人たらし
先に戻ってお茶の準備をします。そう言ったイネスさんに後の事を任せ、私は殿下を迎えにテラスへ向かった。私の存在にはとっくに気付いているだろうに、彼は頬杖を突いたまま城下を眺めていた。
「この人たらしが」
テラスで待っていた殿下から発せられた一言は、まるで牢でのやり取りを全て聞いていたかのような確信に満ちていた。はい、むかつく。一泡吹かせてやろう。
「フランシーヌ様は協力を拒みました」
「嘘つけ。イネス殿が捨て身で交渉したんだぞ。失敗は有り得ん」
「じゃあ人たらしはイネスさんの方でしょうに」
「何かと恰好つけたがるお前のことだ。どうせ最後に王女らしくビシッと決めようと張り切っただろうなと思っただけだ」
……本当にむかつく。やっぱこの人は兄というより、悪友ポジションの方がよほど似合ってるな。
「殿下の慧眼には恐縮するばかりです」
「嫌味のレベルだけは王族級だな。それで、実際のところフランシーヌは使えそうか?」
「使えるかどうかはともかく、彼女に出来る限りの協力は期待できると思います。リンちゃんとシスター達の件、努々お願いしますね」
「もちろんだ。それじゃあ、あとは兄上次第……だな」
そこなんだよなぁ……この作戦を実行するためには、あの合成薬物をもう一度使う必要がある。それをエミール君が許してくれないと、そもそも全部が成り立たない。覚悟を決めたフランシーヌさんも、肩透かしを食らっただけになってしまう。それではあまりにも気まずい。
うんうんと頭を悩ませている私の横で、頬杖を突いたままの殿下が再び口を開いた。
「お前たちがフランシーヌと話している間、母君と今後のことについて話していた」
「今後のこと?」
「お前が、ディオン・フォン・ルグラン公爵と結婚した後の段取りについてだ」
は!?私抜きでそんな大事な話を!?
「そこは私を交えるべきでしょう!?私の将来にかかわる話ですよ!?」
「すまん、お前の母君と二人きりで話す口実に使わせてもらった。お前の母君は、俺にとっても義母に当たる人だろ。俺が物心ついたころには、もう母上はいなかったから……母親とはどんなものかと思ってつい、な」
……そこで弱さを見せてくれるなよ、ボリエ兄さんよ。そういうところ、ちょっとずるいぞ。
「それで?もし私がディオン様と結婚したら、何がどうなるんです?」
「自然な流れとして、お前は向こうのルグラン家に嫁ぐ形になるだろう。そうなった場合、お前の居住地はディオンが設定することになる。ディオンの事だから、お前とはよく相談してから決めてくれるだろうが、マルティネス王国の公爵領内である点は変わらない。つまり……」
「……皆と過ごす生活が、その時点で終わる。そういうことですか」
「……ああ」
振り返ってみると、私は幸せな人生を送ってきたと思う。平民としてなんの責任も無い幸福な子供時代を過ごし、学生になってからは唯一無二の友を得て、社会に出てからはその友人夫妻と共に仕事が出来た。そして今、それ以上の幸福を手にするべく、友であり兄でもある人が、こうして頭を悩ませてくれている。
これ以上の幸せが、あるだろうか。
「感謝いたします」
「なんだよ急に」
「私は良い友と兄を持ったなと思いまして」
「ふざけろ。そうだ言っておくが、お前が結婚できるのは死を回避した後だからな。生き急いで結婚して、マルティネス王国内で不審死を迎えてみろ。それこそ国際問題になりかねん」
「分かってますよ。第一まだ、ディオン様とは交際を始めたばかりです。手を繋いだことさえありません」
「なんだそれ、子供かよ」
「殿下ほどでは」
「こいつめ」
皮肉の応酬。友達同士にだけ許された、笑顔で交わす神聖な悪口合戦。このやり取りができるのも、残り僅か。そう考えると、どうしようもない寂しさに襲われた。
今が一番、幸せなのだろう。それでも……。
「戻れるものなら、戻りたいですねぇ。あの頃に」
気持ちを、抑えられなかった。
「………」
感情が、抑えられない。
「目の前の厄介事に追われて、犯人を追いかけて。罵倒し合いながら嘲笑いあって……意味不明な闇焼肉で、二人で悶絶して。こっそりお酒を飲んでみたりして」
……あの頃に、戻りたい。
「そして次の日、ドロドロになりながら、お互いにこう言うんです。『次はまともな肉にしよう』って」
……怖い。
「クリス」
「ふ、二人でやり直せたら……き、きっと披露宴でも、ちゃんと挨拶できるでしょうね。殿下と奥様、本当に、お、お綺麗でしたから」
怖い。
「殿下……わ、私ね」
……怖くて、体の震えを、抑えられない。
「わ、私……死にたくないっ……!幸せが待ってるのに、その前に死んじゃうことが……怖くて、怖くて、仕方ないですっ……!」
「クリス、落ち着け」
「落ち着いてますよ!こんなの上手くいくわけないって、頭では分かってますから!創薬を早めるために予言に頼る!?ふざけないでくださいよ!薬は魔法なんかじゃない!薬は薬です!飲む人によって効果が変わるわけがない!!どうせフランシーヌさんも、私が死ぬ姿しか予言できないに決まってる!!」
「クリス!?」
「それが薬草学なんですよ!!それがポーションなんです!!人間に出来る限界なんです!!何をやったって、私は死ぬしか――」
「~~っ、クリス!!」
――殿下に頬を叩かれたのは、これが二度目だな。余りの痛さと衝撃に、そんな場違いな考えが、脳内を過った。
「それが、どうしたっていうんだ……!」
「……っ」
「関係ねえよ、そんなこと!お前が助かる保証なんて、俺達には必要無い!!お前を絶対に死なせないって、皆で決めたんだよ!!お前を助けるために、皆で出来ることをしようって決めたんだ!!お前が諦めてどうするんだよ!!言っておくが、俺は最後まで諦めないぞ!!イネス殿もだ!!」
「で、殿下――」
「お前を助けるためなら、人の命を犠牲にしてもいい!!あのイネス殿がどんな気持ちで、そんな提案をしたと思っている!!お前を助けるためなら、神に背いても良いと、あの人はそう言ってくれたんだぞ!?お前がその想いを受け取らなくて、どうするんだよ!!」
いつもならすぐに浮かぶイネスさんの笑顔。
でも思い浮かぶのは――。
「……兄さん」
「………」
「死にたくないっ……!私……まだ死にたくないよぉ……!」
「お前は死なない。いや、死なせない。これは死んでも守る約束だ」
「うぐっ……!うぅ……!」
「俺が必ず助ける。必ずだ」
私の頭に乗せられた手は、頬を叩いたせいか、とても温かかった。
エミール君の崩御が、ヒューズ殿下より伝えられたのは、この翌日のことである。




