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誤算

 エミール教皇の訃報。それがヒューズ殿下からもたらされた時、そこにいた全員が息を呑み、謁見の間からは呼吸音すらも奪い去られた。


 エミール君の死は、私達の観測があまりにも楽観的だったことを、何よりも如実に突き付けていた。


「何故だ!?エミール教皇は、まだ幼い少年だったはずだ!なぜ彼が、年長であるクリスよりも先に亡くなるんだ!?」


 激昂するボリエ殿下に臆せず、その肩に手を置けたのはヒューズ殿下だけだった。


「落ち着け、ボリエ」


「落ち着いてなどいられるか!!」


「お前が騒げば、クリス君が不安になる。それにお前などよりも、彼女自身の方にこそ叫ぶ資格があるはずだ。だから今は、辛くとも静かにしていろ。それができないなら、ここから出て行くがいい」


 ハッとした様子で私を見た殿下は、ただ一言「すまない」と言って、黙り込んでしまった。


 私だって、今は泣きたい気分だ。でも……エミール君の死には、きっと意味があるはず。それを解き明かさずに、ただ悲嘆に暮れている訳にはいかない。


「ヒューズ殿下。教会本部で何があったのか、詳しく教えてもらえませんか?」


「わかった。……教会本部に到着した時、私は神殿騎士達によって門前払いされそうになった。今は急を要する事態にあり、教皇に会わせることは出来ないとな。だが私の来訪を予知していたのか分からないが、教皇の命令が神殿騎士達に伝えられ、私は教会本部の奥へ通された――」


 ――教会の奥へ通すことを許されたのは、ヒューズ殿下一人であり、なんと護衛や神殿騎士でさえもが同行を許されなかったという。




『……ヒューズさんも無粋だね。どうせなら、おねえちゃんも一緒に、連れてきてくれればいいのに』


 子供が寝るにはあまりにも大きなベッドの上で、様々なチューブに繋がれたエミール君が横たわっていたそうだ。その顔は、ほんの数日前に見た時の面影は消え去っていて、見た目が幼いだけの老人に見えたらしい。


『お加減がよろしくないのですか』


『うん。多分、もうすぐ僕は死ぬね』


『まさか……』


『急激な体力低下と、予知能力の異常な強化……兄さん達が死んだ時と、同じ症状だ。あの時の兄さんは、怖い怖いと泣き叫んでいたけど……今なら、ちょっと気持ちがわかるかな』


 ヒューズ殿下から見たその笑みは、諦めきっているようでいながら、どこか希望を捨てきっていないように見えたという。


『ヒューズさん達が帰ってから、僕の予知能力が急激に強くなっていってね。寝ても覚めても、こうして体を横たえているだけでも、目の前の景色に重なるようにして、ずっと誰かの死に様が無数に見えてるんだ。今もヒューズさんが、色々な理由や状況で死に続けているよ』


『あの薬を飲んだ者は、成人を迎える時に死を迎えると聞きましたが』


『それも間違いじゃないと思うけど……子供が飲んでも、症状の進行が遅いだけなんだろうね。まあ、これでも長生きした方かもしれないよ。せっかく教皇になったのに、なんとも締まらない最期だけどさ』


『このような状況で、こんなお願いをするのは恐縮の極みなのですが……』


『はは、()()()()()()()()()、そのお願いだけはするんだね』


 その言葉からは、エミール君がどれほどの死を看取り続けてきたのか、想像すら出来ない。


『……きっとこの私も、良い死に方は出来ないのでしょうな』


『そう願いたいものだね。ほら、文献も、薬の残りも、好きに持って……いきなよ……。聖印なら、もう、押してあるから……』


『エミール様……?エミール様、しっかり!!医師は!!医師はいないのかッ!?』


『ヒューズさん……おねえちゃんが、たすかったら……』


『わかっております!この薬も、製法も、この世からすべて消し去ります!お約束します!バシュレ第一王子の名において、我が生涯をかけて、必ず!!』


『……ははっ……ああ、いいね。この、ヒューズさん、だっ……たら……』




「――これが、予知に目覚めることが出来る一回分の合成薬物と、配合比率などが記された文献だ。我々はこの僅かな資料と、偽聖女の予知を頼りに、合成薬物の拮抗薬を創らなねばならないんだ」


 ガラス瓶に封印された量は、ほんのひとさじ分にも満たない、ごくわずかな量だった。相当精密な計量がされていることだろう。


「母上。文献の保管は王立図書館で行います。研究部には何時でも閲覧できる権限を付与しますが、必ずここにいるメンバーの何れかを立ち会わせるのが条件です。万が一にも紛失、損壊するようなことがあれば、お終いなのですから」


 ヒューズ殿下の決定に異論は無かった。誰もが文献に目が行く中で、母だけが合成薬物入りの瓶を、じっと睨み続けていた。


「たったこれだけの量で、人が死ぬかもしれないなんて……これは薬なんかじゃない。猛毒だわ」


「試験用に、少量を確保しても良いですが……」


「いえ、使うなら用量は厳守した方が良いと思うわ。薬というものは、量を減らした方が安全という訳ではないの。副反応が強い薬の場合は、特にね」


 もしかしたら開発当初の使い方は、毒薬としての使用を想定していたのかもしれない。文献を読まないと分からないが、無味無臭かつ無色透明で、食べ物に混ぜたらまず気付かれないとなれば、暗殺用として作られたと見る方が自然だ。


「お母さん」


 言いようのない不安に駆られた私に、母は首を横に振った。


「クリス。研究を始める前に言っておくけど、私は貴方達の案には反対の立場よ」


 反対……って?


「ど、どうして?」


「毒薬の副反応に期待する作戦には、薬師として賛成できないという意味よ。貴方を助けるためには、それしかないというのは分かる。聖女様にご協力頂けることにも感謝してる。でも、私にとって薬草学とポーションは、人を治し、救うためのものだったの。創薬期間を短縮するためとはいえ、毒を聖女様に投与するなんて……私の信念から大きく外れるわ」


 いつも優しいだけだった母の目には、これまで見たことがないほどの厳しさに満ちていた。


「もし拮抗薬が間に合わなかったら、私達の手で飲ませた毒が聖女様を殺す。私達が聖女様を殺すの。その覚悟はあるのかしら」


「母上!?そのような言い方をするものでは!!」


「ヒューズ、そしてボリエ殿下もだけど、目が曇っているわよ。……陛下」


 母はちらりと陛下の方へ眼を向けた。応じるように頷く陛下の目は、これも施政者としての厳しさによって鋭さを増していた。


「我々は王族だ。王族とは、国と民を救い助ける存在でなければならない。平時において、身内を助けるためだけに、民の命を生贄に捧げてはならないのだ」


「そ、それは……」


「だが私は、それを承知でこの案の実行を認めるのだ。失敗すれば、王の座を退くほか無いと理解した上でだ」


「父上……」


「私は一度、クリスを手放した。あのような思いをもう一度味わうくらいならば、王の地位など惜しくはない」


 王族として十分に覚悟した上で、この作戦を立案したのか。両親の目が、そう咎めているように見えた。心臓の音が、私自身を責め立てるように、ズキンズキンと大きな音を立て始める。息が苦しくなり、目の前がチカチカと瞬き始めた。


 両親の言葉は、私が意識的に無視してきた観点だった。これから取る道は、私が平民だった頃の……ポーションショップ店員になることだけを夢見ていた頃の私なら、絶対に選ばないだろう邪道だ。まさに母と父が言っていた通りである。


 重苦しい空気の中で、イネスさんが私を庇うように声を上げた。


「あの……提案したのは、王子でも王女でもなく、私です。私があんなことを言い出さなければ、皆様なら別の方策を思いついたかもしれません。この場合、罰せられるべきは、私ではないでしょうか」


「そ――!」


 それは違うと言いかけたが、それよりも早く母は首を横に振って否定した。


「イネスさん、私は責任の所在を確認したい訳ではないの。……私が言いたいこと、貴方なら分かるわよね、クリス?」


「……うん」


 胸が痛い。喉が痛い。だけど、言葉にしなければならない。


 母が聞きたいのは……お母さんが、私に問いたいのは。


 薬師の心構えを十分に理解した上で、人の血をすすってでも、この先を生きて行きたいのかということだ。薬師として、母と相反する道を選ぶ覚悟があるのかと、そう聞いているのだ。


 ……私の答えは、もう出ていた。


「私は、生きたいよ。お母さん。薬師失格と呼ばれても……二度と薬師になれなくても」


 返事は無い。お母さんはただ黙ったまま、私を真正面から見つめたままだ。


 これまでにない居心地の悪さを感じた。それでも、私の気持ちが変わることはなかった。


「学園に通ってから、色んな事を知ったんだ。殿下と出会って、色んな厄介事に巻き込まれて。苦しくて、逃げ出したくて、楽しかった。卒業後もそれが続くと思ってた。でも……社会は、私が思ってたよりも残酷だった」


 世界には宗教に縋る人々がいて、救いを求めて騙されちゃう人がいる。


 そんな宗教を担う教会の中にさえ、色んな人がいる。


 平民と貴族、それぞれに壁が存在する社会は、私が考えていたよりもずっと複雑で、厳しかった。


「だけど、そんな世界でも必死に生きる人達がいた。貧しさから抜け出せなくても、親に利用されてても、納得できる生き方と……死に方を選ぶ子たちを、私は見てきた。そんな人達に助けられっぱなしの私でも、何か出来ることはあるんじゃないかって、ずっと考えてた」


 世の中の理不尽に負けずに、姉の帰りを待つことを選んだシスター・リン。


 人々の死を見続けても、捨て鉢にならずに最後まで自分らしく生きたエミール君。


 神を愛することを心に誓いながら、私を救うために人の道を外れても生きる方法を考え出してくれた、イネスさん。


「それで、考えたんだ。私が学園で学んだ色んなことを、皆にも分けてあげたいって。たくさん校舎を建てて、たくさんの子供を集めて……私みたいに王家や貴族の血が流れていなくても、身分や貧しさに関係なく、皆が通えるような学園を作りたい。世の中は優しくて、とても残酷だけど、勉強すれば強く生きていけるんだって、教えてあげたい。それが一番、今日まで出会った人達への恩返しになると思うんだ」


 偽りの聖者に騙されたり、信仰の向き先を間違える人が、一人でも減らせるように。


 私が学園で得られた幸福を、少しでも感じてもらえるように。


「それが、死にたくない理由。単純に死ぬのが怖いのも本当だけど……死んで、この夢が消えるのは、もっと怖いんだ。だから、どんな手を使ってでも生き延びたい。たとえお母さんに、軽蔑されたとしても」


「……もう私が知ってる、小さなクリスじゃないわね」


 お母さんは、私の決意を聞いても、事も無げに笑っていた。


「生きる決意をする娘を、軽蔑する親なんて居ないわよ。それにもし、貴方が怖いから死にたくないってただ泣き喚いても、私は信念を曲げて貴方を助けたわ。だって私は、貴方のお母さんなのだから」


「え、じゃあなんであんなことを……?」


「きっとこれが、母親らしく振舞える最後の機会になると思ったから。でもそろそろ私も、子離れしなくちゃいけないわね」


 お母さんは、まだ傷が完治していないはずの体で、私をぎゅっと抱きしめてくれた。


「貴方も薬師として、創薬に参加しなさい。フランシーヌさんの為にもね」


「お母さん……」


「私の薬学と、貴方の知恵が合わされば、作れない薬なんて無いわよ。絶対に完成させましょう。そして、生きて夢を叶えなさい。それが一番の親孝行なんだから」


「……うんっ」


 その日、私は何度目になるか分からないほど、たくさんの涙を流した。目の奥では今日まで出会った人達の顔と、ここに居ないディオン様の笑顔があった。




「クリス」


「奥様?」


 フランシーヌさんへの薬物投与の準備を始める直前、アベラール様に呼び止められた。その顔は、思い詰めたように歪んでいる。


「どうしましたか」


「……ごめんなさい。ここに至っても、私は貴方に出来ることが、何も思いつかないの。これでは貴方に向ける顔が無いわ……」


 そんなことを気にされていたのか……別に奥様が悪いわけでもないのに。


「お気になさらず。それより、らしくもなく取り乱した殿下を躾けて差し上げてください。あの人に一番効く薬は、奥様のお叱りに違いありませんから」


「分かったわ。でも……それ以外で、私が貴方のために出来ることは、何もないのかしら。今まで私は、貴方にずっと助けられっぱなしで、何も返せてない。何でもいいから、貴方を支えられる何かが欲しいの」


「奥様……」


「なんでも言って頂戴。私、頑張るから」


 そこまで気にされていたのか……だけど薬に関する事は、基本的に専門家じゃないと手伝いようがない。母から薬学を直伝された私でさえ、どこまで研究を手伝えるかは未知数なのだ。素人が手を出せる領域ではない。そういう意味では、今回は殿下でさえ戦力外なのだ。


 だけど、それをそのまま言っても傷付けるだけだろう。だったら、奥様にだけ出来ることを、お願いしようかな。


「では、いつか殿下と奥様の赤ちゃんが産まれたら、私が最初に抱っこしても良いですか?」


「え?」


「未来に希望があると分かれば、生きる理由になります。奥様に似た可愛い子を抱っこ出来ると思えば、私も研究にやる気が出るというものです。実は殿下にも、事が終わったら兄呼びして良いかと、お願いしているんですよ」


「クリス……」


 こんなことしか言えない自分が情けない。言外に戦力外通告をしたも同然なのだが……子供を抱きたいという気持ちは本物だ。せめて奥様には、私の未来そのものであってほしい。




「……だ、誰から聞いたの?」


「何をです?」


「……私が、身籠ってること」




「…………はい?」


「え?」


「……え?」


 …………え!?


「はい!?ご、ご懐妊ですか!?」


「わっ!?しーっ!しーっ!ま、まだ未確定なのよ……!月の物が遅れてるだけかもしれないし……ボリエ様にも話してなくて……!」


 なんてこった……!?いつ仕込んだ!?い、いや、それはどうでもいい!ていうかあんまり考えたくない!大事なのはそっちじゃなくて!


「クリス……?」


「す、すみません、動揺し過ぎて思考が……えっと、おめでとうございます。月の物は、どれくらい遅れているのでしょうか。体調に変化などは?」


「二週間位、来てないわ。ダルさも長続きしてるし、いつもより長い気がするの」


 妊娠最初期の症状と似ているな。大体三週間から一ヶ月ってところかな……?


「確かに、それはご懐妊の可能性がありますね。近い内にドクターに診てもらってください。それと激しい運動は控えて、お酒や紅茶はお控えください」


「分かったわ」


「激しい運動には夜伽も含まれますので、ご注意ください」


「よと……!?き、気をつけるわ……」


 御二人で、やることやったから出来たのだ。今更恥ずかしがることじゃない。


「しかし、そういうことなら産まれる前に、拮抗薬を完成させておきたいところですね。より一層、生きる決意ってやつが固まりましたよ」


 薬が出来るより先に抱っこしたら、満足してしまいそうだし。


「クリス……」


「絶対に、元気な赤ちゃんを見せてくださいね。出来れば、殿下じゃなくて奥様に似た子を」


「……ふふ、わかったわ」


 固い握手を交わした後、私は再びフランシーヌさんが待つ牢へと、歩みを進めた。


 しかし、その直後。


 ーーリス!


「え?」


 最初に聞こえたのは、誰かの声。


 ーーっかりしろ!目を覚ませ!


「クリス?」


「なんですか、これ……」


 ザリザリと音を立てて、目の前の景色が霞む。廊下と、研究室の景色が重なる。


「まさか……予知夢!?」


 しかし、こんな鮮明な予知夢は、これまで見たことがない。鉛のような体の重さや、床の冷たさまで感じるようだ。しかも私はまだ、こうして起きているというのに。


 無理だ、立っていられない。景色と音が重なり過ぎて、普通に歩くだけでも転んでしまいそうだ。エミール君は、この不快感に何年耐えてきたのだろう……!?


「クリス!?しっかりして、クリス!!」


「お、奥様……すみませんが、人を呼んで来てもらえますか?ちょっと、気分が悪くて……」


「待ってて、すぐに呼んでくるわ!」


 ーークリス。


「……ディオン様?」


 ーーよく頑張ったな。ゆっくり、休むと良い。


「そんな……わ、私は……まだ……」


 まだ、何もしていないのに。その一言を発することも出来ないまま……その日、私は意識を手放すしかなかった。

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