ネッチョリした薬とちらつく友人の顔
馬車での移動は快適とは限らない。王家の馬車は最高級品であり、上等なクッションが使われているものの、整備が甘い道を木の車輪で走れば、当然激しく振動する。
車輪の外側に緩衝材を巻く提案もされたようだが、緩衝材の固定方法と交換手入れが課題になっており、実用化にはもうしばらく時間がかるだろうとされていた。
私は幼少の頃から野原を駆け回り、麻布を尻に敷きながら坂道を滑り落ちるような生活を毎日送っていたので、馬車に何時間乗っていたところで酔うことはないだろう。
が……それは養育環境としては若干特殊であったと、ここに至って自覚せざるを得なかった。あのヒューズ殿下が、ダウンしたのである。
「う、うえ……」
「大丈夫ですか?ヒューズ殿下」
「うぶ……すまない……駄目そうだ……」
馬車酔いか……城下町から暫くは街道らしく整備されているけど、そこから先は半分獣道みたいなものだ。むしろ前回の四人組パーティーが、馬車に強過ぎたのかもしれない。
そういえば、かの隣国での食事会でも、ヒューズ殿下は少し遅れて到着していた。あれは途中休憩を挟んだからだったのかな。
「一旦馬車を停めて、少し休みましょう。頭の中が揺れたままでは、到着した先で何も出来ません」
「本当に、すまない……」
うわ、あのヒューズ殿下が素直だ。よほど苦手なんだな、馬車移動。
……こんなに苦手なのに、同行してくれてるんだよな。きっと、私のために。
この人に対する感情は、複雑だ。自信を漲らせて挑んでいた隣国の食事会と、平民だった私に対する高慢な態度。私が男爵になる直前の挑発、そして母が襲われた後の、とても寂し気で辛そうな目。
発言とは裏腹に向けてくる、真っ直ぐで深い愛情。
そのどれもがヒューズ殿下であり、王子であり、そして兄なのだ。
「馬車酔いに効く薬を作ります」
「た、助かる……」
私は私に出来ることをやろう。今の私に出来ることは、平民だった頃に培ってきた知識で、少しでも負担を軽くしてあげることだ。
馬車から少し離れると、小さな沼を見つけた。沼地では薬草よりも、小動物の方が手に入りやすい。沼にしか住まない小魚や蛇、そして虫などだ。また薬草の方も、数の種類は少ないが、一応手に入る。
私はその中の一部を入手し、袋の中に詰め込んだ。草じゃない物も生きたまま詰め込んだので、袋がもぞもぞと動いてしまっている。
「生きがいいね。でも薬の正体は、明かさない方がいいかもな……普通に吐き出しちゃいそうだし」
人間、知らない方が良いことも多いのである。しかしこれ、中身を見たら大抵の人が絶叫を上げるだろうな。良薬口に苦しとも言うらしいが、見た目もアレでは飲む気は起きまい。
「……エミール君はどっちだろう」
一見無邪気な少年に見えた彼の中身は、はたして猛毒なのだろうか。それとも大病を治す薬なのだろうか。彼は、どちらになろうとしているのだろう。
私の希望は、今も変わらずボリエ殿下を王にすることだ。もしその障害になるというのなら、私が取れる道も限られてしまう。
そしてそれすらも、予知されているのだとしたら……。
いやいや、そこを考え出したらキリが無い。今は自分に出来ることをやろうと決めたばかりじゃないか。
私は携帯していたポーション作成キットを使い、こっそりと酔い止めを調合した。粉にする時間も無いので、ちょっとばかしネッチョリしているが、我慢してもらおう。効果だけは確約出来るし。
数分後、即席の酔い止めを作った私は、少し苦い事を告げてから、お水と一緒にヒューズ殿下に手渡した。味わわなければ、地獄を味わうことは無いだろう。
「〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!!?」
「だから苦いと言ったのに……」
「す、少しだと……!少しだと言ってたじゃないか……!!」
どこか既視感を覚えたやり取りに、ほんの少しだけ頬が緩んだ。なお酔い止めの効果は確かに有ったようで、ヒューズ殿下はどこか憮然としたままだったが、再び胃の中を吐き出すようなことは無かった。
そして、私はついに、教会本部へと再び足を踏み入れた。かつては文字通りの門前払いを食らったものだが、今回は半ば招待されているのもあってか、神殿騎士も笑顔で対応してくれた。
「お待ちしておりました、クリス男爵。そしてヒューズ第一王子殿下」
「お久しぶりです、カールさん」
神殿騎士カール・カーライン。ボリエ殿下に顔と名前を覚えられてしまった、不運な人物の一人である。
「現教皇エミール・ベルクール氏へ拝謁すべく、参上いたしました。通していただけますか?」
「教皇からは既にお話を伺っております。どうぞ、ご案内いたします」
奇妙な話だ。私とヒューズ殿下は手紙を受け取った当日に出立しており、教皇が本日の訪問を知っているはずがない。いつ来ても歓迎するように申し伝えていたのか、それとも今日この時間に来ると分かっていたのか。
神殿騎士に囲まれながら、神殿までの長いようで短い道を歩む。あの日と違い、今回は頼れる友がいない。今更になって、イネスさんの顔が思い浮かんだ。前回のように彼女が隣にいてくれたら、どんなに心強かったことだろう。
「クリス男爵。先日、妹達に会うことが出来ました」
その内心を慮ってのことではないだろうが、先頭を行くカールさんが声を掛けてくれた。
「リンのこともそうですが、罪人であるフランシーヌに対しても人道的な処置を下されたこと、深く感謝申し上げます」
「面会出来たのですか?」
「ええ、ボリエ第二王子殿下にご相談したところ、快く受けてくださいました」
殿下め、いつの間に……来てるなら来てると、教えてくれたって良いだろうに。
そのやり取りを聞いていたヒューズ殿下も、ボリエ殿下の名前が出された事で、カールさんが何者なのか察しがついたようだった。
「ああ、誰かと思えば、貴殿はフランシーヌ氏の兄君なのか。彼女については、近日中に仮釈放の目途が付いたと聞いているよ。模範的な囚人で、再犯の恐れが無いのが理由だそうだ」
おいおい、初耳だぞ。もしかしなくても、それは非公式情報なのでは?
「それは本当ですか!?」
「多額の保釈金さえ払えば、だがね。それもボリエに相談してみなさい。彼は顔と名前を覚えた相手であれば、だれよりも寛容だから」
「ああ……!感謝に堪えません。ありがとうございます……!」
ペコペコと頭を下げているカールさんを見て、私は少し複雑な気分になった。彼にとっては素晴らしい情報だろうが、今言うことだろうか。以前から感じていたことだが、ヒューズ殿下は庇護すべきと感じた相手に対して、無制限に近いほど甘くなる傾向にある。
「ヒューズ殿下……」
この場合、甘いのはカールさんに対してではない。間違いなく、私とボリエ殿下に対してだ。私があの方から何も聞いていないと判断した彼は、カールさんに話す体で、フランシーヌの顛末を説明したのだろう。そして保釈金の相談先に自分ではなく、ボリエ殿下を推している。
それが自分の価値を相対的に下げることに繋がると、承知した上で。
「私も口が軽くなったものだ」
「本当ですよ、気を付けてください」
自己犠牲が重過ぎて、ちょっと怖いな……。油断していると、この人は自分の血肉をすべて弟妹に捧げて、後には何も残らないんじゃないか?
「君にそう言われたら、断れないな」
……シスコンめ。いつか本当の意味で痛い目を見なければいいけど。
以前とは異なり、オープンで話しながらの徒歩移動は、時間を短く感じさせた。そして程なく見えた神殿は、前回来た時よりも少しだけ小さく見えた。
それは子供が教皇を担っているからか、それとも私の中で、まだエミール君の悪意を信じられずにいるからか。
或いはーー
「よく来たね、二人とも。さあ、中に入ってよ」
「エミール君……」
「安心しなよ。今日はぼく以外には誰もいないからさ」
「エミール様、では……話してくださるのでしょうな」
「ふふ。すぐに来てくれたご褒美に、全部教えてあげるよ。ぼくの力と、お姉ちゃんの力の正体と……死に様をね」
ーー私がまだ、純粋な悪意に触れたことが無いからなのか。




