第二部 その六
学生鞄をあの大木の根元に忘れてきてしまった一念は、夕食までの間に取りに戻ろうと思い、部屋から瞬間移動を発動し、外へ出ていた。やや肌寒く、辺りはすっかり暗くなっていた。
(さすがにあれを無くすわけにはいかない……よな)
一念は空中浮遊を発動し、身体がふわりと宙に浮く。瞬間移動の連続使用により、浮遊しながら斜め上空に上がっていく。
上空百メートル程まで上がると、一念は全身を念動力の反発作用を利用した障壁を、全身に発動した。
「急がないと……」
ぼそりと出たその呟きを、その場で言い終える事なく、一念の身体は「音」を置き去りにした。
一念は「流石にこの速度を皆に体験させるわけにはいかないよな……」と、考えている間に、大木手前の森が見えたので、減速を始めた。
(忘れた所がが目立つ場所でよかった……)
ゆっくりと斜めに降下していく一念は、降りながら大木根元に置いてある学生鞄を視認した。『あったあった』と思うと同時に着地し、鞄に歩み寄る。
太陽に照らされて風により靡いてた大木は、今は暗く静けさを保ち、一念の脳内に薄気味悪さを刻ませる。その時、一念の視界が離れた場所に橙に光る炎を捉えた。
(あれは、さっきの洞窟……?)
一念は鞄を拾い、瞬間移動を発動し、静かに炎に近づいた。昼に透明化を発動した場所まで着き、昼に倣い透明化を発動する。一念が洞窟の入り口まで忍び足で近づくと、洞窟の中から光が漏れ、囁きの様な無声音が聴こえてきた。
(一人……二人か……んで、二人とも男かな……)
咄嗟に発動した透視で、黒いフードの二人を視認した。二人共、背は一念より小さかったが、体つきはガッシリとしていた。
一念は、会話が聞き取り難い為、透明化を頼りに洞窟内へ入っていき、肉眼で二人を捉えた。
「……やつらはどうする? 消した方がいいのでは?」
「いや、もうトレーディアの牢の中だ。迂闊に手は出せない。それに、我々の情報は開示していない。情報が漏れる事はないだろう」
(うわ~黒幕っぽい……まぁここにいる時点で可能性大だよなー……)
絶妙なタイミングで二人の会話を聞いた一念は、どうにかして、この二人を城へ連れて行こうと考えていた。
「しっ! 人の気配がっ!」
(……バレたっ!?)
二人の数メートル後方で透明化を発動していた一念だったが、更に後方数メートルに黒い影が存在していた。
「誰だっ!?」
黒い影の足音が次第に大きくなり、二人が持つ松明の炎により影の顔が照らされていく。
「敵だよ……。トレーディア国特殊警備隊隊長、リッツってんだ。」
そこにはリッツと名乗る男が、右腰に下がる剣の柄に左手を添え、ニヤッと笑い立っていた。
「陛下の命令だ。ちょっと着いて来てもらうぜ」
「な、なんの事ですかな? 人違いではございませんか?」
一般人を装う一人の男に対し、リッツは剣を引き抜き言った。
「人違いではない。陛下は「この洞窟に現れた者を捕えよ」と仰った。現れた二人……捕えなければ俺が懲罰を受けちまう」
リッツがチラリと一念の方を見たが、すぐに二人に視線を戻した。
「大人しく縄につきな。言い訳は城で聞いてやる」
「……っく……おい!」
「あぁ!」
二人の男が合図をすると、一人が懐から短剣を出し、リッツに襲いかかった。もう一人は後方にさがる。一念は戦闘が始まると同時に、リッツの後方に瞬間移動した。
短剣の男が素早い手さばきでリッツを攻撃するが、リッツを捉える事はできなかった。リッツは余裕の表情で相手の剣を止めた。流麗にかわすリッツを見て、一念は素直に感動を覚えていた。
(すげぇ……)
すぐさま相手の体を崩し、前方によろけた男の首の根を剣の柄で殴打した。短剣の男は白眼を剥きそのまま前方に倒れた。
「フィジカル・レインフォース!!」
後方で待機していた男が叫び声を上げた。と同時にその男は人間の速度とは思えない接近を見せ、リッツを壁へ吹き飛ばす。
(は、速い!?)
「くっ……無詠唱の補助魔法かよ……。アンタ相当だね?」
リッツの問いかけに笑みを浮かべる男。「いくぞ」と言うと、男が再度リッツに急接近をした。吹き飛ばされた時に剣を手放してしまったリッツは、相手の目にも止まらない攻撃に防戦一方であった。相手は素手だったが、リッツの体力を徐々に削っていった。
男が一瞬の隙を突き、リッツの腹部に掌打を当てた。
「がっ……!!」
リッツがよろめきながら後退する。
「止めだ!!」
男がリッツに止めの一撃を放とうと飛びかかった。
「あ、あぶないっ!!」
(!?)
飛びかかった男の蹴りは、リッツに届く事はなく、それどころか男は着地さえしなかった。いや、出来なかった。一念の念動力が思考以外の行動を制限していた。
「くっ! ……ぬぅ」
宙で不格好に固まった男は不可解な表情を浮かべながら身体の稼働を試みる。しかし身体はピクリとも動かなかった。
「なん……だ?」
同じく不可解な表情を浮かべるリッツだったが、千載一遇のチャンスを見逃すはずもなかった。
「はぁああっ!!!!」
リッツが助走をつけながら放った左拳打は、男の顔に届いた。男は拳打の衝撃で吹き飛ぶ事なく、宙に浮いたまま気絶した。
「……ふぅ」
リッツは腹部を押さえつつ、壁によりかかった。そして一念を方を見た。
「助けて……くれたのか?」
「……み、見えるんですか?」
リッツが放った衝撃の一言に一念が驚愕し、すぐに問い返した。
「お、ホントにいた。いや、見えないよ。最初は気配だけで、もしや? と思ったが、声まで聞こえたら……なっ」
リッツは自分の危機に、一念が咄嗟に掛けた声に気付いていた。
一念は透明化を解きリッツの前に姿を見せた。
「……っ! はは、すごいな。」
一念の能力を見て驚きを隠せないリッツだったが、先のイリーナ達よりかは冷静だった。
「あまり、驚かれないんですね?」
「そうかい? めっちゃ驚いてるけどね? まー、戦場じゃいつも何が起こるかわからないからな。驚きに慣れてるってのが正解かもな」
一念はリッツの明るい口調に好感を覚え、笑みをこぼした。
「ところで、君は?」
「あ、はい。すみません。ついさっきミーナさんの護衛隊長になった吉田一念です」
「ミーナ殿下の!? 確かイリーナちゃんが隊長だったんじゃ?」
「ちょっと失敗しちゃって、副隊長のお仕事に就きました」
本当についさっき決まった事だったので、リッツが知らないのも無理はなかった。
「ありえるな、ハハ」
「アハハ……ところで、この人たちどうしましょう?」
「あぁ、外に部下を待たせてある。……よっと。ちょいと待ってな」
そう言いながらリッツは洞窟の外に出た。
「おぉーし! 出てこぉい! 城まで連行するぞ!!」
リッツがそう言うと、ガサガサと森の中から六名の兵士が出現した。
同じく洞窟から出てきた一念に警戒する六人の兵士達だったが、リッツが全員を静止させた。
「やめとけ。お前達じゃ勝てねぇよ。それにこいつぁ新しいミーナ殿下の護衛隊長だ。上官には敬意を払えよ~」
「「「「はっ! 失礼しました!!」」」
「中に二人いる。二人とも気を失っているが、手練れだ。しっかり拘束してこい!」
「「「「はっ!!」」」」
兵士達が洞窟内に入るとリッツは手ごろな大きさの岩に腰かけた。
「んで、ここへは何しに?」
「あぁ、昼間にここに来て、これを忘れてしまいまして。取りに来たところに……」
持っている学生鞄をリッツに見せ、納得をさせる。
「なるほどね。これから城へ帰るけど、どうする? 一緒に着いてくるかい?」
「ええ、帰り道が少し不安なのでご一緒させて下さい」
一念がそう言うと、洞窟内から一人の兵士がリッツの元へ駆け寄って行っていった。部下はリッツの前でかがみ「お怪我は?」と聞いた。
「いや、大丈夫だ。一晩寝れば治るさ」
部下からの回復魔法の提示を断ると、リッツは岩から腰を上げる。
「大丈夫……ですか?」
「なぁに、問題ないさ」
二人がそんなやりとりをしていると、五人の兵士と二人の男が洞窟内から出て来た。
二人の男は両腕を縛られ、猿ぐつわをされ、更に右腕に一人、左腕に一人の兵士が腕を組み拘束されていた。
「ご苦労! んじゃー帰るぞー!」
リッツがそう声を上げると、リッツと一念が最後方。前方に二人の兵士が、その間に四人の兵士と二人の男……という隊列を組み、城へ向かい歩き始めた――
トレーディア王国城内では、謁見の間にいるアレクトの下へ、ムサシが報告に来ていた。
「一念君がいないだと?」
「は、イリーナからの報告によると、夕食の支度が整ったので、一念殿の部屋へ行くと、返事がなく……鍵は空いていたとの事ですが、門番は一念殿の姿は見ていないと報告しています」
「ふむ……」
アレクトが少し考えていると、ムサシの下へリッツが現れた。
「陛下、ムサシ将軍! 賊を捕らえました! ……おまけ付きで」
リッツがニッと笑みを浮かべてそう言うと、リッツの後方に鞄を持ち、疲れた様子で一念が現れた。
「一念殿! 探したのですぞ!?」
「すみません。さっきの森に忘れ物しちゃって……」
ムサシの遠回しな注意に、素直に謝る一念だったが、リッツがそれを庇った。
「将軍いいじゃないすか〜。一念は俺の命を助けてくれたんですよ?」
「「!?」」
アレクトとムサシが驚き顔を見合わせた。そして、アレクトがリッツに問いかける。
「それ程の手練れだったか?」
リッツの実力を知っているアレクトが、リッツに危機があったと聞き、敵の実力を推測する。
「ええ、補助魔法ですが「無詠唱」を使える者がいました」
「無詠唱……相当修練を積んだ者だな……。……怪我はないか?」
「問題ありません」
アレクトがため息をつき、一念を見て苦笑した。
「また、俺の「責任」だな」
「予想外……だったんですよね……」
「あぁ……」
一念も苦笑をし、「なら、誰にも責任はありません」と返答した。一念の言葉を聞き、一念の正面に立ったアレクトは、一念の前で深く頭を下げた。
「……リッツが世話になった。重ね重ね礼を言う」
「「!?」」
リッツとムサシが驚愕し、慌ててムサシがアレクトを諌める。
「なりません陛下、頭を上げて下さい!!」
一念も理解していた。王が他の者に頭を下げてはいけない理由を。しかし王が頭を下げた理由も理解していた。
「……感謝を述べたい時は自然と頭が下がるんです。……アレクト「さん」は、本当にミーナさんやリッツさんが大事なんですね」
ムサシがピクリと反応したが、アレクトが頭を上げる事で、ムサシの行動に制限をかけた。
「ムサシ、構わん。「一念」は私の友だ。ミーナを救ってくれた時、国の信頼を守ってくれた。リッツはこの国の警備を預かる身、それを救ってくれた。国を救ってくれた者に礼も言えぬ程、私は愚かではない。……「アレクトさん」と呼ばれるのは初めてだぞ?一念?」
「アハハ、生意気ですみません。アレクトさんも「面白い人」ですね」
先にアレクトが言ったセリフを一念が繰り返すと、アレクトがニッと笑った。ムサシは安堵の息を漏らし、リッツは呆れた顔をしていた。
「一念、俺の事はリッツでいいぞっ! 俺に「リッツさん」はムズ痒いっ!」
「では、私も陛下に倣って「一念」と呼ぼう」
「ハハッ、リッツもムサシさんも宜しくお願いしますっ」
四人に明るい表情が灯り、笑い声が辺りに響いた。
すると左奥の廊下から足音が聴こえ、足音の主の姿を確認出来ないうちに、声が謁見の間に響いた。
「あらあら、妬けてしまいますわ…」
声に即座に反応したのはアレクトだった。
「ミーナ!」
「ウフフ、食事が冷めてしまいますよ?」
ミーナの一言に、食事の事を忘れていた一念の腹の音が返事をした。
「クク…ハッハッハ!!! では皆の者、食事をとるとしよう!」




