第14話 バトル(1/3)
夜の硬いコンクリートに僕の両足が沈み込むように接地した。
落下による衝撃は速度と体重が生み出す衝突のエネルギーに よる。ただし、もう一つ重要な要素がある。それは衝撃がどれくらいの“時間”をかけて人体に跳ね返るかだ。トランポリンに飛び降りてダメージがないのは衝撃が時間で分解されるからだし、足をぴんと伸ばして落ちれば、一段の階段でも痛い。
ここまでは真っ当な物理学。真っ当じゃないのはそれを実現した手段だ。カンジキのように足元に広がったアウトソールがゆっくり元の形にもどっていくのを見る。ランニングシューズの、本来数十センチの落下を軽減する効果のジェルが、ニューロトリオンによる物理現象の操作で、十メートルの落下に耐えうる時間的分解能を作り出す。
実現したのは、ルルが財団の工場をハッキングして作った素材による靴の中敷きだ。余談だが、座り仕事が多い人間は椅子に、立ち仕事や移動が多い人間は靴に金を掛けろというのが、叔父の口癖だった。実際、従妹殿の勉強机にも十五万円の椅子がついていた。
物理操作という万能スキルは当然の代償として、極めて狭い範囲にしか及ばない。三万円のランニングシューズと言えども所詮は市販品。だが、その2つを組み合わせることで必要な能力を獲得することが可能だ。
こう言った工夫こそがTRPGの醍醐味だ。
コンクリートに埋まるような感触が元に戻るのを確認して空を見る。
安全重量を越えた荷物を運ばされたドローンがローターからバチバチ火花を飛ばしながら公園に落ちていく。この施設の監視外から、感知速度を越えたスピードで侵入という第一段階は成功だ。
Xomeの屋上を見渡す。周囲を巡回している飛行型無人機は俺に気が付いた様子はない。屋上のコンクリート越しに、内部のDP反応を【ソナー】で検知する。やはり守りを固められている。建物を巡回しているDPドローンの光点は、前回の侵入時の倍。コグニトームを通じた事前偵察から、ノーマルの数はそれ以上に増えているのが分かっている。
機械の防衛隊の中心に居るのが三階の監視ルームの一際強力で大きなDPだ。八須長司、今回の作戦で俺たちが決めた呼称は蜘蛛。
そしてそれ以上に強力なDP光が一つ地下に存在する。傭兵と名付けた二体目のモデル。古城舞奈を奪った軍団所属のモデルだ。たった一人の侵入者相手に大人げない、というのはあくまでこちらの視点だ。
向こうにとって予定される侵入者は極めてステルス性の高い厄介な存在。
蜘蛛が情報を統合できる監視室で施設全体を警戒し、傭兵は一番大事な実験サンプルを地下で守る。自分達よりも強い教団の襲撃に備えている体制は合理的だ。まさか、こっちがたった一人で乗り込んでくるなんて思ってもいないとわかる。向こうの立場からしたら襲撃者が単独だと知れば逆に恐怖するかもしれない。
……まあ俺だってこんな無謀なことをする羽目になるなんて予想してなかったし、恐怖してるけどな。
TRPGの戦闘で相手よりも強力な戦力や状況なんてあるわけないか。左腕のベルトに装着した頼りない武器を確認して、俺は行動を開始する。
目的地は屋上に突き出たダクトだ。四本のダクトの内二番目の前に着く。手で触れるとこのダクトだけ明らかに温度が低いのが分かる。
ダクトのメンテナンス用カバーを工具で開く。円筒の内部に両手、両足をついて降りる。巨大工場でもあるまいし、普通こんな人間が通れるようなダクトはない。あったとしても有機溶媒やらの危険な気体が充満する中を人間は通れない。
だが、この一本は特別だ。これは例の主力ドローン用だからだ。蜘蛛の主力武器の格納庫兼移動経路。当然重要施設である地下の手術室にもつながっている。そして、当の主力ドローンは手術室の中。虎のいない虎穴に入るのは密偵の基本だ。
三階と二階間で一つ細工をする。後は地下まで一直線に向かう。
ダクトから地下通路に鏡を出し、左右を覗う。監視用ドローンが通路や壁をうろついている。視界の地図がアップデートされる。右に行けば舞奈の居る手術室だ。左に行けばエレベーター。その前には傭兵が陣取っている。
巡回するドローンの動きを見守る。マップ上に点が増えていく。DPが繋がっているドローンとオートで巡回している物を分類する。清掃用の円筒形の一体が孤立したタイミングでダクトから出る。
目の前に現れた侵入者を認識、警告音を発そうとした掃除機に目を合わせる。眼前に出現した金髪少女のアバターが、機械のつぶらな二つのカメラにウインクをして、何かを呟いた。
赤く点滅していたドローンの瞳がグリーンになる。洗脳された哀れな機体に小さな金属ケースとリレーのバトンくらいの筒をセットした。
『ディープフォトン・フィールドの展開を確認。蜘蛛に気づかれたね』
(予定ギリギリまではもったな。計画通りルルは蜘蛛の対処を)
【ソナー】で傭兵の動きを認識する。手術室のドアの前に陣取ったのを確認。俺はまっすぐに地下出口に向かった。残されたドローンは俺とは反対側にゆっくりと巡回を再開した。
さて、命がけの追いかけっこだ。
二つのプログラムが喧嘩しているエレベータが一階に着いた。フロアに駆け込み、並ぶ実験ロボの一台に取り付き、ハッキングプログラムを注入した。俺がそこから離れたのと同時にエレベーターが開いた。俺は奥へと逃げる。
傭兵は俺を認めると右手を持ち上げた。服が裂け黒光りする義手が姿を現す。敵の姿に情報が重なる。グラム単位で値段が付く強磁化合金。鎖のような楕円形の輪はその実連結されていない。金属の輪の集合体が磁力に合わせて自在に形を変える。しかもディープフォトンフィールド内となれば、その効力は空間を通じて広範囲に発揮される。
脱落したプロゲーマーから、軍人出身のサイボーグか。セッション1から難易度上がりすぎだ。とはいえこちらもレベル3だ。
【0:バリア/パッシブ】【0:ソナー/パッシブ】
レベルアップで【バリア/パッシブ】は大幅に強化された。【HP】が20から30にアップ。【MP】は総量も回復速度も二割増しってところだ。
【1:感覚調律】【1:運動神経強化】【1:バリア/アクティブ】
レベル1スロットに三つのスキルをスタックして、切り替えて使う体制を構築。そしていよいよ初めての戦闘スキルらしいスキルだ。俺は左腕からダーツを一本引き抜いて構える。
【ダーツ・オブ・ワスプ】
額にダーツを当てニューロトリオンを注入、相手向かって投げた。
敵の右腕から伸びた金属環が鞭のようにしなる。俺の投げたダーツはあっさりと砕かれる。視界に不可視の赤光が広がる。勢い余った金属環の斬撃は、俺の横の実験ブースを叩き潰した。ロボットアームの片腕が空中を舞って地面に落ちてガシャンという音を立てる。
火力が違いすぎるだろ。
だが、強力な武装兵士はサングラスを掛けた目を左手で覆ってひるんでいる。理由はただ一つ、破壊したダーツに内包されていたDPが向こうにとってはあり得ないからだ。
このダーツはセッション1をヒントにルルに作ってもらった装備だ。重心として金属芯の代わりに靴やグローブと同じDPを保持する物質が入っている。
ニューロトリオン《NT》とディープフォトン《DP》は同じく“計算”によって生じる粒子である。立体知性から生じるNTは平面知性から生じるDPよりもはるかに強力だ。物理学的に言えば電子とミュー粒子のような関係にある。そしてミュー粒子のようにNTは脳の外ではきわめて短時間で崩壊する。
実は俺がダーツに込めたNTには何の効果も付与していない。結果NTは大量のDP粒子へと崩壊するだけだ。
奴にとっては驚異的な事態だ。小さなダーツからいきなり大量のDPがあふれ出した。とんでもない威力を持った弾丸を信管発動前に破壊することが出来た、という認識になる。
真っ青な内心を、不敵な仮面で隠す。まあ手始めとしてはこんなものかという表情で相手を見る。
密偵の最大の武器であるはったりだ。さて、ここからが本当の戦いのはじまりだ。俺は二本目のダーツを余裕の表情で引き抜いた。
着地の瞬間、体が沈み込む感覚。粘る足元。正面から鎖のように連結された金属環が来た。【1:バリア/アクティブ】を展開して攻撃を跳ね返す。NTに負けて無効化された鎖の磁力により、金属環はばらばらに散らばる。
手に持ったダーツを放つ。弧を描く軌跡で、敵の左側からダーツが迫る。こちらに向かおうとしていた鎖が反対側に渦巻くようにして盾を形成する。
ダーツが衝突して急造の盾の中心をバラバラにする。その間に俺はもう一度力を込めて背後へと飛ぶ。
周囲に飛び散った金属環は傭兵が右腕を上げると、一瞬で回収された。
【HP 21/30】
奴は次の一撃を繰り出すのではなく、右腕を持ち上げ左足を引いた姿勢を取った。鎖が筒を作り、輪っかの一つが筒の中に引き込まれた。筒が青と赤の縞々模様を作る。色違いの光輪が波打った。
【2:エア・スプリング】
シューズ内のジェルの圧力をスキルで操作し横に飛んだ。赤い光を纏ったリングがすぐ横を通過した。磁力のパチンコか、飛び道具まで使えるのかよ。
【HP 15/30】。
これで何ターン目だ? 一方的にHPを削られ続ける戦いはきつい。とはいえ、はったりは維持し続けないと終わりだ。左腕から二本のダーツを引き抜く。
上に向かって放り上げたダーツが空中で放物線を描いた後、地面すれすれで相手の足に向かう。飛び上がった相手に二本目を放り投げた。傭兵の手から伸びた鎖が天上のダクトに絡みつき、ダーツが空を切った。地面と背後の壁で派手なだけの光が爆発する。
もはや目くらましにしかならないそれを頼りに距離を取ろうとした時、背後から衝撃が来た。バランスを崩しそうになる体、かろうじて右足に力を込めて横に転がる。俺の前に在った実験ブースに鎖が巻き付き、一瞬にして粉砕された。跳ねた透明な板が頬をかすめ、赤い痛みが走った。
今のDP反応はなかったよな。振り返ると小型の飛行ドローンが一台ホバリングしていた。
(ルルそっちの担当が来たんだが)
『こっちも限界が近いんだよ。蜘蛛は通常制御のドローンがボクの手を逃れられないと見切ったね。DP型主体でボクを探りつつ、空いた通常型をそっちに向かわせることにしたらしい』
こちらの人数が予想できないことを逆手に取ったルルの『幻の戦士』作戦は限界か。一対一から一対一・一になった。ここから一・二、三と状況が悪化していくわけだ。
急いでくれないと持たないぞ沙耶香。




