ノープラン
偽りの聖女フランシーヌと、詐欺に直接関わらなかった司祭たちは、地下牢ではなく地上の牢に収監されている。地下牢との最大の違いは、その衛生環境だ。
鋼鉄の扉で密室が作られているとはいえ、鉄格子窓による換気がしっかりされているため、肺を患いそうなほどのかび臭さが無い。それは衛兵にとっても優れた労働環境であることを意味し、地下牢を担当する衛兵と比べ、表情に僅かだが余裕があった。
私達の足取りも、地下牢を歩む時よりは軽やかに思えた。
「……はあああぁぁぁ……」
……一人を除いて。
「もうそろそろ、ため息を止めませんか?謁見の間を出てからずっとじゃないですか」
「だってー……クリス様が王女様だって認められるだけで、お立場がここまで変わるなんて、想像してなくて……。これからは、もうご主人様と御呼びすることも叶わなくなるんですね……」
重症だなー……。いや待てよ、現実的な問題もあるのか。このままだとイネスさんは失業しかねないんだ。これは私の方こそ、配慮が足りなかったかも。
「私が平民でも、貴族でも、王女でも王女じゃなくなっても、関係ないですよ」
「……え?」
「イネスさんには、私の隣に居てもらわないと困ります。私が王女様になった後も、その後も、ずっと傍にいてくれませんか?私にはイネスさんが必要なんです」
王女になった後、多分侍女が付けられるだろう。その時イネスさんがついてくれるなら、これ以上頼もしいことはない。
「お隣に……?お傍に……!?は……はい!!このイネス、一生クリス王女殿下とお付き合いさせて頂きます!!」
「え、お、おつき……?」
……ま、まあ、いいか。元気になったなら、それで。
「えっと……それにしても、よく偽りの聖女は、地下牢に収監されませんでしたね。主犯なら地下牢に入れられてもおかしくなさそうですが」
「その主犯であるかどうかが争点になっていたんだ」
殿下は先程のやり取りを聞かなかったかのように、冷静沈着だった。あまりにもあれで、意図的に忘れようとしてるだけかもしれない。
「彼女は姉妹ともども幼少より教会で育ち、俗世をロクに知らずに育ってきた少女だ。その少女が枢機卿や司祭から神の御心を教え込まれ、彼らの意のままに動かされたとするなら、彼女は教会の道具だったと見做すことが出来る。ならば主犯は彼女ではなく、彼女達を操った者達ということになるだろう」
そうであっても、彼女が居なければ詐欺は成立しなかったのだ。情状酌量の余地を考慮しても、異例の厚遇と言えるだろう。
「もしかして、教会への忖度も含まれた判断ですか?」
「彼女自身に、更生の余地があると判断されたまでだ。もしも彼女と枢機卿の立場が逆であれば、収監先も逆だったよ。彼女が自分の行いに疑問を抱かないほどの狂信者だったなら、話は違っただろうがな」
そう語る殿下の目は、イネスさんが聞いている前であっても、一切揺らいでいなかった。
「罪には罰が必要だ。女子供も、親兄弟も関係ない」
なるほど、殿下がそこまで断言するならば、そうなのだろう。この方は敵であれ味方であれ、常に平等かつ苛烈な判断と評価を下すのだ。実の兄に対してさえ、そうであったように。
「ここだ」
偽りの聖女は、しかし一番奥の牢に収監されていた。主犯とまでは言えずとも、共犯者ではあるので、相応の扱いと言える。
一瞬だけ痛ましげに眉を寄せたイネスさんは、すぐに聖女モードへと切り替えていた。
「彼女への説得は、私に任せて頂けますか?」
「それは元聖女だからですか、イネス殿」
「いえ、元シスターとしてです。私と彼女は、血が繋がらなくとも、神様に仕える姉妹達でしたから」
「わかりました、貴方を信じて待つこととしましょう。ではクリス、後でな」
「はい、ボリエ」
……そんな顔しないでくれ。衛兵の前なんだから、仕方ないでしょ。その衛兵も殿下を呼び捨てにしたことで、顔が強張ってるけど。
「……多分一生慣れないな、これは。酷い冷や汗だ」
「まあどっちに転んでも期間限定でしょうから、我慢してください」
名前で呼べと言ったのは貴方ですよ、殿下。
「くそ、俺も巨大な墓穴を掘っちまったもんだ……さっさと行ってこい。俺は外で気分直ししてくる」
……行ったか。さてと。
「イネスさん、交渉と説得にあたり、何かプランはありますか?」
「もちろん、オールナッシングです」
「な、無いんですか?大丈夫かな……」
「私はこれからフランに対して、命を捧げろと命じなければなりません」
ハッとしてイネスさんの顔を見ると、そこには悲壮感と同じだけの覚悟が込められていた。
「人の命を効率良く捧げさせるための算段をすれば、きっと私は敬愛する神様から見放されてしまうでしょう。それだけは、クリス様に頼まれても出来ません」
……確かに、そんなのはイネスさんには似合わないかもしれない。
「すみません、愚問でした。では、私の命とフランシーヌさんの命、イネスさんの直感に委ねさせて頂きます」
「はい、お任せください」
私とイネスさんは衛兵によって開けられた鋼鉄の扉をくぐり、牢の中へと入った。
牢の中は意外と広く、ベッドとトイレだけでなく、簡素なテーブルと椅子が設置してあった。ここだけの特別仕様かと思ったが、後の話によるとこれが標準らしい。懲罰よりも更生に専念させたいという、この国の思いが感じられた。
その部屋のベッドの上に、少女が腰掛けていた。
「……シスター・イネス?」
「お久しぶりです、フラン。今日は少し、お話ししたい事が有って来ました」
面会の為に用意した丸椅子を並べた私たちは、それぞれ扉と鉄格子の窓を背にして着席した。
フランシーヌさんはあの予言ショーの頃と違い、化粧をしていない。そのためか、あの時よりもさらに幼く見え、それが却って囚人服とのギャップを際立たせていた。
「お隣の方は、ひょっとしてボリエ第二王子殿下の秘書官さんですか?」
「覚えててくださったのですか。はい、クリスと申します」
すごい記憶力だな……。私と彼女は、予言のからくりを暴いた一場面でしかまともに会っていない。しかもその時でさえ、私やアベラール様に注目させ過ぎないように、ボリエ殿下の方が遥かに目立つ動きをしていたのに。
なるほど。あの予言ショーを担えたのも、この記憶力の賜物というわけだ。信者の顔や特徴、太陽が昇る時間などを全て覚えてなければ、あんな芸当は出来ないものな。
「この度は大変な御無礼を……皆様にはお詫びのしようもなく」
「お気になさらず。こちらこそ、騙し討ちのようなことをしましたので」
深々と頭を下げる彼女は、私よりもずっと素直で、正直な人間であるように感じられる。偽りの予言者をやってた頃も、皆のためだと心から信じていたんだろう。結果的には、その人柄が詐欺行為の信ぴょう性を高めてしまったわけだが。
「ありがとうございます。それにしても、シスター・イネスとこうして向かい合うのは、いつぶりでしょうか。なんだか懐かしいですね」
「ええ、本当に。フランが聖女になってしまってからは、交流する時間もありませんでした」
「そうでしたね……ああ、そういえば面会に来た妹と兄から聞きましたよ。メイドになられたとか」
「ええ、今はクリス男爵……ではなくクリス王女殿下にお仕えしています」
フランシーヌさんは純粋な瞳をまん丸にして、私の方へ向き直った。その輝きは、堕落する前のイネスさんに匹敵する。
「まあ……秘書官さんが、王女様だったなんて。肉親と結婚すると予言されたのですから、ボリエ王子殿下がお怒りになるのも当然でしたね」
「あ、いや、そこはちょっと順序が違ってまして」
「??」
「ご主人様、私から説明しますね。フラン、実は――」
イネスさんは、フランシーヌさんに全てを明かした。あの後発覚した、教会の補助金横領の顛末や、その騒動の中で私の正体が明かされたこと。そして教会が作った合成薬物によって、現教皇と私が予知夢に目覚めたことと、その副作用で命を落としかねないこと。
そのために必要な解毒剤のことも含めて、全てを。
「そんなことが……とても信じられません」
「しかし、現実なのです。クリス王女の命を救うには、貴方の力が必要です」
「私の力?」
「はい。フランにも予知夢に目覚めて貰い、クリス王女のための解毒剤の作り方を、予言してほしいのです」
フランシーヌさんは顔を青褪めさせたまま、両手を震わせた。あの合成薬物の危険性を知れば、恐怖するのは当然だろう。
「どうして、私なのですか……?」
「貴方が適役なのです。フランほどの記憶力と清廉な心の持ち主なら、創薬に必要な知識を短期間で習得しつつ、人を助ける為の予知夢を見ることができるはず」
「はずって……それじゃあ、クリス王女と同じ薬を、私も飲むのですか?飲めば死ぬかもしれない薬を……?」
「はい」
「無茶苦茶ではありませんか……」
直球が過ぎませんかね、イネスさん。それでは誰も受けないのでは……。
「無茶は承知です。しかしフラン、これは貴方にとっても必要なことだと思います」
「どういう意味ですか?」
「かつて貴方は、偽りの予言で民を悲しませました」
「……それとこれとは」
「別だと思いますか?私はそうは思いません。これはきっと、贖罪の機会なのです。自分以外の誰かのために、その人生を捧げて本物の予言者になれるのかと神に問われ、そして与えられた機会だと思います。今この手をつかみ、偽りの予言者だった自らの罪を、本物の予言者として贖いませんか」
熱弁と呼ぶには冷めた口調で話すイネスさんだったが、返ってきたのは失笑だった。
「シスター・イネス、貴方は変わりましたね。聖女だった頃の貴方なら、自分の願いを叶えるために神を引き合いに出したりはしませんでした」
「そうかもしれません。私にも、神様と同じくらいに、愛すべき人が出来ましたから」
「……私も、そうでした。貧しい生活を送る姉妹達と、実妹を助けるために、自らが聖女となる道を選びました。あれは自分の為でなく、教会の皆の為に始めたこと。だからこそ私は……自分に責任が無いように思いこんで、方法を間違えたのです。シスター・イネス、今の貴方も同じではありませんか?自らの希望を通すために、私の命を利用することが、道を外していないと言い切れますか?」
凛として話すフランシーヌさんは、イネスさんとは対照的な熱量があった。彼女の中にも彼女が信じる神がいて、それを侮辱されたと感じているのだろうか。あるいは過去の自分を辱められたように感じ、憤っているのだろうか。
「それも承知の上です。だから私も貴方とともに、その罪を背負う覚悟で来ました」
「え……?」
「一人では死なせません。私も同じ薬を飲み、貴方と同じ地獄を歩みましょう」
「イネスさん!?」
聞いてない、聞いてないぞ、そんな話は!?
「そ、そんなことをしても何も解決しませんよ!?ただイネスさんが危険な目に合うだけ――」
「お静かに、クリス王女殿下。ここは私に任せると言ったはずです」
「イネスさん……!?」
イネスさんは困惑する私を鋭い目で静止し、再びフランシーヌさんへ向き直った。そのフランシーヌさんでさえ、イネスさんの考えが分からないのか、何も発することが出来なかった。
「フラン、私はずっと後悔をしていました」
「こ、後悔……ですか?」
「貴方が聖女に立候補すると打ち明けてくれた時、私は貴方を本気で止められませんでした。貴方に聖女の重責を担わせる後ろめたさより、聖女という重荷から解放される喜びの方が、勝っていました。貴方が聖女をやってくれるなら……都合が良いと、内心でほくそ笑んでいたのです」
「……!?」
「すみませんでした、フラン。あの時私は、何をしてでも貴方を制止すべきでした。貴方がやろうとしたことは、まだ幼い貴方ではなく……年長であり、聖女だった頃の私が、逃げずに向き合うべき問題でした。すべての責任を貴方に押し付けて、逃げるべきでは、無かった」
深々と頭を下げたイネスさんから、行き場を失った涙が流れ落ちていった。
「…………でも私は、考えていたのです。一度責任から逃げ出した、今の私に出来るやり方で、貴方を救う方法が無いかと。何度考えても、考えつかないままでしたが……創薬の話を聞いて、これだと思いました」
固く握る手が、見えない何かをつかみ取ろうとするかのように震えている。私とフランシーヌさんは、ただじっとイネスさんの頭を見つめることしか出来ない。
「きっとあなたは模範的な囚人だから、数年後にここから釈放されるでしょう。しかし民衆は貴方の顔を覚え、憎しみを忘れていません。詐欺を働いた元聖女として、貴方を許すことはない。平穏な日々を送れる保証は、ありません」
「うっ……」
「でも……詐欺を暴いたボリエ殿下の妹君である、クリス王女殿下を本当の予言で助けたとなれば、風向きは変わるでしょう。人々の憎しみは消えません。貴方の罪も消えません。しかし王女を助けた功績もまた、これまでの予言と共に記憶されることになる。そうすれば……貴方の道は、外れた道から戻れるはず」
「外れた道から……戻れる……」
「……私が言えるのは、そこまでです。フランの言う通り、私は愛する人を救うために、貴方と自分の命を掛け金にしようとしています。その事実もまた、動かないのですから」
「…………っ」
「でも……もし僅かでも気持ちが動いたなら……お願いします。私の愛する人を、クリス王女殿下を救うために、フランと私の命を使わせては頂けませんか」
――長い、長い沈黙だった。
一分、二分と、過ぎ去っていく中で、私は何も出来ない自分の無力さに歯噛みするしかなかった。
……そろそろ5分も経とうかという頃に、口を開いたのはフランシーヌさんの方だった。
「創薬が上手く行けば、私にも解毒剤を、使ってくれますか……?」
「もちろんです。クリス王女をお救いした功績は、恩赦だけで収まるものではありません」
「もし上手くいかなかったら……」
「それでフランが罪に問われることはありません。しかし解毒剤の完成が遅れれば、恐らくフランと私もクリス王女に続く形で亡くなるでしょう」
「……」
息をするのも躊躇うほどの重苦しい空気の中、私はイネスさんに怒られるのを承知で口を開いた。
「イネスさん、恐らくフランシーヌさんが心配しているのは、自身の安泰ではなくシスター・リンのことだと思います」
「あ……」
教会でのアベラール様を思い出しながら、顔の表情を可能な限り引き締めた。今の私は王女なんだ。元シスターとして、友人として力を尽くすイネスさんの隣で、王女として出来ることを頑張らなくてどうするんだ。
今は王女らしく、堂々と胸を張るんだ、クリス・フォン・バシュレ!
「フランシーヌさん。クリス・フォン・バシュレ王女として、お約束します。たとえ私の命を救えずとも、その責任が貴方の姉妹達や、リンちゃんに及ぶことは絶対にありません。彼女たちの生活は、貴方が協力を約束する限り、成否を問わず安泰なものとすると保証しましょう。もちろん、この約束は文書にも残します」
「クリス王女殿下……!」
我ながら本当に偉そうだなと自嘲の笑みを浮かべた私は、ポカンと口を開けたままのイネスさんへ視線を移した。
「それと、イネスさんはあの薬を飲んじゃダメです。王女命令です、絶対禁止」
「へあ?」
「イネスさんは薬のセンスが全く無いので、たぶん飲み方を間違えて本当に死んでしまいます。フランシーヌさんと同じ地獄を歩む前に、そのまんま一人で地獄へ落ちたら意味が無いじゃありませんか」
「なああ!?そ、それ、ここで言っちゃいます!?フランの前で!?」
「死んでからじゃ恥ずかしいだろうなと思いまして」
「ムッキーーー!!」
イネスさんが憤慨する一方で、フランシーヌさんはくっくっと肩を震わせ始めていた。ちょっとふざけ過ぎただろうか?
「ふ、ふふっ……!あははっ!シスター・イネス、やっぱり貴方は変わりましたね。昔はこんなに愉快な人じゃありませんでしたよ」
「フ、フラン!?貴方まで私の覚悟が愉快だと!?」
「だって聖女だった頃のイネスは、もっと表情に乏しかったですよ。いつも微笑んでいて、優しくて。だけどきっと今の貴方が、本当のイネスなのでしょう。私は今の貴方の方が好きですよ」
「フランシーヌさん……」
「クリス王女殿下が、彼女を変えたのですね。でしたら……私も自分を変えることとしましょう。偽りの聖女を、消えない過去とするためにも」
浮かべた涙を乱暴に拭ったフランシーヌさんは、清廉な笑顔のまま両手を組んだ。
ちょうど鉄格子の窓から入る陽の光が逆光となり、彼女以外のすべてを白く染めあげていく。
彼女が放つ神聖な空気は、かつて聖女の服に身を包んでいた頃とは違い、本物だった。
「フランシーヌ・カーラインは、クリス王女殿下へ忠誠を誓い、その命を王女殿下と民を救うことだけに使うと宣誓いたします。この命を使い、本物の予言者となることを、お許しいただけますでしょうか」
そこに居たのは、まさに小さな聖女だった。




