本物の予言者
「そんな……!?」
「ご主人様、それは本当ですか!?」
「………」
教会本部での秘密会議を終えて、ここはボリエ殿下の私室。アベラール様とイネスさん、そしてボリエ殿下は、私とヒューズ殿下の報告を聞いて愕然としていた。
「予知夢の代償が、成人後まもなく迎える死……しかも、治療法がまだ無いだなんて……」
そしてそれさえも、私達の推測に過ぎない。エミール君の予知が示したのは、ただ私が死ぬ未来だけだ。
「これまでも何度か死ぬような思いをしてきたが、今回のは極めつけだな。まさか、何もしなくても死ぬとは」
「ねえクリス、拮抗薬……だったかしら?私は詳しくないのだけれど、それをこれから作るのって、現実的に見て可能なの?」
奥様の心配を払うべく、私は間髪入れずに頷いた。
「ええ、可能だと思います。まず現教皇であるエミール君が、既に合成薬物のレシピを押さえてくれています。それに教会の植物園には、合成薬物の材料となる薬草が植えられているはずです。その成分を分析すれば、十分に実現できるでしょう」
ただし非常に大きな課題をクリアできれば、だが。
「一つ補足させて欲しい。クリス君と私は便宜上、拮抗薬と表現しているが、厳密には異なる。拮抗薬とは通常、副作用を薄めて主作用を効果的に発揮させるため、他の薬と一緒に飲むものだ。今回作るものは実質、今彼女を蝕んでいる主作用を打ち消すための新薬だと考えてくれ」
「創薬、か……」
エミール君とヒューズ殿下の予測が正しければ、この薬は通常の薬物とは比較にならないほど、超長期に渡って血中に残留し続ける代物だ。汗や尿による排泄が望めないなら、薬効を別の形で打ち消すしか無い。
難しい顔で腕を組む殿下の横で、アベラール様がおずおずと手を挙げた。
「あの、もう一つ。教皇とヒューズ殿下は、あくまで血中に残留する薬の成分が問題だとお考えなのですね?」
「そうだ」
「でしたら、クリスの血液を全て交換することでも、対応出来ませんか?毎日少しずつ血を抜いて、抜いた血液の代わりにヒューズ殿下や陛下の血液を輸血すれば、いずれ体の中の薬成分を排除できます。これなら新薬を作るより、もっと確実だと思いますけども」
なるほど、かなりの荒業ではあるが、一理ある。ただ、現実的とは言えないだろう。
「奥方の発想は面白いが、残念ながら確実とは言えない」
「何故ですか?」
「輸血そのものに大きなリスクが伴うからだ。親類縁者の血液だろうと、必ずしも安全とは限らない。それを毎日続けるのは、あまり現実的ではない」
流石はヒューズ殿下、中々博識であられる。
「奥様の言う方法は、血液交換法と呼ばれる治療法に少し似ていますが、あれも全ての血液を総入れ替えするものではありません。リスクについては、ヒューズ殿下の言う通りで、常に命の危険が伴います」
輸血の有用性は認識されているが、血液交換法も含めて、まだ世間一般には実用化されていない。血液が本人とマッチするか、事前に調べる方法が確立されていないからだ。現時点では拒否反応が出ないことを、神に祈る以外に無い。
当然のことながら、全身の血液を全て交換できるほどの大規模輸血など、過去にも例が無いだろう。正直、賭けにもならない危険な行為だ。
「そうなのね……いい案だと思ったのに……」
「いや、面白い発想と思いますよ。私では考えつきませんでした」
それでも、アイディアは大事だ。この際、どんな方法でも候補に入れておきたい。
「もし新薬の開発が間に合わなかったら、試してみましょう」
「悔しいわ……貴方を助けてあげたいのに、私は何もしてあげられないのね。卒業の時からずっと、私は貴方に助けてもらってばかりだわ」
「その御言葉だけで十分ですよ、奥様。また何か思いつきましたら、教えてください」
「ええ、わかったわ。もし必要なものがあれば、言ってちょうだい。公爵家の力も合わせて、必ず貴方に協力するわ」
アベラール様なりに、私を助けようと必死になって考えてくれているんだ。本当に、私には勿体ない人だと思う。
「状況はよく分かった。ほかに報告はあるか?」
「いえ、これで全てです」
「いいや、まだ言ってないことがあるだろ」
あの、殿下……?顔が物凄く怖いんですが……。
「クリス君と皆に誓って、今のが教会本部で見聞きしたことの全てだ。ここで我々が、隠し事をする意味は無いだろう」
「ええ、兄上に嘘偽りは無いと思います。俺が言っているのは、こいつが腹に抱えてる問題についてですよ」
「クリス君の問題……?」
奥様とヒューズ殿下の目が、やや訝しげに私の方へ集中した。
「ご主人様、何を隠しているんですか?」
ええ、イネスさんまで……。
「無意識でしょうけど、ご主人様は隠し事をする時に目が左に泳ぎます。お願いです、隠し事はやめてください」
イネスさん、私への理解度がやけに高いですね!?
「そんなに言い難いなら俺が言ってやるよ。新薬を一年以内に作れるって話は、嘘なんだろ」
「なんですって!?」
「どういうことだ、クリス君?」
う、うわぁ……全部バレバレかぁ……。
「はあ……流石です。よく看破されましたね」
「ご主人様は分かりやすいですから」
「お前を王国付薬剤研究部門の、嘱託職員に推薦したのは俺だぞ?それくらいの知識が無くてどうする」
そういえば、そんな役職もありましたねぇ……嘱託と言いつつ、ほぼ全て殿下の秘書に専念してたから、半分忘れてましたよ。
「すみません、皆さんに心配掛けたくなかったんです」
「もう生き死にに関する隠し事はやめろよな。……さて、創薬には最低でも10年は必要だと聞いている。物によっては15年掛かっても不思議ではない。通常の方法では絶対に間に合わないぞ」
「10年……!お薬を作るのって、大変ですのね」
そうなんだよなぁ……解決すべき最大の課題、それは短縮困難な開発期間だ。
「基礎研究を数年、非臨床試験を何年も掛けて繰り返して、ようやく臨床試験に臨めるのが創薬だ。加えて、クリスの薬草学と調合スキルは素人目で見ても中々のレベルだが、まともな創薬の経験は無いはずだ。創薬と調合は、それぞれ別の専門分野だからな」
……どうしたものかな。言葉を積めば積むほど絶望的に思えてくる。
「ですがボリエ様、来年にはクリスが亡くなるかも知れませんのに、そんな悠長なことは言ってられません」
「わかっている。だがやはり、普通の方法では無理だ。下手に博打を張って調合すれば、ますます死期を早めかねない」
「そんな……」
普通じゃない方法なら、何かあるだろうか……?手段を選ばなければ、何か……?
「ご主人様。予知夢を使えば、新薬の作り方を予め調べられるのでは?」
「それだわ!その方法なら基礎研究と非臨床試験を大幅に短縮できそうじゃありませんか!クリス、どう!?」
「残念ですが、私では直近の死を予知するのが精一杯なんです。実はエミール君もそれには気付いてるみたいで、頑張って予知を試みてくれています。でも……」
「……その教皇でも、死に様しか見えないらしいのだ。二人ともそれぞれが、死を直視することを望んでいるからだそうだ」
悔しそうな顔で私たちを見送るエミール君が思い出された。
『ごめん、やっぱりぼくには二人の死に様しか見えない。たぶん、ぼくもお姉ちゃんも、予知に目覚めた時に死を直視することを望んでいたからだと思う。ぼくの望みは、ぼくを取り巻く人々の死を回避するため。そしてお姉ちゃんは、自分自身が生き延びるため』
『生きるために、死から目を逸らさない……か。クリス君らしいな』
『うん。でも、もしかしたらだけどーー』
「ーーご主人様。もしかしたら、心から人々の生や幸せを望む者であれば、幸福へ繋がる予知を視ることが出来るのではありませんか?」
イネスさんの声は、まるでエミール君の言葉と意思を繋ぐかのようだった。
「それは我々も考えたが……」
「エミール君の協力を前提としても、あまりにも課題が多過ぎます。まず一番は、創薬が失敗した時に死が約束される事を説明して、新たな予言者がそれを受け入れられるか。そしてもう一つの課題は、そもそも人の幸せを最優先に出来るほどの、清廉潔白な人間がこの世にいるのかどうかです」
「……わ、私なら」
「絶対に駄目です。というより、イネスさんには無理です」
イネスさんの立候補を、私は即断ち切った。彼女だけは絶対に駄目だ。
「そ、そんな……やってみないと分かりません!」
「そうよクリス。イネスさんはこう見えても元聖女なのだから、意外と成功する可能性は高いと思うわ」
「こ、こう見えて……?私のこと、どう見えてるんですか……?」
……そりゃ、酔いどれ駄メイドでしょ。闇焼肉での大暴れっぷりを見ればさ。
「すみません、人間性の問題じゃないんです。私もそこは問題無いと思うんですが、その……イネスさんはですね……」
「「「イネスさんは……?」」」
………薬草学に関するセンスが、絶無なんです。
「……は?」「え?」「センス???」
「ですから、ポーション調合のセンスが皆無で、薬草学とかも全然覚えられないです、この子。私も何度か実家を手伝ってもらおうとしたんですよ。でも何度説明しても器具を間違えるし、ヒールポーションの調合で毒草入れそうになるし、隠し味に毒キノコ入れそうになったりするんです」
「ちょ!?ご、ご主人様!?」
「あの温和でいつもニコニコしてるお母さんが、『メイドさんの方が向いてるわよ』って真顔で両肩掴むレベルです。これでも予知能力を持たせるに相応しいと、皆さんはお思いですか?史上最も難易度が高いかも知れない、創薬を成功させてくれると?」
もちろん、全員が同じタイミングで首を横に振りました。ですよねー。
「むむむ……でも、それなら人間性が私と同じくらい清廉で、かつ私より覚えの良い子なら、候補に挙げられるんですね?」
「ま、まあそれはそうですが。もしかして、聖堂のシスターに候補者が?」
俗世に染まって無くて、人々の幸せを祈れる人達がいるとしたら、彼女達も候補に挙がるだろう。でもあそこのシスター達、聖堂の前で海鮮焼きを売ってた前科があるからなー……。
「シスターではありませんが、心当たりはあります。ですがそのためにはボリエ王子殿下の、力添えが不可欠です」
「私の力添えですか?ええ、それは構いませんが……いったい何をすれば?」
「その者に恩赦を出して頂きたいのです」
え、まさかの犯罪者!?
「クリス・フォン・ルグラン男爵……いえ、クリス・フォン・バシュレ王女の命を救うためだけに使うと誓わせた上で、その罪人に予知能力を授けてください。その代わり創薬が上手くいった時は、その者の釈放を許可して頂きたいのですが」
「…………おい、待て。イネス殿、まさかその候補者って!?」
「はい」
ーー偽りの予言者。フランシーヌ・カーラインです。
イネスさんの衝撃的な提案は、一時保留となった。恩赦を与えられるのは国王陛下だけであり、あの場では決められなかったからだ。
この日はそれでお開きとなった。皆疲れていたし、頭を整理する必要性を、全員が認めたからである。
私と殿下は、私室から少し離れたテラスにて、二人で月を眺めていた。アベラール様は、何も言わずに見送ってくれた。
「はああぁぁぁああ……俺、この一年で五年分は老け込んだ自信あるよ。なんで俺じゃなくて、お前ばっかり死にそうになるかね。しかもここにきて、偽りの予言者を本物にしろと来たもんだ。色々ありすぎて、落ち着く暇もありゃしない」
「殿下……」
「……ん?ははっ、そんな不安そうにするなって。今回も大丈夫だよ。俺達二人で、学生の頃から散々死線をくぐって来ただろ?訳の分からん薬なんかで俺達が死ぬかよ」
お疲れなのに、私を気に掛けてくださるのですね。
「……はっ、そうですね。特に一年目に取り組んだ、白い粉事件は酷かったです。あの頃の殿下は、私のことも便利な駒みたいに扱ってて」
でも、大事な一線だけは越えないでくれていた。王子と手下ではなく、対等な友人で有り続けることを選んでくれていた。
「わ、悪かったよ、あれは本当に反省してるんだって……お前、サッパリしてるようで、結構根に持つよな……」
「ふふっ」
……それぞれの決着、か。
私もアベラール様に、倣うとしようかな。もう、時間は残されてないかもしれないし。
「ねえ、殿下。最後の闇焼肉で、奥様が私達の仲を疑ってたの、覚えてますか?」
「あれこそ一生忘れない自信がある。あの後、マジで大変だったんだからな……アベラールのやつ、よりにもよってベッドの上で虹色の滝をーー」
「私も私で、この気持ちに決着を付けたいなと思いまして」
「……ん?なんの話だよ」
殿下、すみません。貴方に振り回されているようでいて、私はずっと貴方に甘えてきました。
三年間の学園生活。その後の披露宴。教会本部でもなりふり構わず助けてくれて……。そして、ディオン様のことも。
全部、貴方がいなければ、成り立ちませんでした。楽しい日々を送れたのも、同じくらい苦しい思いをしたのも、殿下がいたからです。
その感謝と、思いを、ここで伝えさせてください。
「あの合成薬物を口にした時、最初に視た夢は……殿下と私の、結婚披露宴だったんですよ」
「はああっ!?お、俺との!?俺とお前が、結婚してたってのか!?」
「はい。私は、それを避けるべき未来として視たのだと思っていました。しかし、多分それは違ったんです。今までは認めてこれませんでしたが、今なら言えます」
もう、否定はしない。あの日に見た幻覚は、きっと私が望んだ夢だった。
でもそれは、多分殿下と本気で結婚したかったからじゃない。
今の関係を、終わらせたかったからでもない。
貴方と家族になりたいと、思っていたからだ。
「いや、あの……悪いが、その話はここまでにしよう。いくらお前でも、それ以上は駄目だ。俺も、聞かなかったことにするから」
「最後まで聞いてください、殿下。嫌なのは分かっています。何を突然と思うかも知れません。ですが……お願いします。私にはもう、時間が残されていないのかも知れないのです。たった一つだけ、私のワガママを、叶えてはくれませんか?」
私はずっと、この人に憧れていたんだろう。
女としてでなく、友としてでもなく。
「クリス、お前……?」
「……もしも無事に生き延びれたら、殿下のことをーー」
ーー兄さんと、呼んでも良いですか。
その日の月は、とても大きな満月だった。




