力の代償
「偉くなるもんじゃないよねー。子供相手に大人がペコペコしてくるし、唯一の趣味だったオルガンも弾けないしさ。ほんとつまんないよ」
「エミール君……」
「お姉ちゃんも男爵になった時は、こんな感じだったのかな?」
苦笑いを浮かべているエミール君の顔は、顔立ちに似合わず大人びて見えた。
「エミール様。このような機会を頂いたこと、誠に感謝に堪えませぬ」
「えー?ヒューズさんが感謝すること無いよ。される謂れも無いし」
「妹に慈悲を下さったのですから、感謝するのは当然でありましょう」
「ふーん?大人って大変だね。子供相手に聞きたいことも正面から聞けないなんて」
今度の笑みには、哀れみすら含まれていた。予知能力のせいか、心の奥底まで見透かされているような錯覚を覚える。
「んじゃ、まずはぼくとお姉ちゃんの力の正体を教えてあげるよ。でもその前に、お姉ちゃんの見解を聞きたいな。どう、何かある?」
もちろん、ある。ただ誰かに考えを披露するのは、これが初めてかもしれない。
「あくまで私の力に限定するなら、あれは正確には予知ではないと思います。恐らくは、私が最大限想像力を働かせた結果が、夢として現れるのでしょう」
「ほうほう、大胆な仮説だね。で、根拠は?」
「夢の中身が、全て私が知り得た情報のみで構成されているからです。まず引っかかっていたのは、合成薬物を口にして最初に見た夢が、ボリエ殿下との結婚披露宴だったことです」
「何っ!?クリス君、それは本当なのか!?ボリエは腹違いとは言え兄妹だぞ!!?」
「いやだから、夢だってヒューズさん。ていうか、その時は兄妹だなんて皆知らなかったでしょ?ちょっとは落ち着きなよ」
最年少のエミール君に正論で窘められるとは……。最近のヒューズ殿下は、そこかしこでポンコツっぷりを見せてくる。頼むからこれ以上、幻滅させないでおくれ。
「……あの時は、心の奥底にある願望が形になったのだと思いましたが、今思えばそれも逆だったのでしょう。私の夢は、常にそれを避けるべきものとして現れます。しかもあの時の夢は、直近の過去が改編された形で現れました」
「過去の夢だと?予知夢というからには、未来だけが見えるものだと思っていたが……」
それこそが、この力の根幹に係る部分なのだろう。
「その夢では、私は奥様と同じドレスを身に纏い、殿下が私に甘い言葉を掛けていました。同じドレスだったのは、私がそれ以上のドレスを知らなかったから。そして甘い言葉の意味は、それが私達の関係を壊す最大の要因になるから」
事実、アベラール様は私とボリエ殿下の関係を、結婚後も少し疑っている節があった。あの時の私は、三人の関係が壊れる未来を一番恐れていたのかもしれない。
「ですがその仮説が力を持ったのは、教会絡みの夢を見た時です。聖女から断罪される夢を見た時、私はステンドグラスだけが鮮明に見えて、それ以外は曖昧で、聖女の顔も見えませんでした。それは私に聖堂へ通う習慣が無く、幼少期の洗礼に失敗した時、子供の目から見た大きなステンドグラスが印象に残ったからです。そして聖女の顔が見えなかったのはーー」
「……クリス君が、聖女を見たことが無かったからか」
「そうです。同じ現象が、教会本部で処刑される夢でもありました。城下町の聖殿に近い内装と、壮年であること以外は漠然とした姿をした教皇、そして聖剣による即決処刑。私は現実として処刑される可能性と、その手段までは鮮やかに想像できましたが、見たことのない内装と人物像はイメージ出来なかったのです」
そして、私がこれらを予知夢だと錯覚していた理由は、酷く単純なものだった。
「つまり力の正体は、予知ではなく、既視感。私の想像が及ぶ限りの未来を事前予測し、それを夢の形で表現しているだけに過ぎない。そして私の予測に過ぎないからこそ、予知夢は絶対のものでは無く、結果を変えることができる」
その逞しい想像力で幾つかの未来を当ててきたから、まるで決定された未来を変えてきたかのように、私自身が錯覚し続けていたのだ。
「これが、私の見解です」
「あははははっ!すごいすごい!殆ど正解だよ、お姉ちゃん!流石っ!」
手を叩きながら笑う姿は、やはりどこか子供離れしているように見えた。この子……見た目よりも年齢が上なのだろうか?
「では今度はエミール君が話す番です。エミール君の力は、明らかに私のそれを超えています。私は自分の未来しか予測できませんが、エミール君は他人の悲劇が予知できる、完璧なーー」
「ううん、ぼくもお姉ちゃんと同じさ」
…………え?
「同じ……?」
「ぼくも自分が知ってる範囲の情報で、予測してるだけなんだ。確かに他人も対象に出来る分、力は強いよ。でもそれは、良いことばかりじゃないんだ。だって、ぼくはーー」
ーー目を閉じてる間、それがずっと視えちゃうんだから。
「……ずっととは、どういう意味ですか?」
「ずっとは、ずっとだよ。ずーっと視えるの。ぼくはここでお姉ちゃん達と話してる間、何度か瞬きをしてる。その瞬きの数だけ、二人の死に様が視えるるんだ。婚約者に刺されたり、馬車ごと崖から落ちたり、ポーション調合に失敗したり……色々な死に様をね」
そんな馬鹿な!?
「そんなの、正気でいられる訳がありません!!私なんて、一度夢で見るだけでも酷く消耗したんですよ!?」
「あはっ、とっくに狂ってるんだと思うよ。想像してみてよ。目を閉じてる回数だけ、好きな人が絶叫したり、悲鳴を上げたりしながら死ぬ姿が視えるんだよ?こんなの、まともでいろってのが無理だよー」
エミール君の見た目に、違和感を覚える理由が、ようやくわかった気がする。
誰よりも多くの人を、毎日、日常的に眼の前で看取って来たから、年齢の割に老成しているように見えるけど……それはきっと、辛い経験を通じて大人になってる訳じゃない。
「今よりうんと小さい頃から、断末魔を子守唄にして眠ってきたぼくの気持ちは、流石にお姉ちゃんでもわからないと思うよ」
……ただ、誰よりも……疲れているだけなんだ。
「…………エミール様、私からも質問をしてもよろしいでしょうか」
「どうぞ、ヒューズさん」
「合成薬物のレシピは、未来予知を使って貴方が作ったものではないのですか?」
その問いかけに対し、返ってきたのは軽蔑の目線だった。
「冗談でも怒るよ?あんな忌まわしいもの、ぼくが作るわけ無いでしょ。そもそも順序が逆。ぼくは、あの薬のせいでこうなってるんだ。それにポーション作りの知識が無いんだから、仮に材料を知ったからって、作り方なんて未来予測できるわけ無いじゃない」
「では誰が……」
「パパだよ。大昔の文献に残ってたんだって。埃被った毒薬のレシピを、無駄に産ませた子供で試した、最低な父親さ」
ひとまずエミール君が、兄弟殺しの片棒を担いで無かったと知れたのは良かったけど……一方でヒューズ殿下の顔色は最悪を極めていた。
「では……あの日、あの場面で合成薬物を使えば、ボリエは死なずに予知能力を得られるという、あの御言葉は……嘘だったのですか?」
「このぼくが、そんなことを許すと思う?ぼくと同じ思いをする人間が増えることを、許すとでも?」
「……!!!」
「パパの同類に、幸せな未来なんて、教えるわけ無いでしょ。ばーーーか」
その嘲笑は、これまで見てきたあらゆる笑みが愛らしく思えるほど、深い闇に染まっていた。
エミール君の悪意を、私が感じ取れなかった理由はこれだったんだ。確かに彼はとても純粋で、巨大な悪意を持っている。憎い相手の不幸を願い、絶望する様を見て歓喜出来る悪意が。
しかし、その向き先は私ではなかった。嫌悪する父親と、その同類と見なした人間にのみ向けられている。
だからヒューズ殿下は……。
「でもあれは失敗だったな。まさかお姉ちゃんがぼくの予知を覆して、ぼくと同じになるなんて。結局ぼくも、パパと同じ悪事に手を染めることになってしまった。これじゃヒューズさんを笑えないかもねー」
きっとこの子は、ヒューズ殿下だけではなく、父親の同類と見なした人間全員を憎み、そして破滅する末路を教えていくのだろう。
この先も、ずっと。
「ぼくがすべての元凶だと思った?まあ、お姉ちゃんのことを傷付けたのも、ある意味でぼくの予言のせいだし、ヒューズさんにとっては大差無いのかもね。で、ここまで来たのは報復のため?」
「……申し訳ありませんでした」
「なんの謝罪?謝ってほしいのは、本当はそっちなんじゃないの?それともぼくが教皇だからーー」
「いいえ、エミール様。謝るべきは、私の方です」
ヒューズ殿下……泣いてる?
「私はボリエを王にするためには、謀略も顧みなかった。その選択をしたことは、後悔していません」
「白々しいね。それが何だとーー」
「ですが、年端もいかぬ子供を共犯者にすべきでは無かった。私の野心に、貴方は無関係だったというのに、貴方の予知能力に目が眩んだ私は、それを得ようと……無意味に貴方や弟妹を傷付け……遂には隣国の王子をも、喪わせてしまった」
王族は、絶対に頭を下げない。頭を下げるのは断頭台に乗った時か、生みの親に対してだけである。
「心より、謝罪申し上げます。……すまなかった、エミール君。大人である私が、子供である君に甘えるなんてことが、あって良いはずが無かったのだ」
絶対に犯してはならない禁をーー
「気付くのが……あまりに遅過ぎた……!」
ーーたった一人の少年のために、破っていた。
「……ふーん」
「………っ」
「ちぇっ、つまんないな。僕の予知だと、ヒューズさんはニコニコしながら、僕の悪戯を遠回しに責め立てるはずだったのに。これじゃ、ぼくが悪者じゃないか」
「い、いえ、そのような」
「分かった分かったってば。まあ、一生許してあげないけど、パパの同類って部分だけは撤回してあげるよ。少なくともヒューズさんは、自分のためにアレを使った訳じゃないんだからさ」
ヒューズ殿下の顔は晴れない。多分、ボリエ殿下のために動いてきた謀の全てが、一つも自分の為ではないとまでは、言い切れなかったからだろう。その複雑な心境を、エミール君は汲み取れたのか、どうなのか。
少なくとも、バツの悪そうな顔からは、あの闇深い笑みは消えていた。
「さて、すっかり話が逸れちゃったね。お姉ちゃんが死ぬことについても話さないと」
「……やはり、私は死ぬのですか?」
「うん、死ぬよ。それも一年後にね」
そんな、あっさりと……いや、勿体ぶっても仕方ないか。
「死因は何ですか?」
早く、対処法を考えないと。
「あの薬の副作用……いや、もしかしたら予知能力の方が、副作用なのかもしれない。あの薬を飲んだ時にぼくが見たのは、死んだお兄ちゃん達とママ、そしてパパと一緒にピクニックに行く夢だった。お姉ちゃんは否定したけど、やっぱりぼくは心の奥底で望んでいた夢を見せるのが、あの薬の主作用だと思う」
…………いずれにせよ、仮説は仮説だ。今はどっちでもいい。
「クリス君が死ぬということは、まさかエミール様も?」
「もちろん、ぼくもいずれは。でもお姉ちゃんの方が深刻だと思う。ぼくのお兄ちゃん達が死んだのは、飲んだ量の問題もあったと思うけど、一番の原因は年齢なんじゃないかと思うんだ」
「年齢、ですか」
「うん。だってぼくも、お姉ちゃんと同じくらいの齢で死ぬんだもの」
全く、この子は……!!
「それにそう考えれば、ぼくの方が力が強い理由にも説明がつくでしょ。あの薬はきっと子どもの時しか使えなくて、幼い子ほど強い力を発揮するんだよ」
「一年後と言うと、クリス君が20歳を迎える頃だろうか。一定の年齢で脳が耐えられなくなるのか、薬の成分がその年齢を境に致死性を持つのか……」
「多分、後者じゃないかな。前者なら力が強いぼくは、もっと早くに死ぬはずでしょ」
「確かに。であれば、アレの拮抗薬を用意すれば、相殺することが出来るかも知れませんな。クリス君ならば、材料とレシピさえあれば、作製できるでしょう」
ううむ……悪意のないエミール君とポンコツじゃないヒューズ殿下が揃うと、妙に頼もしく思えてくるから不思議だ。因縁さえ無ければ、この二人は結構仲良しになれた気がする。
「へえー、意外と良い意見を出せるんだね。謀略だけが能の政治家だと思ったのに」
「可愛い弟妹のためですから。貴方もその中に加えて差し上げましょうか、エミール様」
「調子のるなよ、ブラシスコン王子。一生許さないって言っただろ」
「これは手厳しい」
いや、今からでも遅くはないはずだ。そのためには、私が死ぬわけには行かない。私が死ねば、二人にとって消せない傷になる。
「仲直りできてよかったですね」
「誰が!」「はっはっは」
生きる決意を固めた私は、意識を未来へと向けた。




