イネスさんはお留守番です
「私がついていけないってどういうことですか!?」
準備のために一度自宅へ戻った私だったが、留守番を命じたイネスさんの反応は、想像を超えて悲痛だった。
「納得できません!ご主人様が教会へ行くなら、私も行きます!教会本部の連中が、ご主人様に何をするか分かったもんじゃありませんよ!?」
「イネスさん、今回ばかりはそうもいかないんですよ」
私だって、イネスさんと一緒に行きたいよ。お母さんと王族以外で頼りになる人は、この人しかいないと断言できるもの。でも、今回はそうもいかないのだ。
「前回と違って、今回は教会と戦うために向かうわけではありません。教会を変に委縮させないよう、配慮する必要があるんです」
「委縮って何ですか!?元聖女を相手に委縮するのは、向こうに後ろめたいことがあるからです!私たちには関係の無いことではありませんか!」
「そうだとしても、向こうはそう考えてくれないんです。今回は同じ理由で、ボリエ殿下でさえ同行を控えたんです。イネスさんだけ例外という訳には……」
ほんと、イネスさんの言うことも分かるんだけど……。
「……わかりました」
「えっ?」
「私はご主人様のメイドです。残れと命じられるならば、従いましょう。お話はそれで終わりですか?」
「ちょっと待っーー」
「買い出しに行かねばなりませんので、失礼します」
イネスさんはそう言い切ると、肩を怒らせながら出て行ってしまった。
「……ああ」
……やってしまった。あんなにイネスさんを怒らせたのは、初めてだ。
「でも、私は間違っていない。イネスさんが行けば、エミール君はともかく、周りの枢機卿は警戒してしまう。そうしたら、エミール君と話す機会は、きっと無くなってしまう。イネスさんだってそれくらいのことは分かってくれそうなものなのに……」
いや……違う。そうじゃないだろ、私。そんなのは全部、私の都合だ。イネスさんの気持ちなんて、考えられてないじゃないか。
「……話し合わなきゃ!」
私はイネスさんを探しに、荷物もそのままに外へ飛び出した。
城下町の中でたった一人の女の子を見つけるのは、至難の業だ。闇雲に探しても、きっと見つからない。
まず市場を探した。買い物に行くと行ってたのだから、順当に行けばここに来る。だが、市場中を走り回っても見つからなかった。
次に、聖堂に向かった。シスター達が掃除をしていたが、イネスさんの姿は見掛けなかったという。その掃除の仕方が、私のよく知るやり方だったのを見て、少しだけ泣きたくなった。
閉店中のポーションショップにも、いない。
城にも、いない。
もう一度屋敷に戻ってみたけど、帰ってきていなかった。
このままだと陽が傾いてしまう。陽が落ちる前に出立しなくては、ヒューズ殿下を待たせてしまう。これ以上、捜索に時間はかけられない。
駄目か……いや、待て。まだだ。まだ一箇所、探していない場所がある。
私はその場所に向かうべく、もう一度聖堂のある方角へ走った。
「はあ……!はあ……!いた……!」
イネスさんは、かつて私達が二人でやってきた、上層の公園に座り込んでいた。
でもイネスさんは、一人じゃなかった。その隣には、イネスさんよりもっと小さな女の子ーー
「元気出しなよ、イネス。らしくないよ」
ーーシスター・リンが、隣合わせにちょこんと座っていた。
「ううっ……だってぇ……」
「男爵様は、イネスのことを嫌いになったんじゃないと思うよ。嫌いだったら、きっと黙って出て行くでしょ。好きだから、ちゃんとお願いしてきたんじゃないの?」
「わかってます……わかってますよ、そんなこと」
どうしよう、どのタイミングで行くべきかな……今行くべきなのかな……そんな風に迷っていると、シスター・リンはぽんぽんと、イネスさんの頭を叩いていた。
「んもー、わかってるなら何で泣いてるの」
「……私ね、ずっとご主人様に助けられっぱなしでした。勢いで教会を見限って、逆に見限られて……後悔はしなかったけど、すごく不安でした。そんな時にすぐ手を差し伸べてくれたのが、ご主人様だったんです。だから、何でもしてあげたくて」
「うん、うん」
「私は元聖女だから、教会に関することだったら、誰よりもご主人様の助けになれる。ご主人様もそれを期待してると、そう思ってました。自信も、ありました。本部に行った時も、ちゃんとお役に立てたって、誇らしく思ってたんです」
「うん」
「だけど、今日のことで気付いてしまいました。元聖女なんて肩書は、所詮は教会から与えられただけのもの。ご主人様が必要無いと感じたら、私は留守番しか出来ないメイドなんです。お掃除とか、お料理とか……全部ご主人様一人でも出来てた事です……!」
「うん……?」
「このままじゃ、私……いらなくなってしまいます……!」
イネスさんは、小さな背中を丸くしながら、ポタポタと涙を流していた。
そんな風に悩んでるだなんて、私、思ってもいなかった。イネスさんは本当の聖女様みたいに優しくて、弱い人のために働けるすごい人なんだって、ずっと思ってたから。
……私は、馬鹿だ。イネスさんは私と同じ人間で……私の友達じゃなかったのか。一番近くにいた私が、なんで気付いてあげられなかったんだ。
なんで今、彼女の横に、いられないんだ。
「私は、驕ってました。全部誰かから貰ったものばっかりなのに、自分の力だと勘違いしてました。そればかりか、お手伝いさせてくれないことに、勝手に焦って、あろうことか怒ったりして……!私、本当に、最低です……!」
「うーん……」
「きっとクリスさんにも、嫌われちゃいました……もう、あの屋敷に戻れません……!ごめんなさいって、謝りたいです!でも、今さら帰る勇気すら、私にはッ……!!」
「そーー」
そんなことないって、叫ぼうとした。でも、イネスさんの隣にいるシスター・リンの言葉で、私も彼女も固まってしまった。
「ねえ。男爵様はイネスが誇れる友達ってやつなんでしょ?私のお姉ちゃんみたいな」
「えっ……?は、はい……それは、もう」
「だったらイネスは、自分に出来ることを精一杯やればいいんだよ。お掃除も、お洗濯も、お料理も、私よりずっと上手に出来るんだから。私は、そうしてるよ?」
「……!!」
それはかつて、私がシスター・リンに掛けた言葉だった。
「それに男爵様が帰ってきた時、屋敷の中が埃だらけだったら、きっと悲しいと思うよ。私も、そうだったもん」
そしてそれは、イネスさんがシスター・リンに教えたーー
「あっ……!ああっ……!」
「帰ってあげなよ、イネス。きっと男爵様、イネスの帰りを待ってるよ」
「わ、私……私は、なんて身勝手だったのでしょう……!ごめんなさい……!ごめんなさい、クリスさん……!ごめんなさい、リン……!」
「うんうん」
………帰ろう。
「ただいま、戻りました……」
「おかえり、イネスさん」
イネスさんが帰ってきた時には、既に昼下がりになっていた。ずっとあの公園で泣いていたのか、イネスさんの目の下には隈ができている。
「あの、ご主人様……この度は」
「待って。……今朝はごめん、イネスさん。私の言葉が足りなかった」
先に頭を下げるべきは、私だ。
「私、イネスさんに頼るのが当たり前になってたと思う。すごく頼もしくて、一緒にいるだけで楽しくて……だから、今さら何をお願いしても傷付かないって、勝手にそう思い込んでた。でも、それは間違いだった。本当に、ごめんなさい」
「あ、頭を上げてください!私が、私が悪いんです!だから!」
「ううん、違うよ。イネスさんを不安にさせたのは、私なんだ。でも……やっぱりイネスさんには、留守番をお願いしたい」
「……っ!」
「ここに残って、この屋敷とーー」
ーーあの聖堂を、見守っててくれないかな。
「え……?城下町の聖堂を、ですか?」
「うん。エミール君は私に敵意は無いと思うんだけど、その周りの枢機卿はそうじゃないと思う。ヒューズ殿下が国を離れる間、あの聖堂に何が仕掛けられるのか、正直予測出来ないんだ」
「!!」
かつて前教皇は、神殿騎士の忠誠心を刺激するため、城下町に住まうシスターをダシにしていた。それにあの聖堂が、過去に拝金主義の詐欺グループへ堕していたのは、教会本部の指示によるところが大きい。
これは聖堂で働くシスター達の、立場の弱さがそのまま表れた結果なのだ。まともに補助金が入らなくても教会を見限らず、そして不本意な集金活動に汗水を流していたのは、それをしなければ路頭に迷う未来しか無いから。
つまり彼女達は、教会本部から命じられれば、やりたくないことでも従わざるを得ない。中身を確認させないまま、屋敷に毒や爆薬を運ぶ程度のことは、簡単に成し遂げてしまうだろう。
「……そういうことでしたか。ですが元聖女の私が聖堂に顔を出していれば、枢機卿の動きを牽制できますね。それは彼女たちを護ることにも繋がります」
「そうです。そしてこの役目は、王家にも担えません。私が尤も信頼する友人であり、今もシスター達に絶大な影響力を持つ、イネスさんにしか頼めないことなんです。お願いできますか?」
イネスさんは力強く頷くと、涙を流しながら頭を下げた。
「クリスさん。今朝はひどい態度をとったりして、すみませんでした」
「うん、いいよ」
「私、頑張ります!お屋敷も、聖堂の皆も護るとお約束します!だから……だから、必ず帰ってきてくださいね!」
「もちろんだよ。それじゃあ、出掛ける準備を手伝ってもらってもいいかな?ちょっと急がなきゃいけないんだ」
「あ、はい!!すぐにご用意致します!!」
帰ってきたら、もっとイネスさんと一緒に遊ぼう。この人とは主従である以上に、対等な友人関係でありたいと思うから。
「お待たせしました」
「ああ、では行こうか」
その数刻後、正装で王家の馬車に乗り込んだ私の前には……既にヒューズ殿下が座っていた。




