母と、兄と
翌朝。病室の前に立った私は、それ以上中に進むことが出来なかった。
陛下とお会いになる前に、母へ会いに来ただけだ。なのに心臓の音が外まで響きそうなほど、強く震えている。あれほど会いたかった人が、目の前にいるというのに。
……行こう。私はいつも通りの表情を浮かべていることを祈りながら、ゆっくりと病室の中へ入った。
「お母さん」
「あら、クリス!よく来てくれたわね。なんだか久しぶりだわー、最近忙しいの?」
「まあね。お母さんも元気そうで良かった」
「ええ、お陰様でね!ほら!」
右腕をまくって小さな力こぶを見せたお母さんは、その直後に世話人さんから怒られていた。注射痕と思しきところから、じんわりと血がにじみ出ている。どうやら直前まで採血をしていたようだ。
我国は魔法よりも技術を優先している側面が強く、医療においても治癒魔法よりも、医療技術に頼ることが多い。採血がその最たる例で、魔法に頼る国では必要無いことが多く、基本的に採用されない。
それに注射針を作るには、蒸気機関の手助けが必要になり、非常に金と手間がかかる。さらに血管よりも細く、かつ血液を通すため筒状になっている針を作れる技術者は、世界的に見てもそう多くない。今後の政策では、技術者の育成と保護に比重が置かれることだろう。
それにしても、結構激しく怒られてるのに平然としているな、我が母は……。入院ベッドでの生活に飽きた頃から、既に結構色々とやらかしてきたのかもしれない。
一時はどうなることかと思ったが、これなら無事に退院できるだろう。そこは本当に、よかった。
「退院したら、移転作業の続きをやらないといけないわね。貴方の家の側で働けるなんて、お母さん幸せ者だわー♪」
にこにこと幸せそうに笑う母に、こんなことを聞くのは気が引ける。でも、あの方に会う前に、聞いておかないと。
私は世話人さんに退室してもらい、お母さんと二人きりになった。昔は当たり前だったはずなのに、学園を卒業してからは、お互いバラバラに過ごす時間の方が長くなった気がする。
「……ねえ、お母さん。教えてほしいことがあるんだけど」
「何かしら?」
「お父さんって、本当は生きてるの?」
お母さんらしくない、静かな時間が流れた。でも、その顔はすごく穏やかで、まるで全部覚悟してたかのようだった。
「どこまで知ってるのかしら?」
「……お父さんが生きてて、実はお兄ちゃんがいて、二人ともやんごとない身分かもって所まで」
「あらあら、肝心なところは殆どバレちゃってるのね」
「じゃあやっぱり……」
「そうよ。貴方のお父さんは、生きてる」
ーーこの国の、王様として。
「そしてヒューズは、貴方のお兄ちゃんよ。四歳くらい歳上……ね」
唯一、ヒューズ殿下の名前を出した時だけ、痛みを覚えたように顔をしかめた。
……私はヒューズ殿下と一緒に過ごした記憶は無い。私が物心付く前に城を離れたのか、或いは私がまだお腹にいる頃に城を出たのだろうか。
「……だけどよく調べたわね。男爵位じゃ閲覧できない位の、重要機密だったはずよ」
「うん、私だけじゃ無理だった。皆でお母さんが襲われた理由を探ってる内に、友達が気付いたんだよ」
「なるほど、ボリエ殿下ね。あの方もお父さんに似て、調べたり考えるのが得意みたいだから」
「正解。よくわかったね」
「面会に来たお父さんとお兄ちゃんが、話してたわ。ボリエ殿下は優秀だから、きっと近い内に家族関係を知られちゃうかもって」
ヒューズ殿下も?……血が繋がってることを知らなかったのは、私だけだったか。
「そんな顔しないで。二人とも、あなたを守りたかったのよ」
「私を?」
「そうよ。もし貴方が自分の出自を知ったら、きっと復讐へ利用することを躊躇わないだろう。だからクリスには、まだ黙っててやってくれ……ってね」
「!!」
……全部筒抜けか。お母さんも、お父さんも……兄にも。
みんな全部分かってたのに、誰も私たちが真実を知ろうとしてきたのを、止めようとしなかったというのか。
「面会は別々なのに、二人してあんまり同じ事を言うものだから、陛下と打ち合わせでもしたの?ってお兄ちゃんに聞いたのよ。そしたらあの子ったら、目をパチクリさせて固まってたわ。イレギュラーな対応に弱いところは、昔から変わってなかったわね。うふふふ」
「……犯人は、もう出てこないよ。処刑されたから」
「そうなのね」
「ねえ、おかあさん……私ね……」
……言おう。悪い子に育ってごめんって、ちゃんと言わなきゃ。黙っててもきっと、すぐにお母さんの耳に入るに違いない。だから、その前に。
死体を嗤った時の快感と絶望が、悔恨となって私の頭を重くする。娘が人として最低な気持ちを抱いた事実を、母に知らせたところで意味が無い事は,頭では理解していた。
でもお母さんの娘として、隠さずに話さないといけないと思った。私から母への、懺悔だった。
「辛いなら言わなくていいのよ」
「ううん……私ね、犯人のこと……犯人が処刑されたときね……」
重くなった私の頭を軽くしたのは、頬に添えられた温かな手だった。
「クリス。何があったかは聞かないけど、失敗を反省できてるなら、それでいいのよ。貴方は私を守るために動いてくれただけ。私だって、貴方が誰かに傷付けられたら怒るし、犯人を憎いと思うわ。きっと貴方と同じ位に」
「でも……でもっ!」
「よしよし、いい子ね。ちゃんと反省出来る子に育ってくれて、お母さん誇らしいわ♪」
あの日のように頭を撫でられた私は、耐えきれなくなって、まだ包帯が残る母の体に抱きついた。痛かったかもしれないのに、母はそんな素振りを見せること無く、優しく抱き返してくれた。
「大丈夫。何があっても、貴方は自慢の娘よ、クリス。胸を張りなさい」
勝手に震える肩と背中のせいで、きっとお母さんにはバレバレなんだろうけど……やっぱり泣き顔なんて、誰かに見せるもんじゃないと思う。だって困らせちゃうだけだから。
「ねえ、お母さん。実は私、この後陛下とお会いするんだ。私と話したいことがあるんだって」
「まあ、陛下からお誘いがあったの?」
「でも、何を話せばいいか分からなくて。それに娘として会えばいいのか、男爵としてがいいのか……」
きょとんとした母は、うーんと何か考えるように天井を見つめた。やがて小首を傾げると、ちゃんと考えたのかそうでないのか、わからないような答えを返した。
「呼んだのは陛下なのだから、貴方は言いたいことを言えばいいと思うけど」
「え?う、うーん、そうなのかな?」
「そうよ。貴方は覚えてないだろうけど、まだ赤ちゃんだった貴方に、陛下は激甘だったんだからね?国宝級の短剣の鞘を、乳児の玩具代わりにするくらいにはね」
そんな簡単な話なのだろうか……?
「難しく考えないで、元気な姿を見せてあげなさい。お父さんは、貴方のことを愛してるに決まってるんだから」
そう言って私の背中をパン!っと叩いた母の顔は、いつもの優しくて明るい笑顔で輝いていた。その後、音を聞きつけて駆けつけた世話人に、無理をするなとお説教されたのは言うまでも無い。
ーー数時間後。ディオン様が謁見の間で、隣国での服毒騒ぎの調査結果を報告している間、私は控室で待機していた。
恐らく物的証拠に乏しいヒューズ殿下の関与については、ディオン様も明言を避けるだろう。一方でブリアックの動向については、教会の関与が明白で、しかもボリエ殿下とその忠臣を狙った犯行であるため、子細に報告されるはずだ。そうでなくては、加害側の誠意を疑われる。
尤もヒューズ殿下の方も、薬の入手ルートを調べていく内に、犯行を利用した事実が浮き彫りになるだろうけども。
……緊張するな。父親とはいえ、国王だ。粗相をすれば、お母さんも教育不足と見做されて、罰が与えられるかもしれない。返答を間違えないようにしないと。
ーーしばらく待っていると、謁見の間へと繋がる大きな扉が、ゆっくりと開かれる音がした。複数名が廊下を歩く音が聞こえたが、おそらくディオン様の……というよりマルティネス王国の正式報告が終わったのだろう。この後は真っすぐ帰られるのだろうか。
帰国される前に、お会いしたかったな。まあ、その……こ、恋人同士になったわけだし、これからは会いやすくなるよね、きっと。
「ふーー……」
ちょっとだけしんみりする中、ノックも無しに客間へ入ってきたのは、ボロボロになった殿下だった。いくら私以外に誰もいないからって、あまり油断しないでほしいものだ。
「お疲れさまです、殿下」
「まったくだ。ディオンのやつ、報告が最低限過ぎて、一瞬で終わりそうになったんだよ。結局俺が詳細を聞き取る形で、フォローすることになった」
「……それは本当にお疲れさまです」
そうだった。すっかり仲良しになってたから忘れかけてたけど、あの人も極度の人見知りだったな。陛下相手にも人見知りが発動してしまったのね……さぞ会話が続かなかったことだろう。
「もう少しで、陛下がこちらにいらっしゃる」
「ヒューズ殿下は?」
「いや、陛下だけだ。兄上は別件で、今は城を離れている」
別件と聞いて様々な可能性が頭をよぎったが、そんな私の顔を見て、殿下は苦笑いを浮かべた。
「怪しいことはしてないよ。婚約者に会いに行ったんだ」
うっそだろ!?
「ご婚約されてたんですか!?」
それはそれで衝撃なんですけど!?
「最近な。いずれちゃんと話すから、今は陛下との対話に専念してくれ」
「わ、わかりました。……殿下はこの場に同席されるのですか?」
「外で待つよ。親子水入らずの方が良いだろ」
「……殿下だって、私にとっては兄のはずです」
殿下は少し困ったように頭を掻くと、いつもより覇気のない笑みを浮かべた。
「なんだよ急に。やっぱり妹扱いしてほしくなったのか?」
「茶化さないでください。ただ、不安なんです。今までの日常が壊れてしまうような、漠然とした不安です」
「余計なことを考えるなよ。お前が変わろうとしなければ、何も変わらないんだから」
「でも相手は国王ですよ?もし不興を買ったりでもしたら……」
「それが余計なんだ。これから来るのは国王である前に、俺とお前の親父だ。俺を信じて、娘として思いっきり甘えてみろ。お前の兄として言えるのは、それくらいだ」
「いやそんな無茶苦茶な……今まで殆ど会ったことも無いのに、急に甘えられるはずが……」
「馬鹿だなーお前。まだ気付いてなかったのかよ。じゃあ、大ヒントをやる」
「わっ!?ちょっ!?」
殿下の失礼な態度に腹が立った私だったが、頭をぐしゃぐしゃとこねくり回された後の一言で、完全にフリーズした。
「学生の平民が王子様と殴り合って、無事で済むわけ無いだろ」
「……は?」
それだけ言うと、殿下は優しく笑い、そのまま退室してしまった。
「…………え?」
陛下が入室されたのは、殿下が退室したのと、ほぼ同時だった。




