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教会秘伝の書物

お待たせしました。今日からまたゆっくり再開していきます。

「クリスさぁぁぁぁぁん!!」


 私の覚醒が皆に伝えられた時、一番最初に病室へ飛び込んできたのはイネスさんだった。その勢いと衝撃は凄まじく、私の手をしっかと握っていたディオン様が、壁に叩きつけられたほどである。


 ……あれは痛そうだ。


「よかったぁぁぁ!!よかったですぅぅぅ!!も、もう、ほんとに、よかったぁぁぁ!!」


 点滴がつながったままの私の体を、どこにあったのかと思うほどの怪力で抱きしめられた私は、一瞬意識が飛びそうになった。


「お、落ち着いて、イネスさん……ね?おぢつきま……しょぉぉ……」


 ぐ、ぐるじ……どこに、こんな力が……!?


「力を抜くんだ、イネス殿。クリス殿から変な音がする」


「はっ!?す、すみません!う、嬉しすぎて、つい……」


「……い、いえ。私も嬉しいです。ご心配をお掛けしました」


「ぐすっ……このまま目が覚めないかと思いました。何があったんですか?」


「実はーー」


 今日は一日、皆に事情説明して終わりそうだなと思いながら、私はイネスさんへ昏睡するまでに何があったかを丁寧に説明した。もちろん、ディオン殿下の無謀な策については伏せたままである。


 私の説明を受けたイネスさんは、先程までの歓喜は消え失せ、悲壮感に震えていた。


「そんな……じゃあクリスさんに残された時間は、もうあまり長くないってことですか?」


「そうなります。なので今からでも私も研究に加わってーー」


「俺が秘密裏に三人目の予言者となり、創薬期間を徹底的に短縮するつもりだ。外法かつ違法だが、この際はやむを得ない」


「ディオン殿下も予言者に!?」


 うんうん。て、ちょっ!?


「そこ明かしちゃうんですか!?ついさっき秘密裏に進めると決めたばかりでしょ!?」


「イネス殿は例外だ」


 堂々たる物言いだけど、相変わらず言葉が足りない……!


「も、もう少し具体的に説明をいただけますか?」


「俺とクリス殿が結婚した後も、彼女はメイドとして君に仕え続け、家族同然の長い付き合いになるはずだ。そんな彼女に隠し事をしていても限界があるし、彼女の君への忠誠心と親愛は本物だと思う。ならば、先に話しておく方が得策だ」


 ……さりげなく結婚を既定路線にされてますが、仮に結婚しなくてもイネスさんとの関係はかわりませんよ、ディオン様。


「それに秘密裏で物事を進めるにしても、ある程度の協力者は必要だ。イネス殿なら裏切る心配は無いのだから、共犯者としては適役だろう」


 まあそこは認めるとしても……それにしたって思い切りが良すぎる。王族間で取り決めた最重要機密を、即日メイドと共有したとボリエ殿下が知ったら、卒倒するんじゃないのか。


「ディオン殿下が予知に目覚めれば、クリスさんは助かるんですか!?」


「時間との勝負になるが、勝算はある」


「だったら私も運命を共にします!クリスさんには止められましたが、フランとお二人を残して私だけ長生きなんて出来ません!」


「駄目だ。君には創薬の知識が無い。予知夢に目覚めたところで役には立てない」


「!!」


 まさに切って捨てるような物言いだった。普段、私やイネスさんに対しては甘い部分を見せるディオン様だが、やはり彼も王族なのだと思い知る。


 だけどその後の言葉には、確かな温かさがあった。


「……君は、君にしか出来ないことをすべきだ」


「私にしか出来ないこと……?」


「君の親友と、もう一人の友を繋ぎ、心を支えることだ。明るく励まし続け、死の恐怖を少しでも和らげてやってほしい。それがクリス殿にとって一番の励ましになるし……フランシーヌ殿に至っては、そうする責任が君にはあるはずだ」


 責任という言葉は、私自身の胸にも重くのしかかった。そうだ、イネスさんだけではない。巻き込んだ人達すべてに対して、私は責任を負っているんだ。私には死の未来を避けて、皆に恩返しをする義務がある。


「責任……そう、ですね。その通りです、ディオン殿下。ありがとうございます、目が覚めました。皆さんの末路を覗き見してる暇なんて、私には無いのですね」


「分かってもらえて何よりだ。ではクリス殿、今後の方針を彼女に説明してやってくれ」


 私は決意を新たに頷くと、イネスさんに向き直った。イネスさんの目もまた、教会に相対する時に匹敵するだけの決意と凄みに満ちている。


「今から私達がやろうとしていることは、言ってしまえば創薬の成功事例を消去法で炙り出す作戦です。私が死んでしまった未来で見えた失敗作の数々を、研究チームとフランシーヌさんへ事例として提供することで、結果的に創薬期間を短縮させます。しかしいくら私の予知の精度が上がっていても、私一人の力では限界があります」


「そこで薬学の知識がある俺も彼女をアシストし、失敗事例の数を増やす。俺の方が症状の進行は早いだろうが、二人掛かりで進めれば、我々が死ぬ前に成功事例を導きだせるだろう」


 私たちの説明に、イネスさんは厳しい表情を浮かべていた。そこには若干、非難めいたものが混じっている。


「お話は分かりましたが、それはあくまで成功率を高める作業ですよね。ディオン殿下は如何にも必ず成功するかのように語られますが、これでは確実に成功するとは言えないのではありませんか?」


「君の指摘は正しい。俺の提案はあくまで、成功率を高めるだけの作業に過ぎない。だが何もしなければ、確実にクリス殿は死ぬ」


「もちろん一番良いのは、フランシーヌさんがひと月以内に私が生還する未来(ハッピーエンド)を導き出すことですが……イネスさんから見て、それは現在可能に思えますか?フランシーヌさんの進捗は、いかがです?」


 一瞬だけ悔しそうに顔をしかめたイネスさんだったが、そこは素直に首を横に振った。


「……フランはよく勉強しています。クリスさんのお母様も、フランは覚えが良いと褒めてくれていますが、創薬は基礎知識だけで出来るほど甘い世界ではないみたいです」


 それはそうだろう。一種の専門家であるはずの私や母にとってさえ、創薬の難易度は調合とは比較にならない。ましてや十分に治験をする期間すら取れない条件下である。まともなやり方でクリアできる訳が無いのだ。


「作戦については理解しました。不安ですが、私も協力するしかなさそうです。では、今のお二人に必要なものは何ですか?」


 切り替えが早いな。この心の強さは、確かに頼もしい。


「大きく分けて三つ。一つ目は研究室を実際に見学し、設備規模を確認することで、これはそれほど難しくありません。二つ目は予知夢に目覚めるための合成薬物で、ディオン様が服用するために必要です」


「合成薬物については、ボリエ殿が調達してくれるだろう。もしかしたら既に研究室から入手しているかもしれない」


 確かに、私の覚醒を伝えて皆が油断したタイミングを、殿下が利用していても不思議ではない。あの人は利用できるものは全部利用するからな。


「では三つ目は?」


「教会の秘伝書……すなわち合成薬物のレシピを読んで、習得する必要があります。しかし本来部外者であるディオン様が読めるチャンスは、恐らく一度きり。あまり何度も読みに戻れば、それだけ露見のリスクが高まりますから。イネスさんはその際に、ボリエ殿下と一緒にアリバイ作りに協力してください」


「はい!……絶対に成功させましょう。少々不本意なのですが、ディオン殿下を旦那様と呼ぶ未来も、そう悪くないと思えてきましたので」


「光栄だ。全てが片付いたら、三人で飲もうじゃないか」


「そこはボリエ殿下も加えてあげてくださいよ」


 つい苦笑いを浮かべた私だったが、ほんの少しだけ見えた光明と仲間の存在によって、口元が緩むのを抑えることが出来なかった。


 なお余談となるが、イネスさんが共犯に加わったと聞いた殿下は、病室にて卒倒こそしなかったが、立ったまま失神した。




 そして、私の無事を皆に伝えてから数日後。私とディオン様、そしてボリエ殿下の三人は、王立図書館の最奥……教会秘伝の書物の前に立っていた。ディオン様は私の護衛に変装するため、アーメットヘルムを装備している。


「随分古い書物のようだ」


「数百年前に書かれたものらしいが、正確な時期は不明だ。さて……今更聞くことでもないが、本当にやるんだな?」


 ディオン様の顔は兜に遮られて全く見えないが、その目線は書物から離れていないように思えた。


「これが露見すれば、関係者は全員ただでは済まないぞ。当然国際問題になるし、国家機密を探ったディオンは良くて死刑、悪ければ国家間戦争だ。予知夢の能力者は全員助からないし、イネス殿にも罰が下り、俺も良くて廃嫡だろう。それでもーー」


「やる。これしかない」


 断固たる決意と、かつて無いほどの緊張感が、その硬質な声から感じられた。


「クリスも、それでいいんだな?」


 私一人のために、何人もの人が不幸になるかもしれない。私一人の命が、皆の人生と釣り合うものとも思えない。


 ……それでも私は、生きる。生きたいのだ。そのためにも、ディオン様と力を合わせて……創薬を成功に導いてみせる。


「はい。ディオン様をのこして、先に死にたくはありませんから。どうか皆さんの命を、私に預けてください」


「……こんな時に惚気られるなら、大丈夫だな。よし、じゃあ一世一代の読書タイムといこう。俺は出入り口付近で張ってる。イネス殿も外で時間を稼いでくれているんだ。ディオン、絶対に一発で全部覚えてみせろよ」


「任せてくれ」


 王立図書館の最奥。私とディオン様は重要文献の数々に囲まれながら、お互いの息遣いと紙がすれる音すらも無視して、一冊の古い書物に集中した。

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