第11話 ゲノムの裏(1/2)
大量の複雑な情報を取り込まされた後、少し遅れてくるそれは僕にとってはなじみのものだ。必要な情報だけを迅速に処理する。あるいは自分の確固たる目的に関係する情報だけを選別する。現代が求めるそういう効率的頭脳がない僕は、情報の洪水が引いた後に、遅ればせながら”何か”に気が付く。
もう終わった話に異を唱え、周囲からわけのわからないという顔をされる。子供のころはそんなことばかりだった。スピード時代に人より遅く、人より大きな未来があやふや見えたとて仕方がない。
大抵の場合、それが当たるころには状況は変わっているのだ。
だが俺はいまこの違和感を放置できない。明確な目標がなかったかつての自分とは状況が違う。これは文字通りの命がけの場面だ。そう、まるでTRPGのシナリオのように。
ここまでのルルと沙耶香のデータの分析に欠陥は見当たらない。俺たちが得たデータは価値のあるものに見える。
だからこそなおさら上にいるモデルの観察結果と一致しない。八須長司は三階の一室を根拠地としてそこから飛行型ドローンで周囲を警戒している。周囲の警戒は妥当だ。敵は外から来る。
俺を見つけられなかったのは警戒対象が他のシンジケート、つまり軍団か教団あるいはその両方だからだ。俺たちのルールブックはDPCより強力なNTを用いているのに検知できないチートな代物。しかもルルという内部スパイがいる。矛盾はない、ここまでは俺とやつの行動はかみ合っている。
問題は奴がこの施設の中で何を守っているかだ。
奴の動きはいくつかパターンがあるが、共通しているのは三階を出ないこと。自分の部屋ともう一つの区画を中心に巡回していることだ。自分の部屋は監視室だろう。この施設の防諜はDPを用いた特別製のセンサーやドローンと、通常の機械的なそれの組み合わせだ。その制御をしていると考えればいい。
となると問題は一つだけだ。
(三階のこの区画だ。ここにどんな設備があるかわかるか? なにか大事なものがあるはずだ)
『調べてみよう。……施設内の電気の使用量から推測できるかな。…………三階のこの部屋には…………。なるほど、ここと同じ機械が存在する可能性が高い。それに一階と同じく汎用の実験ロボットが一台設置されているようだ。電力の消費パターンを時系列に展開…………今いるこの部屋との電気使用量の相関がみられる』
ルルが立体模型上の電気メーターを表示した。
◇ ◇
Xome三階の中央、八須長司のオフィス。一面にモニターが並ぶその部屋はビルの監視室というより戦闘艦の中央指令室に似ていた。実際はそれ以上だ。電子機器は補助にすぎない。この建物には文字通り彼の神経が行き届いている。
彼にとってカメラは複数の目であり、建物を移動する人間は肌を這いまわる虫の様に感じる。多種多様なセンサー情報がDPを通じて義眼のDPCから脳のDPCに入力され、リアルタイムに脳内に認識される。
DPの糸で編まれた蜘蛛の巣がXomeの真の姿だ。糸を通じて己が領域を認識している蜘蛛にとって、巣は家と言うよりも体の延長線上である。
ただし、今回の任務はその彼をして消耗を強いるものだった。飛蚊症のように目の前に浮かぶ細かなノイズが集中力を削る。椅子に背を預け目頭を指で摘まんだ。無意味な行為だということは彼も承知だ。
建物周囲に飛行型ドローンによる早期警戒網、内部はセンサーと歩行型のドローンによる哨戒の二重のフォーメーション。これは通常通りだ。だが、今回は外部の探索範囲が広げられ、DPに対する感度が限界まで引き上げられている。DPは極めて特異性が高いためノイズがほとんどない。だがここまで検出閾値を下げると通常はカットできるノイズが脳裏に届く。
通常は鳥や野良猫を警戒していたのを、虫にまで注意を払えと言われているようなものだ。
さらに大きな問題は優先順位のあいまいさだ。彼が守っているのは実質的にはこの施設ではない。Xomeには極めて高額の機器がそろっているが、財団の財力にとっては取るに足らない資産だ。守るべきは形のないデータだ。極端なことを言えば、データを消去すれば守る必要はなくなる。
だが、上からの指令はデータの消去はギリギリまで禁止されている。
二つの相いれない命令は、財団と軍団の共同作戦であることに理由があるらしい。シンジケート同士の交渉は大国間外交に匹敵する。彼が関与できるものではない。
一拠点の防衛者である八須長司に予測できることは、上司が想定しているのが極めて隠蔽性の高いDPCを持った敵対者の存在であること。それは教団とは限らず、共同作戦相手の軍団かもしれないことだ。
彼が巡回のために立ち上がろうとした時、彼の片目が赤く光った。頭蓋骨の中で金属音が響いた。複数のセンサーがリレーするように切り替わり、彼の意識は一瞬で二階のエレベータ近くへと運ばれた。そこには建物内に残った数少ないDPドローンが足の一本を破壊されていた。
破壊したのは通常型のドローンだ。記録を再生する。偶然足を滑らせた通常型がDP型に落下したのが分かる。今回の特殊な布陣にフォーメーションが最適化されていないゆえのトラブルは考えられる。そもそも、いかなるものの潜入も確認されていない。DPに関しては蟻一匹すら通していないはずだ。
だが八須長司は立ち上がり、エレベーターに向かった。起こりうる可能性を排除しないのはこの仕事の基本だ。それに、彼はさきほどから妙な違和感を自分の中に感じていた。形にならないノイズ以下の揺らぎが、体の中を這いまわるような。
◇ ◇
大きく強いDPの光が三階から二階へエレベーターで降りる。外壁に張り付いたままそれを確認した俺は、入れ替わるように上に向かう。飛行ドローンと目が合った時は肝が冷えたが、ルルにより俺を認識できないようにハッキング済みだ。
三階の壁から非常階段に移りフロアに入る。【ソナー】がセンサー類のいくつかに不可視の光のラインが繋がっているのを検知する。巡回するドローンも床と壁そして天井を立体的に動く。特に床のは二階より一回り大きい。ルルの情報でカタログ情報以上の重量が検知される。違法改造の内容が何か想像したくないな。
一時的にドローンの配置に乱れが生じている、モデルと一緒にドローンが二台下に降りた影響で、シフトが一時的に乱れた。そこにルルが干渉したのだ。DPセンサーの位置をルルに送信すると、安全なルートが開かれる。
目的の部屋の前に着いた。中には満天の星空を映したモニター付きの機械。二階に有ったのと同じ高速DNA配列決定器だ。その横には実験ロボット。『この部屋だけで独立した実験が出来るようになっています』という沙耶香の言葉。
チップを接触させる。一瞬で『データ受領』というルルの声。同時にドアの向こうをモーター音が通過する。
『データ数12、IDから二階のサンプルの部分集合であることを確認。データの最後はおそらくスコアだね』
(つまり二階のは予選、こっちが本選ということか)
『可能性は高いね』
『配列の分析を引き継ぎます』
ルルが一瞬でデータ構造を把握、沙耶香が続く。俺はモデルの監視に専念しながら結果を待つ。時間は極めて限られている、奴が三階にもどってきたら最初にやることは決まっている。ここの確認だ。
『このデータは……』
沙耶香から戸惑いの感情が伝わってきた。一拍おいて『人間のゲノム上にないDNA配列です』という言葉。二階とここの同一IDの配列が並ぶ。人間のゲノム上のどこにも一致するデータがない配列。人間のゲノムは99.9パーセント同じなのだから、その意味するところはこれが偽のデータであること…………。
『脱出経路をプランBに変更するかい』
(……いや、下に変化がないのはおかしい)
逃げ出したくなる足を無理やり抑える。罠だとしたらやるべきことは一刻も早い脱出だ。だが、床越しに見えるのはこちらのおとり《ドローン》をやっと確保したモデルだ。窓の外の飛行ドローンたちも既定の航路を巡回している。
そうだ、もし罠ならもっともっともらしいデータを用意する。小説じゃあるまいし「かかったな馬鹿が!!」なんて悪役がいてくれたら探索に苦労はない。
(このデータが意味するところを他に考えられないのか)
『データベースに一致する配列がない以上は……。いえ、待ってください。もう一つ可能性がありました』
超一流の専門家の言葉と共に、表示されていたDNA配列の一部だけが、くるくると表示を変える。
『やっぱりです。ここにあるDNA配列はバイサルファイト処理されたDNAのものです。つまりここで調べていたのはゲノムではなく、エピゲノムです』
また新たな専門用語だ。




