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希望するのはマイルドな未来

 布すれ。息遣い。ページを一枚ずつ慎重にめくる音。それらが聞こえなくなるほど張り詰めた空気の中で、私達は黙々と秘伝書を読み進めていった。


 私が死ぬまでの過程をより鮮明に、そしてより多く予測するために。死を回避するために、敢えて死と向き合うこの作業は、想像以上の疲労とストレスを伴った。


 だが泣き言を言う時間さえ、今の私達には残されていなかった。


 都合200頁程の秘伝書、その最後の1頁をめくり終えた時、私は大きなため息と共に目頭を押さえた。どれほどの時間、読み続けていたか見当もつかないが……これほどまでに目と頭が疲労したのは、学園入学前の試験勉強以来だ。


「……覚えられましたか?」


「ああ。クリス殿はどうだ?」


「一文一句、正確にとはいきませんが……薬物に深く関わる部分は、完璧だと思います」


「では149頁、紫斑草をすり潰す前に湯で温める時の温度と時間、そして注意点は?」


「63度から64度で6分間。必ず屋外で行い、湯気を吸い込まないこと。()()()()は樹齢10年以上のカナシラを使用し、必ず専用の器具とすること、です。……42頁にある主作用、副作用および禁忌は?」


「主作用は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()こと。副作用は一時的な昏睡、筋弛緩作用、及び緩やかな死。時に即死もあり得る。禁忌は、信仰心なき信徒への服用。そして、合成薬物と呼んできた薬の、本当の名はーー」


「……不死の妙薬(エリクシル)


 よし……お互い、大丈夫そうだ。しかし、それにしてもーー


「酷い皮肉ネーミングセンスですね」


「服用者を死に至らしめる物に、不死の名を付けるとはな。悪趣味を極めている」


「教会という組織にとっての不死、という意味かもしれませんね。予知夢が教会の手中にある限り、中枢部の安全と繁栄は保証されますから」


「そうかもしれないが、あってはならない力だ」


 ……あってはならない薬なんて、この世には本来存在しないと思う。この薬物もまた、目線と用法用量を変えれば、何かの特効薬になりうるのだろう。だが仮にそうだとしても、私がこの薬を認めることは無いだろう。


 何故ならばこれは、病気や怪我を治すために生み出されたものではないからだ。


 人に人ならざる力を付与するために、調合と実験を繰り返して生み出された……言うなれば、兵器のようなもの。兵器そこに薬としての利用価値を見出すことは出来ても、やはり本質が治療薬ではない事実は否定できない。


 だから全てを終わらせた後は、必ずこの世から消し去ろう。この薬の被害者は、私達で最後にしなければならない。この秘伝書を託してくれた、エミール君の為にも。


「人の手に余るのは確かです」


 私の言葉をどう受け取ったのか。ディオン様はそれ以上は何も言わず、アーメットヘルムを被り直した。そして同じく無言で私を迎えてくれた殿下、そしてイネスさんと共に書庫を後にしたのだった。


 その夜、ディオン様は私と同じ合成薬物エリクシルを服用し、私と同じ夢を見た。




「クリス……あなた、このレポートの山は……!?」


「何も言わずに、受け取って」


 ディオン様と秘伝書を読み解いてから数日後。私達は予知夢で見聞きした情報をまとめ、研究室への参考資料というていで、お母さんへ提出した。


 参考資料の中身は、全て創薬の失敗事例と、その過程で発生した問題の数々。そして私の死亡時期と、死に至るまでの過程だ。


 その数、およそ100。ディオン様の予知夢は、まだまだ私の精度には達しておらず、実用的なレポートに出来たのは精々2割ほどだ。それでも明らかに私の時よりも進行が早いのは、疑う余地も無いが。


「この短期間で、これほどのデータが集まるなんて!しかもこれから試そうと思っていた配合比率も入っているわ!でも……でも、これが全部失敗ってことは……これが貴方の末路だとでも言うの!?」


「読んでの通り、私の死期が近そうなんだ。たぶん、3週間後には立っていられなくなると思う」


 そしてその3週間後に、ディオン様が無事である保証もない。自ら選び取った絶望ではあったが、それが却って私の頭に冷静な部分を確保させていた。


「こんな短期間で、これほどのデータが集まるってことは、それだけ臨死体験をしてるってことでしょう!?貴方、本当に大丈夫なの!?」


「今はまだ大丈夫。でもお母さんの言う通り、そのうち大丈夫じゃなくなると思う。結構きついんだ、何度も死ぬのって」


「ああ……クリス……!クリス……!」


 私を力いっぱい抱きしめて泣くお母さんの肩を、私はそっと抱き返した。私がお母さんの背を追い抜いたのは、一体いつの頃だっただろう。


 こんなに小さな肩だっただろうか。


「だけどレポートにまとめられる内に、お母さん達の力になりたかったんだ。みんな私の為に頑張ってくれてるんだし……私も、本当に死にたくないからさ」


 そう母へ語り掛けている間にも、私の死に様がチラチラと垣間見えている。気が滅入るどころのストレスではないが、エミール君はこれを何年も耐えてきたのだ。彼より大人である私が、ほんのひと月も耐えられなくてどうする。


「ごめんなさい、ごめんなさいクリス。お母さん、いっぱい頑張るわ!必ず貴方を救う薬を作ってみせるから……!」


「うん、ありがとう。フランシーヌさんにも、これを読ませてあげて。お母さんの知恵とフランシーヌさんの予知夢があれば、きっと創薬は成功するから」


「ええ、ええ分かったわ。もちろんよ」


 涙を浮かべる母に対して気丈を装う私だったが、やはり目の前で自分の臨死体験を見ながらでは、まともに研究を手伝えそうになかった。ちょっと疲れたからと手を振って退室する私を、母は引き留めようとはしなかった。


「あれ」


 研究室のドアを閉めた瞬間、膝の力が抜けた。手も震えている。その原因は、言うまでもない。


「……ははっ」


 怖くて、怖くて仕方なくて……誰かと話していないと、気がおかしくなりそうだ。3週間後まで、果たして私は首を吊らずにいられるだろうか。


 ……いや、違うだろ!


「バカっ、しっかりしろ!最後まで生きるんだろ、私!折れんな!」


 自らの頬を叩いて気合を入れながら、私は死の幻影を無理やり無視して、城内に作られたーー王女様らしくない書斎のようなーー私室へと向かった。そこには和やかに談笑するイネスさんと、フランシーヌさん、そして殿下夫妻の姿があった。


 なお現在も罪人であるフランシーヌさんは、ボリエ殿下かヒューズ殿下の監視下においてのみ、城内や図書館の利用を認められている。あくまでも私を救うために認められた特例中の特例であり、恐らく今後似たような事例が生まれることは無いだろうとされている。


「あれ、皆さんお揃いで」


「おかえりなさいませ、御主人様!」


 イネスさんはいつ見てもかわいいなぁ。好き。彼女を観てる時は不思議と死を意識しないで済むのは、彼女が持つ愛嬌と清楚さのおかげだろうか?……前者はともかく、後者は最近怪しいものだが。なんにせよ、良き清涼剤である。


「お茶会ならテラスを使っては?」


「いや、茶会のために来た訳じゃない」


「貴方に良いニュースを持ってきたのよ」


 言葉を継いだアベラール様の目元は、久方ぶりに本来の柔らかさを取り戻していた。


「良いニュース、ですか?」


「聖女フランシーヌが、初めて貴方の予知夢を見たの。もちろん、前途ある夢よ」


 なんだって!?


「ど、どんな夢だったんですか!?創薬の配合比率とかは!?」


「落ち着け。そんな具体的な過程や数字を得られたわけじゃない。だが、耳を貸す価値はあるぞ」


 なんだよそのニヤニヤした笑みはムカつくな。殿下がこういう笑顔を浮かべてる時は、大抵ろくなことが無いんだが。


 どういう意味か分からないまま、黙して微笑むフランシーヌさんへ目を向けると、彼女は小さな顔を頷かせて笑みを深くさせた。


「お子さんは五人。その内の三人は王国の騎士に、一人は他国の王家に迎えられ、後の一人も神殿騎士としても高潔な人柄で人々から慕われる、立派な方になられますよ」


「……へ?」


 五人とは???


「お前が産む子供の数だってよ。ディオンのやつ、結婚後はタガが外れたように情熱的になるんだと」


「はいっ!?」


 わ、私の子供!?ディオン様の子供を、五人も産むと!?ていうか今より情熱的になるって聞き捨てならんぞ!今だって相当なものでしょ!?あれ以上熱くなったら、私なんて灰も残らないんじゃないか!?


「あくまでも、数ある未来の一つですよ。だけど今まで授けた予言の中では、一番当たる自信があります」


「元・予言の聖女様が言うと、洒落になりませんよ……!」


「うふふ。顔が紅いわよ、クリス」


「そりゃ紅くもなりますよ!!」


「だが良いニュースには違いないだろ。少なくともお前たちが幸せな余生を過ごす可能性は、十分にあるってことだ。素直に受け取っておけ」


 いや、まあ、それはそうかも知れないけどさー……。


「せめてもう少し、マイルドな未来が良かったです。五人……五人て……」


「子育てのお手伝いはお任せください!ご結婚後に備えて、いっぱい勉強しておきますので!」


「育児のアドバイスが欲しかったら、いつでも隣国へ行くからね」


「五人で済めばいいがな」


「それ今言います?」


 人の命と未来設計をネタに笑う異常な空間にあって、私の心はほんの少しだけ、温かさを取り戻した。


 その日の晩、私は七度目の出産に失敗して死ぬ未来と、夫に愛され過ぎて腹上死する未来を垣間見た。自分の死を予知した結果、まさか心よりも頭が痛くなるとは思わなかった私は、情けなさと恥ずかしさを抱えたまま、久方ぶりの二度寝を敢行するのだった。




 それから私は、ディオン様と共に毎日レポートを書いては、研究室へと持ち込んだ。失敗事例の中には荒唐無稽なものも含まれており、専門家から見れば玉石混交より少しマシといったレベルの代物だったと思う。


 それでも()()()()()()()()を大量に除外出来る意味は大きく、それによって正解の道筋が少しずつ浮かび上がっていった。


 一方でフランシーヌさんの学習も予想以上の早さで進み、簡単なポーションであれば自力で調合出来るまでに成長していた。私が初めて調合に成功させたのが、勉強を始めてから二年後であることを考えれば、まさに劇的……天賦の才と言っても過言ではなかった。


 しかし最大の転機と、私達にとって最大の試練が同時に訪れたのは、あの情けない悪夢を見てから二週間後のこと。フランシーヌさんの予知夢がついに創薬の研究内容に触れ始め、創薬の研究が急加速した頃だった。




「そんな、マルティネス国王が!?」


「……ああ。病に倒れたらしい」




 薬の完成を待たずして、ディオン様に至急の帰国命令が下ったのである。

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― 新着の感想 ―
いやー、情けない悪夢と言っても割りと洒落にならんのでディオンには自重を覚えてもらって。
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