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宿泊

居ない筈の人間が泊れる場所は皇宮内には存在しない。

隊舎の中に仮眠室もあるにはあるのだが、今回の事情を知らされているのは皇太子、そして皇帝の近衛程度。他に3人、許しを得て近衛を持っている皇族がいる為、近衛の隊舎にシエルとヘクスを泊めれば、自ずと主である皇族へと話が伝わることになるだろう。


シリウスが暮らす家が使えれば喜んで連れ帰ることも出来ただろうが、生憎とそこは彼等の家族を気取るアルゲート家の目がある場所。そんな所にヘクスを連れて行くなど、考えさえ思い浮かばない。


「うちなんて、どう?」などと言う軽い発言が友人から飛び出しはしたものの、貴族の家などという難苦しい場所ではゆっくりも出来ないだろうと、その発言をした者以外から満場一致の却下を喰らっていた。

なんやかんやと話し合われた結果、二人が安心して、ゆっくりと宿泊出来る場所をとして案内されたのが、帝都の中に点在している隠れ家だった。

擬態する為にと、外装、内装共に帝都では普通に部類する造りになっている家には、皇帝直属の情報部隊が一般の家庭を装いながら生活をこなしている。ブライアンの協力の下、人の目を一切気にすることなく皇宮を出たシエルとヘクス、そしてシリウスは、何事もなく無事に辿り着き、連絡を受けていた住人役によって迎え入れられたのだった。


「久しぶりに、母さんの料理が食べたいな。」

駄目かな?


優しげな風貌の老女に「好きに使って頂戴な」と家の中を案内されていたシエルは、恐ろしい言葉が居間から聞こえてくるのを耳にしてしまった。

家の中を案内されていたのはシエルだけ、ヘクスとシリウスは居間でのんびりと話をしていたのだ。

これは、色々と話があるんじゃないかなという気遣いを発揮したシエルの差し金。

だが、漏れ聞こえてきたシリウスの言葉で、止めておけば良かった、と後悔していた。

ヘクスは一通りの家事は完璧にこなせる。

ただし、料理以外は、と誰もが口を閉ざしながら前書きを置く。

甘いはずの料理が辛い、辛いはずの料理が酸っぱい、間違えて毒を含む材料が入っていた、など。

毎回では無いものの、頻繁にうっかりとしてしまう。特に、張り切っている時に限って、その成果は激しい。それがヘクスの料理だった。見た目は普通、いや、むしろ美味しそうに見える。そのせいで、口に入れるまで一か八かを選択するスリルを味わうこととなる。

もっぱら、ジークが料理を担当しているのだが、時折ジークが留守にすることのあった幼い頃には、何度か大変な目にあっていた。


久方ぶりに会った息子に強請られての料理。

母が張り切るのは目に見えている。


シエルは一度深呼吸をすると、覚悟を決めた。

その様子に、老女が不思議そうな顔をしていたが、シエルは気にも留めない。

目を瞑って口に運びさえすれば、味の違和感は大丈夫だ、多分。毒とか、へんな食材については、この家に用意されているものを使うのだから安心出来る、筈だ。


本音を言えば、止めて欲しいし、帝都の料理というものも食べてみたいという気持ちもある。

だが、母や兄の事を思えば、シエルはそれを自分の我侭でしかないと考えたのだった。自分が我慢すればいいんだし…。よし、と拳を握り気合を入れるシエル。

居間では、シリウスの願いを受けたヘクスが、台所へと向かおうとしていた。



結果をいえば、笑顔の溢れた夕食となった。

無表情には変わりないものの機嫌が良さそうな、ヘクス。

本心からの笑顔を浮かべて、パクパクと食事が進む、シリウス。

何品も並ぶ皿の中から、比較的大丈夫なものを選び口に運ぶ、シエル。

老女を始めとした、家族として家に住む者達も食事に加わったが、笑みを凍りつかせながら、なんとか口に運んでいた。


大半の料理はシリウスと、ある意味慣れているシエルによって片付けられた。空となった皿を片付ける為に席を外したヘクスの背を見送ったシエルは、隣に座る兄に尊敬の眼差しを向けた。

「お兄ちゃん、凄いね。」

「慣れているからな。それに、食べることが出来た嬉しさもあって、食は進む。」

大抵はジークの作った料理を食べていたシエルと違い、シリウスやロゼ、グレルは母の料理だけを食べて育った。

あの頃はうんざりすることもあったが、母と離されて以降はそれが懐かしくて溜まらずになることも多い。ヘクスの作る、突拍子もない料理の味が、シリウスにとっては大切な思い出の味だった。

「お前も、その内分かるようになるさ。」

いまいち理解出来ていない様子のシエルの頭を撫で、シリウスは笑う。

母と離れることになったからこそ、味わった思い。

シエルが味わうことになるのは遠い未来のことになるだろう。いや、そうでない事態など許せるわけもないのだから、そうなると断言する。


それから、二人は色々な話をした。

気を利かせたのか、途中からヘクスも加わった家族3人だけが家の中に残され、話は盛り上がった。

「朝市やってるの?」

村のことなど、色々な話をした後は、帝都の話になった。

「あぁ。商業地区の方でやっているよ。食材から、簡単な食事、小物なども売っているらしい。母さんが住んでいたという家に向かう途中に丁度通るから、見れるんじゃないかな?」

シリウスの手には、一枚の紙。

友人達から、3人でゆっくり観光でもすれば、と帝都の見所などを書いた紙を渡されていたのだ。

シリウスが隠し持って、さりげなく確認出来るように。多分、サクサクと案内する姿を見せればいいという、そんな思いがあったのだと思う、手の平サイズの小さな紙には小さく細やかな字が所狭しに綴られている。

そんな友人達の配慮など何処吹く風と、シリウスは堂々と紙をシエルに見せ、何処か見たい所はあるかと聞いたのだった。

「行きたい!お父さん達へのお土産も買っていいかな?」

ねぇ、お母さん。

「そうね。村では見ないものを買っていけば、喜ぶのじゃないかしら?」

「村では見ないもの、か。案内人に聞いた方が、面白いものが手に入るだろうな。」

実の所、シリウスは帝都の、平民の多い地区の事はさほど詳しくはない。

帝都に連れて来られた当初は、弟妹を守る為にもと勉学に励み、アルゲート夫妻が文句一つ言えないようにと注意に注意を重ねて行動していた。

学園に入り、そして王太子の学友という立場になった後は、彼等と行動することが常となって、その付き合いでしか帝都内を動くこともなかった。

大まかには理解し、体験もしてはいるものの、細かい諸事情や立地、民でさえ足を踏み入れることの滅多にない場所などの事は把握出来ていなかった。

その点ならば、ロゼやグレルの方が詳しく知っているだろう。

そんなロゼが案内させると言うのだ、明日の朝迎えに来るという案内人は、帝都の事を隅から隅まで詳しいのだろう。


「どんな人なのかな?」


シエルも何となく、その人がロゼの恋人なのだと察していた。

内緒よと言われているから口にはしない。だが、好奇心は抑え切れなかった。




「お兄ちゃん!その人が今日案内してくれるっていう人?」


朝ご飯は朝市にあるものを食べる。

先手を打ってヘクスに宣言したシエルによって、ホッと安堵の表情を浮かべた老女が、居間で案内の為に来るという人を待つシエルとヘクスにお茶を用意してくれた。

何時もなら朝食を取ろうとする時間。

空腹を覚えたお腹をお茶で紛らわせていたシエルは、玄関から聞こえてくる知らない声と兄の声に、嬉々とした表情で駆けていった。


そして目にしたのは、兄の隣に立って玄関の中に居る、シリウスよりも年上の男性。

朝だというのに疲れた様子のその男性は、ヘクスとそう変わらない年齢に見えた。ヘクスが、年よりもうんと下に見える外見をしている為、その判断は正確ではないとは分かっているのだが…。

この人がお姉ちゃんの恋人?

そう疑問に思ってしまう。年の差のある夫婦も村に居る。可笑しくは無いだろうが、何か違和感を感じたシエル。シエルは、その違和感が男性の年齢によるものだとばかり、この時は思っていた。


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