ヒューズの真意
「いや流石にそれは無いだろ。やってることが支離滅裂だぞ」
「む……」
ボリエ殿下は呆れと困惑を綯い交ぜにして、そう即答した。ディオン殿下自身も、自分の発言が信じられないようで、珍しく困惑、いや混乱した様子だった。
「兄上の目的が、王位継承であることは明らかだ。それはこれまでの行動として一貫している」
「食事会でも、今後の王位継承戦で優位になるように動いてましたね」
「その通りだ」
その際の振る舞いが政治色に彩られていたことは、ディオン殿下もよくご覧になっていただろう。
「それにさっきまでのディオンの話が正しいとするなら、兄上はブリアックが睡眠薬を準備してたことを、事前に把握してたんだろ?国を挙げて被害者面することが目的なら、わざわざバレるリスクを抱えて致死性のある毒にすり替えるより、睡眠薬をそのまま口にした方が安全確実だったはずだ。全面的にそちらを悪者に出来るしな」
そこまで聞いて、ディオン殿下も自分の仮説が誤りだったと判じたのか、首を大きく横に振って謝罪した。
「貴殿の言う通りだ。すまない、やはり仮説に仮説を重ねて語るべきではないな。自分で話しているうちに、何もかもがあり得るように思えてきてしまう」
「いや、良いんだ。それを望んだのはこっちだからな。だが正式説明の場では、気をつけてくれよ。父上の前では、俺も迂闊にフォロー出来ん」
「ああ、分かってる。さて、もう俺の方から話せることは無いな。明日の正式報告に備え、宿へ戻るとしよう」
話は終わったとなれば、すぐに席を立つ実直さは、なんともディオン様らしい。
「ありがとうございました、ディオン殿下」
「クリス殿とは、次は食事の席で会いたいな。この国の魚料理には興味があるんだ」
「ならとっておきの酒場を紹介しますよ。安いですが、味はピカイチです」
「おいディオン、デートの誘いも結構だが、美味い酒を飲ませてくれるって約束も忘れるなよ」
「ちょっ、デートって……!」
「ああ、もちろんだ。貴殿と飲む酒は美味そうだな」
再会を約束した私達は、笑いながら去っていくディオン殿下を最後まで見送った。
ポーションショップには、私と殿下だけが残されていた。殿下と私は椅子にもう一度掛け直すと、ほぼ同時に深い溜息を吐き出した。殿下、今日だけで一年分の溜息をついてますね……。
「……やばかったな。あれは遅かれ早かれ、予知夢の存在にも気付くぞ。勘が良すぎるってのも困りもんだな」
「まったくです……」
半ば強引に殿下が話を打ち切ったのも、無理の無いことだ。
「ヒューズ殿下にとって、あれは毒ではなく薬……そんな発想はありませんでした」
「そうだな」
考え方は薬草学の基礎。だから私が最初に気付いても良かった。だがその後に続く騒動や悪夢の衝撃が大き過ぎたのと、私自身がブリアックへの憎悪で、目が曇っていたのだろう。
こんな簡単なことに、気付かずにいたなんて。
「つまり兄上は知ってたってことだよな。あの毒が、予知夢に目覚めるための劇薬だってことを。いや、初めからそのつもりで、あの薬を入手したに違いない」
「だとしたら、あの食事会を開かせた目的は、ボリエ殿下の暗殺じゃありませんね。もちろん、自分で服用するためでもない」
「だが、そんなことが有り得るのか?」
「私も信じられません」
……ヒューズ殿下の目的が、ボリエ殿下を予知夢に目覚めさせることだったなどと。
だがそう考えると、一連の事件からは違う側面が見えてきてしまう。
私が殿下の肉を奪った時、ヒューズ殿下の叱責の中に焦りは無かっただろうか。あれは、予知夢に目覚めるのが殿下ではなく、私になってしまうことへの焦りだったのではないか。
もしもボリエ殿下の殺害を目的とせず、政治的優位性を得たかっただけなら、あの場面で私が服用しても大きな問題は無かったはずだ。事実私が食べてしまっても、隣国に対して負債を負わせることには成功している。あの場面で、あそこまで取り乱す理由は無い。
「ヒューズ殿下は、ボリエ殿下を王にしたいのでしょうか?予知夢が強力な武器と防具になりうるのは、既に教皇が証明しています。それを次期国王が持てば、国の未来は盤石なものになるでしょう」
「……あの食事会で、俺こそが次代の王に相応しいと、わざとらしく宣伝していたな。そして兄上自身は場違いなほど、華美な衣装を身に纏っていた。あの時は兄上が保身に走ったのだと思っていたが、実際はそう相手にも印象付けて、自分を矮小化させるために演じてたってことか?だが俺の身が危険に晒されたのは事実だぞ」
「ボリエ殿下に対する暗殺の脅威は、殿下自身の予知夢で避けられると、そう計算していたのかもしれません」
それこそ、教皇がそうしてきたように。
「……なるほどな。兄上ならそれくらいは考えていそうだ」
教会の補助金不正問題において、陛下の目に余るほど露骨な謝罪をしていたのも、短慮な自分は王に相応しくないと、陛下にアピールしていたのか……?普通なら有り得ない行動だが、その後ボリエ殿下が問題を解決すると確信していたなら、どうだろう?
通常なら賭けにもならない危険な行為だが、予知夢に目覚めた私が殿下を補佐すると知っていたなら、話は変わってくるのではないか。
「……しかし仮にですが、もしもあの時ボリエ殿下が服毒していたら、予知夢に目覚めるどころか死んでいたかもしれません。そもそも情報を流した後、向こうが食事会を打診することも、第二王子が睡眠薬を仕込む保証だって無いんですよ。そんな二重三重の無謀かつ危険な賭けを、ヒューズ殿下がするでしょうか」
「いや……賭けじゃなかったのかもしれない。一人いるじゃないか。食事会が開かれることと、そこでお前が予知夢に目覚めると、事前に全て分かっていた人物が。そいつが兄上に直接、あの毒薬を流したんだ」
「そんな予言者みたいな人間がいるわ……け……!?」
いや、いる……!?全てを見通した上で、ヒューズ殿下に協力できた人物が!
「そうでした、ヒューズ殿下は教会の敬虔な信徒で、しかも王族!教会にとって、最も重要な信徒だったとしたら!」
「ああ、会えるだろうな。いや、むしろあの野心的な教皇なら、王国の利権目当てに率先して紹介していてもおかしくない。次期教皇の最有力候補ーー」
ーー自分の実子かつ、予言に目覚めた息子、エミール少年を。
「あの少年が、兄上に毒を渡した時期は分からないが、ずっと前から兄上に予言していたのだとしたら、時期なんて関係無い。その製法も、飲んだ本人なら知っててもおかしくないし、なんなら未来の調合作業を覗き見てた可能性だってある」
「なるほど……あれ?でもエミール君は、私が同じ調合毒を飲んだことに驚いてましたよね」
「あれは教皇への当てつけだろ。あれれー?おかしいねー?って態度で、父親を嘲笑ってたんだよ。いずれにしても、教皇としてはお前を神の敵にしてでも消し去りたかったんだろうが、エミール少年はそれを望まなかったってことだ。どういうわけか知らんがな」
「そうか、だから教会の対応もチグハグだったんですね。最初から教会は、一枚岩じゃなかったんだ」
予知夢に目覚めた可能性を消すという教皇の方針に対して、そうはさせたくないヒューズ殿下とエミール君とで、情報戦が展開されていたんだ。
私を襲わせるのに暗殺者ではなく、敢えて決定打に欠けるブリアックを利用したのは、やはりヒューズ殿下の入れ知恵だろう。「復讐心を利用した方が自然に見える」とでも言ったのかもしれない。
そこへエミール君が、同じ未来を見たと言えば、間違いなく教皇はそれに乗る。これまで自分を救ってきた予言を、今更疑ったりはしない。
私が隣国へ行くきっかけになった偽の手紙も、やはりヒューズ殿下が用意したものだろう。私をブリアックの凶行から逃がすため、時間差をつけて私を送り出したのだ。教会がその動きを察知できなかったのは、最大の信徒かつ発案者であるはずのヒューズ殿下が、秘密裏にそれを行っていたから。
ただ一つ彼に誤算があったとするなら、ブリアックを捕らえるより前に、私の母が襲われてしまったこと。それは母の病室に、何度も足を運んでいることからも明らかだ。
「でもヒューズ殿下についてはともかく、どうしてエミール君は、予知夢の存在を外へ漏らそうとしたのでしょうか?そんな事をすれば、自分と同じ悲劇がーー予知夢を得るために、調合毒の実験が外で繰り返される可能性だって、あったというのに」
「まあ、エミール少年の考えは、後でゆっくり調べられる。今ならあの教皇も大人しくしてるだろうしな。それよりも、先に兄上の真意を確かめよう。本当に俺を王にしようとしてるのか、それとも妨害しようとして失敗しているだけなのか、確かめる必要がある」
「もしも味方なら心強いですね。敵に回すと厄介に感じますが、味方であれば殿下をお支えしてくれるーー」
「違うぞクリス、そんな簡単な話ではない。味方なればこそ、より急ぐ必要がある」
「はい?意味がよく……」
「兄上のやり方は、破滅的過ぎる」
そう語る殿下は、あろうことか青褪めていた。いつだって傲慢不遜な態度を崩さない殿下が、明らかに恐怖している。
「前にも言ったよな。兄上は昔から優秀で、優しく、王に相応しい人だった。そして俺は、兄上こそが王になるべきだと思って、敢えて愚かな振る舞いをしてきたと」
「え、ええ」
「だがそんな時期でも、兄上は俺を弟として見てくれていた。兄らしく見守ってくれていたんだ。今思えば、兄上の様子が変わったのは、俺が結婚したあたりからかも知れない。なあクリス、もし俺を本気で王にしようと思ったら、お前ならどうする?」
「それはもちろん、王に相応しいだけの手柄を立てて頂きます」
「だが過去の失点が多過ぎて、それでは不足だとしたら?」
……そういうことか。
「競争相手の失点を稼ぎますね」
「そうだ。兄上はそれを、ご自身に向けて行おうとしてるかもしれない。失点を稼ぐだけならいい。だがもし、表舞台から消えようとしてるのだとしたら……!」
殿下が青褪めている理由が分かった。ヒューズ殿下が本気でそう考えているなら、本当にやりかねないということなのだろう。
どうやらこの兄弟は、悪い意味で似ているようだ。
「やはり兄弟ですね。身内を守るために、自分を貶める。それぞれ方向性こそ違いますが、やってることは同じです」
「じゃあ揃いも揃って父親に似たんだろ。お前も同類だしな、人を庇って毒を食らったんだから」
む、心外な。否定もしにくいけど。
「それじゃ、やり方を間違えてるってことを、経験者として教えてやらないといけませんね。絶対ろくな結果になりませんから」
「同感だ。兄上には正々堂々、正面から王位継承戦に挑んでいただこう」
殿下と二人でくぐったポーションショップのドアは、今までで一番軽かった。




