ディオンの思い
「やってくれたな、ディオン第三王子」
バシュレ国王宛に、ブリアックの処刑報告書類を提出した私達は、その後ボリエ殿下の自室へ呼び出されていた。……キレてますなぁ。
「まさか、奴を証言台へ立たせる前に独断で処刑するとはな。これで兄上が毒をすり替えた件について、立証するのが面倒になった」
そうか、確かにブリアックの処刑を延期させたのは、それがあったからだったな。……復讐心ばかりが勝って、完全に失念していた。今更後悔はしてないけど。
でもちょっと意外だったな。殿下は王位継承戦の継続こそ望んでいても、ヒューズ第一王子の犯罪行為そのものを黙認するつもりは無かったのか。あくまで許せないのは勝手な試合放棄であって、法を守らせる王子としての立場は曲げない訳か。
……すごいな。本当の意味で、次期国王としての器を備えつつあるのかもしれない。
「落ち着いてくださいませ、ボリエ様。ディオン第三王子殿下におかれましては、畏れ多くも国王陛下より直々に、即決処刑の許可を頂いていたはずですわ。証言台に立たせる意味なんて、当の昔に薄れていたのではありませんか」
「わかってるよ、アベラール。狂った元王子の証言なんて、聞いたところで採用自体難しいこともな。俺が言いたいのは、やる前に友人へ一言あっても良かったんじゃないかってことだ」
ポリエ殿下がぼやく中、アベラール様はその両手を優しく包み込んでいた。疲弊しているはずの殿下が、思いのほか落ち着いているのも、その温もりあってこそだろう。こういう時、やはり配偶者の存在は大きいと感じる。私の手では、いざという時に殿下をビビらせるのが精々だ。
「すまない。その点については、率直に謝罪する」
「申し訳ありませんでした」
「よし、許す。二人とも、以後気を付けるように」
これで本日何度目になるか分からない溜息を深々と吐いた殿下は、疲れ切った顔のまま顔を持ち上げた。
「それで?貴殿が処刑を急いだのは、政治的判断か。それとも私情なのか、どっちなんだ」
「私情だ。次兄にこれ以上、生き恥を晒させたくなかった」
そこまで言ってから、ディオン殿下は右手で顔を覆いながら、頭を振った。
「いや、違うな。俺は許せなかったんだ。自らの保身と栄達を夢見ながら、国の未来を案ずるフリを続ける次兄の醜悪さに、耐えられなかった。剣を抜いた時には、もうその後の事なんて頭から抜けていた」
「そうか。それならいい」
「……良くはないだろう。俺は自分の気持ちを優先して、貴重な証人を斬ったのだぞ」
戸惑うディオン殿下に対し、ボリエ殿下はシニカルな笑みを返す。それでこそと、言わんばかりだ。
「良いんだよ。今処刑するメリットが無い中、政治的判断で斬ったのだとしたら、俺は貴殿の誤断か奸計を疑わざるを得なかった。前者なら貴殿の大局観に不安が生じるし、後者なら友情を疑うことになる。だったら自身の正義に従ってくれてた方が、幾分かマシというものだ。その方が人として好ましいしな」
「ボリエ殿……かたじけない」
「貴殿もまた、感情に支配される一人の人間ってことだ。だが処刑するにしても、よりにもよって……」
そう言って私の方を見た殿下は、気不味そうに目線を逸らした。
「よりにもよって私の目の前で、ですか。殿下」
「ふん」
なんか教会本部から帰ってきた辺りから、以前よりもさらに優しくなられましたね、殿下。これも紫肉パーティーで覚醒した、アベラール様の影響でしょうか。
「御心を砕かせてしまい、申し訳ありません。でも、私は大丈夫ですよ。ただブリアックが死んだ時、私が持つ内面の醜さに愕然としたりもしましたが」
「誰だってあるだろ、そんなもんは。それに俺もアベラールも、もちろんディオンも、しょうもないやつを友人に持つほど酔狂じゃない。自信を持てとまでは言わないが、あまり自分を卑下しすぎるなよ」
「そうよ、クリス。私も殿下も、貴方には何度も救われているわ。感謝も尊敬もしているの。それを忘れないで頂戴ね」
「殿下、奥様……はい、ありがとうございます」
本当に、私には過ぎた友達です。これもあの日、貴方と殴り合ったお陰ですね、殿下。
「……さて、そろそろ俺もお暇しよう。宿に残した部下たちがヤキモキしてるだろうからな」
「世話になったな、ディオン。ところでずっと聞きたかったんだが」
「何だろうか?」
「アーマン第一王子の代理で来たというのは嘘だろ?」
はい?何を唐突に言い出すんだこの人。
「嘘ではないぞ。元々長兄が来る予定だったのだが――」
「あー、語弊があるな。言い方を変えよう。元々アーマン第一王子が来る予定だったのを、かなり強引に自分の予定に変えたな?貴殿が、ここへ、どーーーしても来たかったから」
ガタァァン!!という音が、部屋中に響いた。ディオン殿下があまりの勢いで立ち上がったせいで、椅子が転げ落ちたからだ……が……。
「ボ、ボリエ殿!?い、いや、それは違うぞ!誓って強引にではない!長兄は俺と違って、とても忙しいのだ!代理で済むならその方がよいと思ったからであってだな!?」
いやいや、ディオン殿下も何をそんなに動揺してるんだ。さすがに不自然過ぎて、あのアベラール様がポカンとしたまま固まっているぞ。私もだけど。
「はいどーどーはいしどーどー。まずは落ち着け。とりあえず椅子を直して、座りなおそうか」
「あっ!す、すまない!」
殿下に言われるがまま、ぎこちなく座りなおすディオン殿下の姿は、今まで見た中で一番情けなく、そして非常に人間臭かった。あの鉄面皮と評するに相応しいクールな表情は、見る影もなく崩れ去っている。一体何が起こっているというんだ。
「……ボリエ様。本当にこの方が、あの"難攻不落"と評されました、ディオン・フォン・マルティネス第三王子殿下なのですか?」
「残念ながら、正真正銘本物だ。今はポンコツだがな。ディオン、少しは落ち着いたか」
「あ、ああ……だが、どういう了見で……」
「からかうつもりで言ったのではないぞ。貴殿がクリスと俺に持ってきた話には、アーマン第一王子に関する話が一切出てこなかった。結果的に言えば、アーマン第一王子はあの事件に関して、まったくの無関係だった訳だ。そうだったな?」
「くっ……」
あ、言われてみれば、確かに。アーマン殿下の代理で来たと言うから、てっきりがっつり絡んでるのかと思って構えていたのに、蓋を開けてみれば殆ど名前すら登場しなかったな。
「い、いや、だからこそ俺が」
「だからこそだ。アーマン第一王子は、身の潔白を証明するためにも、本来なら代理を立てず、直接ここへ出向くべきだった。危険を承知で、そして被害者家族からの糾弾を覚悟してでも。そうでなくては普通は信用されないからな。恐らくアーマン殿も同じ思いだったはず。それをお前は、相当無理を言って自分が名代になると主張したんだろう?被害者家族であるクリスの友人だからどーこー、長兄は忙しいからどーこーと言って、強引に。無理矢理に」
「だから無理矢理では……」
「もういい加減、俺を相手に恰好つけるなって。分かってるから。一度振られて恥ずかしいのは分かるけど、もう周りからはバレバレだから。本人以外にはな」
「……っ!」
「まあっ……!じゃあ、ひょっとして、そのために!?」
……はい?なんで皆さん、こっちを見るんです?
「え、ディオン殿下?」
「ク、クリス殿……その、つまりだな……俺は」
「いや待て待てディオン、ここで言うな。この部屋を出て、廊下を右へ曲がった先のテラスを使え。人払いは済ませてある」
おいおい、まるでこの展開を見越してきたかのようじゃないか。何を考えているんですか、殿下。
「……ボリエ殿。こ、これは、貸しだぞ」
「借りの間違いだろ、むっつり野郎。さっさと行け。そしてもう一度、ちゃんと話し合ってこい。友として、貴殿の成功を祈っておいてやる」
「わかった。クリス殿、少し時間をくれ。大事な話があるんだ」
「わ、わかりました」
ボリエ殿下とディオン殿下に言われるがまま、私は二人きりでテラスへ向かった。
「惚れ直しましたわ、あなた」
「目に余っただけだ。ったく、世話の焼ける……」
ドアを閉める直前に、そんな友人二人の声が聞こえたような気がした。
先ほどまで夕暮れだった空はすっかり暗くなっており、大きな満月によって支配されていた。
「……月がきれいだな」
……うん、確かに綺麗だが。
「そうですね」
「…………うん」
「……?」
か……。
会話が続かねぇぇぇ!!いつにも増して無口すぎんかこの人!?
……あ、でも、ちょっと懐かしい雰囲気だな。
「ふふふっ」
「クリス殿……?」
「いや、ディオン殿下と二回目の会食をした時も、会話が続かなかったなと思い出しまして。ほら、私が苦し紛れに、ディオン殿下の衣装を誉めた時ですよ」
「ああ、そうだった。あの時も、この城のホールだったな。その頃は俺も緊張し過ぎて、言葉が出なかった」
「じゃあ、今も緊張されてるのですか?」
「あ、ああ……している。ある意味、あの日以上に」
うっわ、顔真っ赤じゃないか。アベラール様が難攻不落を疑うのも無理ないよ。こんなに緊張して、恥ずかしそうにしているディオン殿下、私だって初めて見るぞ。
「そんな緊張しなくても、私とディオン殿下の仲じゃありませんか。飲みの席みたいに、気楽にしましょうよ。なんでしたら、今から大衆食堂へ行きませんか?今からなら並ばずに済みますよ」
「いや……そうはいかない。ボリエ殿の言う通りなんだ。俺は今日、君に大事な話をするために、この国へ来たんだから」
「大事な話、ですか?」
「そうだ。……そのために俺は祖国を出る際に、王位継承権の放棄を父上に申し出た」
「そうだったんですか……それは大変な決断だった……で……」
……はい!?
「王位継承権を放棄!?」
「そうだ。以後は公爵として、跡継ぎを失ったとある領地の運営をしていくことになる」
「ど、どうしてそんなことを!?」
「今日、君に、大事なことを伝えるためだ。そのためには、王子という自分を捨てておく必要があった」
「私の、ため……?」
「君の言う通りだった。俺と君とでは、立場が違い過ぎた。俺が王子である限り、君の隣に立つことは永遠に出来ない。だったら、もっと立場を近付ければいい。そう考えた」
ディオン殿下の、熱い視線が私に突き刺さる。いつもと違う目の熱さ、そして言葉の力強さに触れれば、鈍い私にも流石に分かる。
「君に近づくためなら、王族の地位なんて、必要ないと思ったんだ」
分かってしまう。心に響いてしまう。そしてそれを、私も無視できなかった。
その熱い目を、直視して、しまった。
顔が赤くなるのを感じた。ディオン殿下の熱が、そのまま私に乗り移ったかのようだった。
「来月、長兄が次期国王になることが正式に公表される。君と同じ、貴族の一人になるんだ」
「そ、それは国家秘密ではありませんか!?私に話していいことでは――」
「君にだけは、秘密を抱えたくないから話した。君だから、明かしたんだ」
「……!」
くそ……かっこいいな、この人。顔もそうだけど、内面も。
私は今日、貴方の目の前でゲロ吐いたんですよ?自分の醜さまで曝け出して、史上最悪の女になったというのに……。
それでも、まだ、私に寄り添ってくれるというのですか?
「あの日のやり直しを、もう一度させてほしい」
ディオン殿下は、私の前で片膝をつき、私の右手を取った。
「クリス・フォン・ルグラン男爵。君と友人になった日から、君への好意と愛情を、私は捨てきることが出来なかった。いや、むしろ気持ちは膨らむばかりだった。いつだって頭の中には君がいた。王族の地位も、財産も、君とともに過ごす時間に比べれば取るに足らない」
「……そんなこと言っちゃ駄目ですよ。ディオン殿下が王になってほしいって思う人だって、いっぱいいるはずなのに」
「勝手な俺を許してくれ。期待してくれた人達に頭を下げてでも、俺は君を選び取りたかったんだ」
「………」
「だから、もう一度俺にチャンスを与えてほしい」
ディオン殿下の手にこもる力が強くなり、私の手に伝わる熱が一層、強くなった。
「クリス。君を愛している。どうか今一度、結婚を前提にお付き合い頂くことを、考えてはくれないだろうか」
……ずるい。ディオン様も、殿下も奥様も、みんな、ずるいですよ。
いくら友達だからって、私のためにいっぱい動いてくれて。お母さんが傷ついた時も、自分の事みたいに走り回って。
自国民でもないのに、王位を捨ててまで寄り添おうとしてくれる人がいて。
そんなの、好きになるに、決まってるじゃないですか。
「私で、いいんですか?」
「君じゃなきゃダメだ」
「結構性格ブスですよ?」
「そこも君らしさだ」
「正直ですね。……ディオン様」
「ディオンでいい」
「ディオン。私もあなたが、大好きです。どうか末永く、お付き合いください」
「……ああ」
公爵位を叙したディオン様の姓名が、偶然にもディオン・フォン・ルグランであったことを知ったのは、まさに彼が公爵となった当日だった。




