真の悪意
ガラコロと馬車の車輪が回る音だけが響く中、私とヒューズ殿下は正面から向き合っていた。教会までは結構距離があるのだが、前回とは違って打ち合わせが必要な事項が無い。
しかし、話すことならある。こんな旅程では、到底話しきれないほど、私達は離れ離れだったから。
「言われてみれば、確かに母の面影がある。あの日に見た時は、気付かなかったけどね」
隣国の食事会でのことかな。
「私も気付きませんでした。ボリエ殿下よりも、ヒューズ殿下の方が陛下に似ているとは思いましたが」
「あれは義母に似たんだ。だが内面の方は、私に似てしまった」
「ヒューズ殿下に、ですか?」
とてもそうは見えないと言いかけて、反射的に口を噤んだ。
「いいんだよ、思ったまま言っても。家族のことを言った所で、不敬罪には当たらないさ」
「あ……えっと……」
「うむ……まあ、いきなりは無理か。かく言う私も、君を前にして緊張している。どこまで妹扱いすべきなのか、私に兄として接する資格はあるのか……とか、そんなことばかり考えている」
ヒューズ殿下でも緊張とかするのか。これも不敬に当たるかな……いやいや、そんなことを気にしてる場合ではない。
「失礼な申し上げようになりますが、私がヒューズ殿下を他人行儀に見てしまうのには、理由があります」
「合成薬物の件だな」
流石に分かっていたか。それしかないもんね。
しかし、これは思っても見ない好機かもしれない。ここで答え合わせを済ませてしまおうか。
「その通りです。私とボリエ殿下は、ヒューズ殿下が毒を手配したものと考えています。目的は、ボリエ殿下に予知能力を持たせるため。違いますか?」
「………」
「違うなら、そう言ってください。そう言ってくれた方が、私にとっては救いになります」
「救い、か」
私にとって一番救いになるのは、ブリアックの毒とすり替えたのが、教会の独断である……という結論だ。もちろんその可能性は低いし、仮にここでそう明かした所で、検証が必要であることに変わりはない。
……変わりはないのだが、それくらいの夢は見たいのだ。私が見る夢は、どれも悪夢が過ぎるから。
しかし残念ながら、ここは現実だ。都合の良い事実が選べるほど、甘くはない。
「君を救えなくて申し訳ないが、二人の予想通りだよ。あの会食を行うより前に、私が教会と接触し、予知能力開眼のトリガーになる合成薬物を仕入れたのだ。ボリエを王にするためにね」
彼は塵を払うように、あっさりと犯行を認めてしまった。
「そう……ですか」
…………。
「……嬉しいものだな」
「何がですか?私は全然嬉しくありません」
「すまない、失言だったね。しかし、許してくれ。私が思っていたよりも、弟妹に案じてもらえていたことが、意外だったのだ」
「そんなことで喜ばないでください。犯行を自白された身にもなってほしいものです」
「全く、その通りだ」
兄弟揃って、くそったれだ。自分を犠牲にして、誰かを助けようとして、その事に一切躊躇しない。お互いに案じているのに、自分は常に例外だと感じている。
ごめん、殿下。私、この人をどこかでぶん殴るかもしれません。
「ヒューズ殿下。私はこの結論に至るまでに、様々な可能性を考えてきました。考えて、目にしながら、真実の一端を少しずつ掴んできたのです。しかしどう考えても分からない部分が残っています」
「聡明な君でも分からないことがあるのだな。良いだろう、言ってごらん」
「あの場で合成薬物を使った理由です」
実のところ、この点がずっと引っ掛かっていた。
あの時、あの状況では、ボリエ殿下以外の人間が薬物を口にしてもおかしくなかった。実際に、口にしてしまったのは私だった訳だし、そもそも予知に目覚めさせるだけでいいなら、信用できる医師がいる自分の城でやった方が間違いない。
「隣国の第二王子を蹴落としつつ、殿下の能力覚醒を狙う。一石二鳥を狙うにしても、リスクが大き過ぎますし、第二王子にそこまでの価値があったとも思えません。そんな分の悪い賭けを、ヒューズ殿下がするでしょうか」
「……本当に聡明だな。君を敵に回さなくてよかったと、心から思うよ」
後半については、私も同感だけども。
「クリス君。王に必要な資質とは、なんだと思う?」
「急に、なんですか?……国を思う気持ちと、民を安んじる心、そして公平な判断力だと思います」
ボリエ殿下は傲慢不遜で鼻持ちならず、ムカつくことこの上ない最低王子だが、そこだけは一切ブレていない。教会の不正を正したのも、シスター達の窮状を憂いてのこと。そして平民の活躍機会を増やすことを公言し、その第一歩として私を登用した。
まあ、そっちの方は私の血筋のせいで、有耶無耶になってしまったが。
「やさしいな。だが残念ながら、やさしいだけでは王になれない」
「分かっています……分かってるつもりです」
「いいや、まだ分かっていない。王には誰よりも寛容でありながら、誰よりも冷酷にならねばならない時が、必ず存在する。民を救うために兵を殺し、兵を残すために民を見捨てる。そんな矛盾した決断を強いられる時がね。そしてそれは、家族が相手でも例外ではない」
そう語る殿下の目は、同じ血が流れているとは思えないほど冷え切っている。
「判断を下す上での冷酷さを併せ持つべきと、そうおっしゃりたいのですか」
「もっと大きな部分の話だよ。王に必要な資質とは、“覚悟"だ」
「覚悟……」
「そうだ。ボリエにも、そして君にもそこが決定的に欠けている。王になる覚悟も、王になった後の覚悟もだ。たとえば君が会食で毒殺されそうになった時、二人とも私が犯人である可能性を考慮しなかっただろう?」
「それは……はい」
あの時は犯人がブリアックであることを疑いもしなかった。毒のすり替えという可能性を本格的に考え出したのも、ブリアックを捕縛してからだ。
「本気で王になる覚悟があるなら、犯人候補として挙げるべきなのは、その場にいた全員だったはずだ。私を犯人から除外すべきではないのはもちろん、ディオン第三王子と友誼を交わすなど以ての外。そして、妻アベラールの犯行であることも考慮すべきだった。唯一の例外は、自ら毒を口にした君と、狙われたボリエだけだ」
「本気で仰っているのですか?隣国を疑うのはまだしも、配偶者を疑うなどと」
「だから覚悟が足りないと言った。もしアベラール夫人が未亡人となった時、次の婚約者候補は誰になる?」
それは……自動的にヒューズ殿下になるだろうけども。
「重要なのはボリエと私以外に、王位継承権を持っていなかったという事実だ。私が婚約する前にボリエを始末出来れば、アベラール夫人はほぼ確実に次期王妃になれた。ボリエを王とするには、あまりにも過去の失点が多いことは、アベラール夫人が一番よく御存知だからな」
「……よくそんな想像が働きますね」
「そうでなくては、自分の身を守れないのだよ」
邪推極まるし、下衆の勘繰りもいいところだが……確かに犯行動機としては十分あり得たことだ。もしあの時、その可能性を考慮していたら、どうなっていただろう?
あのアベラール様と、友情を育めただろうか……?
今の私には、そんな薄ら寒い予感を振り払い、興奮しそうな自分を抑えこむのが精一杯だ。車輪の回る音が、こんなにも耳障りに感じたのは初めてだった。
「しかし、あそこで迷えたからこそ、今こうして兄妹水入らずで対話ができているのも事実です」
「それはその通りだ。君とボリエは、私では選べなかった未来を掴み取ったのだ。覚悟が足りなかったが故にね」
なんだ、それは。
「……どこか引っ掛かる物言いに感じます」
「どこがかな?」
なんだ、この違和感は。
ヒューズ殿下の城での固い表情、そして今になって見せる親愛の情。
私を試しているかのような、言葉の選び方。
全部、何かが引っ掛かる……いや、違うぞ。この人はーー
「ーーまだ落とし穴が残っているかのような言い振りに思えます」
「ああ、そう言っている。君達は性善説に立ち過ぎているのだ。もっと人を疑うことを覚えた方が良い」
「教会が味方ではないことは百も承知しています。隣国が、全面的な味方とは言えないことも」
「そこではないよ」
では、なんだと?……待て、もう一度思い出せ。
城での会話。
エミール君の手紙。
ヒューズ殿下が同行を名乗り出て、ボリエ殿下が居残った事実。
そして、ここでの会話。
そこから導き出される落とし穴とは、なんだ?
「ヒントを出そうか?」
「……いえ、もう少しお待ちを」
そういえば、あの場で合成薬物を使った理由は、結局なんだったのだ?なんだってそんな賭け……に……!?
『死 に た く な か っ た ら ね』
そんな……まさか!?しかし、そう考えると全ての点が繋がってしまう。いや、もはやそうとしか考えられない。
あの場で私が予知能力に目覚めた理由。それはーー
「エミール君が、ヒューズ殿下に予言していたのですか……!?あの場で毒を盛れば、ボリエ殿下も予知能力に目覚めると!?」
ーーその結果、私が生死の境を彷徨うと、知っていた上で。そして合成薬物を手配したのも、エミール君自身だったとしたら……!
「自力で辿り着いたか。見事だな」
「でも、信じられません……!本当に、彼が!?だって彼は、合成薬物を忌み嫌っていました!!」
「落ち着き給え。さあ、深呼吸するんだ」
そう言われて、私が無意識に腰を浮かせていたことに気付いた。深呼吸をしたところで、動揺が収まるわけでもないのだが……やらないよりは、確かにマシな気がした。
「……ありがとうございます、ヒューズ殿下」
「ああ。さて、君が真実の一部に辿り着いたところで、私からも質問だ。君は何故、そうもエミール少年に肩入れしているんだい?」
「それは……彼が父親によって、無理矢理に予知能力を覚醒させられた、可哀想な少年だったからです」
「他には?」
予知能力を得る過程で、私と似た境遇を経ていたから。
そして、私と同じで予知能力を忌避していたから……。
あれ、でも……どうして前教皇は、合成薬物で予知能力を得られるって知ったんだっけ?
どう、やって……?
「………まさか、それも、ぜんぶ嘘?」
手足の震えが止まらない。
もしも彼が、薬物なんて関係なく、生まれた時から予知能力を持っていたとしたら?
父親に合成薬物のレシピを教えたのが、エミール君だったとしたら?
『死 に た く な か っ た ら ね』
その言葉の真意は、どこに向かっているというの……!?
「それを確かめようじゃないか。今回、私が無理矢理に同行した理由も、そこにある」
「ヒューズ殿下……?」
「クリス君。君には色々と言ったが、私はいつか、君からも兄上と呼ばれたいと思っている。本当だよ。そして実に、誠に遺憾ながらーー」
ーー正直な気持ちとして、私は怒っているのだよ。弟妹の命を弄んだ、あのクソガキを殴り飛ばしたい程にね。
兄貴、こっそりとガチギレ中。




