか。」
「そう、それ。」
ムウロの言う人物を知っていたのか、イルが溜息とともに納得していた。
「お兄さん?」
シエルが思い浮かべたのはアルスの顔。ムウロの兄ならば、アルスの息子だからだ。
「色々問題のある兄でね。実力もあって本気を出せば侯爵位くらい簡単に取れる筈なのに、ブラブラと迷宮の中で遊んでいる人なんだ。」
「凄い人なんだね。」
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魔界の爵位は、魔王が与えたものである。
力ある魔族たちに大公・公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵・騎士候と授けられ、その席数はそれぞれ決められ増えることも減ることもない。人魔大戦後は、魔界の中で爵位を奪い合う争いが常に起こっている。実力ある者は次々と爵位を奪っていく。その名が大戦の時から変わることのない爵位は、ただ大公のみである。
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籠の中の本を捲り、チラリッと魔界の爵位についての記述を見る。
なろうと思えば侯爵になれるというムウロの兄。少しだけ興味が沸いた。
「凄い人・・・。うん、確かに凄い人だよ。落とし穴に命をかけている人だから。」
「い、命?」
子供の遊びのような落とし穴に命をかけるって、そんな訳は…。シエルは思ったが、ムウロのあまりにも真剣な表情と、イルが苦笑を浮かべながら頷いている姿を見て、その言葉に偽りがないことを知った。
「本当に命をかけているんだよ。迷宮内に落とし穴を作りまくるって言って、候爵位も得られる力を封印して地上に出るんだから。ヘタをすれば人にも魔族にも殺されるかも知れないのに。
それに、大戦前だったけど、すでにいい年してたのに作っちゃいけない所に作って、落としちゃいけない人を落として、陛下や父上に殺されかけたってくらいだからね。それでも懲りずに落とし穴を作ってるから、父上も呆れ顔だよ。」
あの時は大変だったと思い返すムウロ。
落とされた本人がケイブの事を匿い、魔王とアルスを説得しなければ、確実に命は無かっただろう。それ程までに、特にアルスの怒りようが酷かった。
恐怖で震えていたくせに、その後にもまた落とし穴を作りまくっている、正真正銘の馬鹿だと魔界でも有名な男なのだ、長兄は。
「多分、すぐにこっちに来るよ。僕等の種族は耳が良いから。」
シエルは、周囲の木々を見回した。
そして、ムウロの言葉通り、遠くの方から木々がざわめく音が近づいてきた。




