毒もまた薬
ディオン殿下は姿勢を乱すことなく、何でもない様子で粗末な椅子に腰掛けた。王子でありながら、平民の家屋にいても違和感を感じさせないのは、やはり庶民食堂に通う習慣によるものか、或いはそこで一緒に飲み食いをした私の経験からか。
彼の護衛と思しき二人が、示し合わせたように店の外へ出た。私達を3人だけにしつつ、部外者の入店を防ぐ為だろう。だいぶ前から臨時休業中なので、入店するとしたら泥棒しかいないけどね。
「俺も席を外そうか。二人きりの方が話しやすかろう。国向けへの正式報告は後日、正式に聞くことになるだろうしな」
そう言って腰を浮かせたボリエ殿下を制したのは、ディオン殿下だった。
「いや、ボリエ殿は残ってくれ。貴方も聞いておいた方が良い」
後日聞くことになるなら、聞いておいた方が良いという言い方にはならないはずだ…どういう意味だ?
「……わかった」
「では早速始めよう。長兄に代わって俺が話せるのは、次兄がクリス殿の国へ向かうように仕向けた存在についてだ」
「そもそもあの男が、何故出国できたのかという疑問もあります。廃嫡されてすぐ出国出来るほど、行動の自由が認められていたのですか?」
流石にそれは無いと思いたいのだが。
「そこも含めて話そう。しかしこれから話すことは、その過程において半分は推測になってしまうことを許してほしい」
「……推測が貴国の公式見解と見て良いのか」
ボリエ殿下の声色には、言外に「それで大丈夫なのか」と心配するような含みがあった。それを汲み取ってのものかどうか、ディオン殿下は力強く頷いた。
「公式報告するのは断定出来る箇所のみだ。だが二人が知りたいだろう情報へ話を拡大すると、現時点では不確かな部分が多く含まれてしまうんだ。確度は高いと思っているが、そこは留意してほしい」
「それで構いません。どうか、話してください」
私が促すと、ディオン様は兵長さんとは対照的に、堂々としたまま話し始めた。そしてその話し方も簡潔で、まさにディオン殿下そのものだった。
しかし最初に出てきた言葉からして、余りにも抜き身であり、かつ衝撃的だった。
「では、断定できる部分から言おう。まずクリス殿を襲うように仕向けたのは、教会と見て間違い無い」
「教会だと……!?」
戦慄する殿下だったが、私に至っては叫ぶ言葉すら無い。私が襲われたのは、男爵位を得てから間もない頃だ。そんな頃から既にマークされていたというのか。
「次兄が貴国へ密入国する数日前に、教会の信徒が直接接触している。そこでクリス殿の所在と、出国に必要な足を提供したようだ。次兄自身は隊商の貨物に紛れたようだが、貴国で商いをした記録が無いところをみるに、教会が用意した偽装商人とみて間違い無い。しかし次兄が出国したのとほぼ同時に、クリス殿がイネス殿を連れてこちらに向かっていたことまでは、教会も把握できていなかったようだ」
「そこまで断言できるということは、もしやブリアックに情報提供した信徒を確保出来たのですか?」
「ああ。初めは憲兵の聴取に抵抗していたが、俺が直接尋問したら、すぐに吐いた」
え、それって、もしかしなくても拷問ーー。
そんな心の声が聞こえたはずも無いが、ディオン殿下は苦笑し、首を横に振った。
「その信徒は、地元の冒険者だったんだよ。俺とも面識があって、以前一緒に飲んだこともあった。そこでそいつと家族の安全を約束しつつ、次兄の国外逃亡ほう助について減刑するため、俺に協力させてくれと情に訴えたんだ。そいつは泣いて感謝しながら、俺に全部教えてくれたよ」
私がただポカンとする一方、舌打ちをしたのはボリエ殿下だった。
「それこそ嘘みたいな話だな。信徒としても冒険者としても、チョロ過ぎるだろ」
それは確かに。
「そうでもない。もし俺で力不足なら、長兄の力も借りると誓ったんだ。それで思いが届いたのだろう」
「……ああ、そりゃ泣くだろうよ」
わーお、そりゃ効果絶大だ。アーマン第一王子はディオン殿下とは対照的で、身分や立場に対しては厳格な価値観と区別意識を持っている。それはディオン殿下も公言しているし、むしろ世界的にはそちらが一般的なので、疑う余地は無い。
そんな王家の次期国王筆頭が、外交問題に直結しかねない怪しげな依頼を請けた冒険者とその家族に、生優しい対応をするはずがないのだ。目の前にいる、庶民派を気取るディオン殿下は別として。
となれば、その冒険者が選ぶ道は一つしかない。教会に殉じたところで、家族の安全が担保されるとは限らないのだから。
「貴殿もちゃんと、えげつないな。流石は王子様だ」
「褒め言葉と受け取っておこう。話を戻すが、ここで俺の中で疑問が生まれた。それはわざわざ次兄を使って、クリス殿を襲わせた理由と動機だ。次兄の動機は論ずるべくも無いが、それを教会がアシストした理由が分からない」
「単に教会にとって、扱いやすかったのではないでしょうか。私がいないとなれば、母でも良いと考える単純な男です。ちょっと焚き付ければ、後は勝手に踊ってくれると見込んだのでしょう」
「おい、言葉が過ぎるぞ」
ボリエ殿下が少しだけ、咎めるように目を細めた。言い切ってから自分が吐いた毒の濃さに気付いたが、あの男が憎いという気持ちは、どうしても消えそうに無い。恐らく、やつが処刑された後になっても。
でも、確かにこれは言い過ぎた。廃嫡されたとはいえ、ディオン殿下にとって血を分けた兄であることに、今も変わりないはずなのに。
「すみません、流石に失言でした。ディオン殿下、どうかお許しください」
「気にしていない。概ね、そんなところだろうとも思う。だが次兄が扱いやすいという点には同意できない」
「何故ですか?」
「奇しくもクリス殿が言った通りだ。復讐に狂った元王子を使うより、プロの暗殺者を使う方が、より確実に君を消せる。少なくとも俺なら複数人のプロに依頼し、君の死体を確認するまで契約期間を延長するだろうな。まず依頼するはずもないが」
「……なるほど。しかしそうなると、いよいよ私には想像つきかねますね。狙われた理由も、ブリアックが使われた理由も」
「それについては一つ、可能性を提出することが出来る。俺の推測が正しければ、クリス殿が狙われた遠因はーー」
そして次の一言こそ、殿下がここに残るべき理由だった。
「ーーボリエ殿。貴方の兄君にあると思う」
「なっ……!?」
……ヒューズ第一王子か。私と同じ両親を持つかも知れない男。
「推測とは言ったが、その土台となる前提条件については自信があるつもりだ」
「……聞き捨てならんな。説明してくれ」
「話は一度、ボリエ殿が御結婚された日にまで遡る。あの結婚式と披露宴は内密に行われたものだったが、その情報は我々の耳へすぐに届いた。その情報の出処が特定できないことは、以前報告していたと思うが……実は我がマルティネス王国の情報収集力を以てしても、未だにその出処が特定出来ていない」
「未だにですか?」
あれから結構な日が経っているのに、全く特定できないと?
「何が理由でしょうか」
「原因は様々だ。大半は情報提供者の失踪で、次いで魔獣襲撃による落命。病気で伏したまま、意識を取り戻せない者もいる」
それはまた、露骨な証拠隠滅ですこと…。
「そして分かっている限り、全員が前科者だった」
「前科者、ですか」
「ああ。死んでも誰も困らないような人選がされているように見える。初めから消すつもりで用意したのだろう」
「ああ、ちくしょう……」
それを聞いたボリエ殿下が、深々と溜息を付いた。その中には怒りというよりも、疲労感のようなものが込められている。
「……徹底した人選と漏れのない事後処理。これは明らかに組織的な工作だ。それも我国の諜報部に匹敵する力を持った組織による」
「じゃあ、まさか」
「ああ。国家規模の情報工作が出来るのは、国家だけだ。つまり情報を漏らしたのは、バシュレ側の王家だろうな。まず間違いなく、兄上の仕業だ」
最初の衝撃から立ち直った殿下は、身内の裏切りを聞かされても冷静さを保っていた。
「意外と驚かないのだな?」
「まあな。最悪、それもあるか…くらいには思っていた。信じたくは、なかったが」
でも確かに、それしか考えられない。第一王子に先駆けて第二王子が結婚したという情報は、バシュレ王国にとっては公開を遅らせたい事実だった。第一王子の結婚が決まるまでは待てずとも、二人の間に子が生まれるまでは、隠しておきたかったはずだ。
それは同時に、外部にとってはいち早く知りたい情報でもあることを意味する。危険因子ならば早期に排除出来るし、利益になりそうなら秘密裏に懇親を深める事も出来る。現にマルティネス王国は後者を選んでいた。
そんな国家機密を提供しつつ、出処を完璧に秘匿出来る組織なんて、国内最大勢力である王家以外にあり得ない。
「あの食事会を設ける……いえ、隣国に設けさせるためでしょうか」
「そうだろうな。おそらく我がマルティネス王国に貸しを作りつつ、自国優位の協力関係を結ぼうと考えたんだろう」
「くそ、俺はなんて間抜けなんだ。調査兵からまともな報告がいつまでも来ない時点で、気付くべきだったのに」
悔しげに膝を叩くボリエ殿下だったが、ここまで冷静に話を進めていたディオンの目にも、後悔に似た残滓が浮かんだ。
「その情報に釣られた我々も間抜けだった。クリス殿の言い草ではないが、次兄は感情的かつ短絡的だったから、野心家という点では利用しやすかったのだろう」
今ディオン殿下は我々と称したが、食事会の日の彼は、至極つまらなさそうな顔をしていた。そして私の救急救命に際しては、誰よりも迅速に動いていた。とても陰謀に加担していた人間の態度と動きではない。
恐らくディオン殿下は、提供された情報に興味がなかったに違いない。それでも責任を回避しない辺り、この人もまた、王の器を持つ一人なのだろう。……次期国王候補にしては、ポーション染みが今も目にまぶしいが。
「ここまでが、前提条件となる土台だ。物的証拠はやや弱いが、ほぼ芯を得ていると思う」
「同感だが、我が兄ながら実に悪辣な発想だ。政治と言えばそれまでだが、範には出来ん」
「心中お察しする」
「でもそれがどうして、私が狙われた遠因に繋がるのでしょうか?」
答えが気になる私は、落ち着かない気持ちのまま先を促した。それに答えるディオン殿下の表情が一層苦々しいのは、あの日を思い出したからだろうか。
「ヒューズ第一王子が服毒計画についても、教会と共有していると考えられるからだ」
「何故そう思う?」
「次兄の廃嫡後、教会が接触したタイミングが早過ぎる。服毒の計画と、その失敗を見越していたとしか思えない。恐らくヒューズ王子は、我々に情報を流すのと同時に、計画の一部を教会へ明かしていたのだろう。当然、毒の調達についてもだ」
確かにそうでなくては、ブリアックの用意した睡眠薬に近い毒など用意できない。
「……そうか。ブリアックの復讐心を利用するよう教会へ進言したのは、兄上だな。ブリアックとマルティネス王国の立場を、より効果的に悪化させるため、文字通り躍らせたんだ」
「そうだろうと思う。ただクリス殿の母親に害が及ぶ可能性に、その時点で予測できていたかは不明だ」
「なるほどな……貴殿にしては随分と踏み込んだ推察だが、それもアーマン殿が考えたのか?」
「いや、これに関しては俺個人の見解だ。むしろ長兄は懐疑的だった。教会の暗部と、隣国の暗躍ありきの筋立てだし、仮定と憶測に頼りすぎていて、根拠に薄いとしてな」
その通り、やや飛躍した推測かも知れない。それでもその推測は、話の筋道を概ね通してしまうような説得力があった。
「……地下牢のブリアックは、殿下に睡眠薬を盛ろうとしていたことを認めていました。もし毒の調達に教会が絡んでいたなら、計画を察知してブリアックの毒と入れ替える位のことは、出来るかもしれません」
「しかし兄上は、隣国に到着してから食事会まで、特に怪しい動きはしていなかったぞ。当然厨房にも入っていなかった」
「ええ。しかし毒を入れ替えるだけなら、別にヒューズ殿下本人である必要はありませんよね」
「それもそうか。教会と結託してるなら信徒を使えるかもしれないな……厨房や毒見役にも信者はいるだろうし」
教会本部は、我国と隣国の丁度国境に位置している。信徒の数に差はあれど、その影響力は同程度に存在するだろう。
「ディオンの言う通り、確かに教会ありきの計画だが、やれなくはなさそうだな」
「ええ。しかし肝心の殿下は服毒せず、代わりに私が身代わりになってしまいました」
しかもその平民は、毒を飲み込まなかった。そのせいかは不明だが、本来なら眠ったまま覚めないはずの悪夢から、早々に復活してしまった。
「だから連中は、クリスを消そうとした訳か。お前が狙われた遠因が兄上にあるってのも、あながち的外れとも言えなさそうだな」
理由はもちろん、毒の正体を知られないために。
嚥下しなかったとはいえ、幻覚剤の悪夢から目覚めた人間であることに変わりない。万が一にも私が予知夢に目覚めればーー事実目覚めてしまっているがーー教会にとって不利益を生みかねないし、その原因が教会特製の合成毒にあると、外へ知られる訳にはいかない。教会からすれば、私には死んでてもらわなければいけなかったんだ。
でもそうなると、ヒューズ第一王子の動きに一貫性が無いのが気になる。ディオン殿下の言う通り、ボリエ殿下の殺害だけが目的なら、暗殺ギルドを通した方がより確実だったはず。何故わざわざ教会経由で幻覚剤を手に入れたのだろう。暗殺にしては手が込みすぎてはいないだろうか。
いや、そもそもあの教会が……というよりあの教皇が、予知夢に目覚めかねない幻覚剤の使用を、万が一にも許可するはずが無い。エミール君という予知能力者が、既に自分の手元にあるのだから。
「ヒューズ殿下は、教会とどんな取引をして、あの毒を手に入れたんでしょうか……?」
「わからんが、兄上と教会が元凶とほぼ確定したなら話は早い。早速周辺の調査をーー」
「待て。一つ確認したいのだが」
言葉鋭く差し込んできたのは、ディオン殿下だった。
「ボリエ殿、クリス殿。やはり、俺に何か隠していることがあるな?」
「隠し事、ですか…?」
その声は低く、どこか怒りを湛えているかのような不穏さがあった。
「だからクリス殿が狙われたとは、どういう意味だ?毒殺されそうになったのがボリエ殿なら、その後も教会から狙われるとしたらボリエ殿のはずで、殺しそびれたクリス殿ではないと考えるのが自然だ。何故今の俺の推論で、そこまで納得できるのだ?」
「……!!」
ドキリと音を立てて心臓が飛び跳ねあがり、私の中に居たくないと主張するかのように暴れだし始めた。
しまった……私が狙われた遠因が、ヒューズ殿下にあるかどうかなんて、予知夢の存在を知らなければ導き出せる訳が無い。
「……カマをかけやがったな。あの毒に何かあると、本当はそこを疑ってたんだろ」
「あの毒はなんなのだ?クリス殿の周辺が騒がしくなったのも、あの毒で倒れてからじゃないのか。一体、貴殿らは何を知っている」
少ない手がかりで核心部分に迫るディオン殿下に対し、初めて恐怖と、それ以上の畏怖を覚えた。普段は言葉少ない彼が、今日に限って非常に雄弁だったのは、私達から毒の情報を引き出すためだったのではないか。
でも、これは知られるわけにはいかない。教えたところで、巻き込まれる人間が増えるだけだ。
「毒は毒です。それ以上でもそれ以下でもありません」
毅然として情報共有を拒否した私だったが、ディオン殿下は表情を変えなかった。
「君らしくない発言だな、クリス殿。毒もまた薬だと、君ならそう言いそうなものだが」
普段の私なら、きっとそう言い切ったに違いない。でも、今は……。
「……それは買い被りです、ディオン殿下」
……自分を偽ってでも、あの予知夢に繋がるものは、隠さねばならない。知ってしまえば、あの教会が口封じで何をしでかすかわからない。
「………」
「………っ」
永遠にも思えるような、しかしごく短い沈黙が店の中を支配した。その沈黙を打ち破ったのは、ディオン殿下の溜息だった。
「俺に信用が足りなかったか。残念だが」
「いいえ。友を大事に思うからこそ、お話し出来ないのです」
「わかった、深く聞かないでおこう。今日の目的は、事件に関する情報提供であって、聴取ではない。毒について俺が詳しくなったところで、君達の利益にはならないだろうから」
「ご理解頂けて幸いです」
「だが、一つだけ確認させてくれ。あの日、教会が用意した毒を君が口にしたから、教会は君を害そうとした。それが事実かは別にして、そこに貴殿達は納得したのだな?」
「そうだ。詳しくは言えないが、ただの毒ではない」
「やはり、そうなのか……いや、しかしそんな……」
ひとまずの追及を避けられたことで、ほっと肩を撫で下ろした私達だったが、ディオン殿下の顔は緊張したままだった。その様子に違和感を覚え、私の中に不安感が渦巻いた。
「やはり……とは?」
「……俺は君と会ってから、少しでも君のことが知りたくて、少しずつ薬草学を学んでいた。そしてヒールポーションを作るにあたり、興味深い事実を知った。それは材料に含まれている薬草が、用法用量を誤ればいずれも毒になりうるという事実だ」
前半はともかく、後半は薬草学の基礎であり、極意だ。初の調合であれだけのポーションを作れるのだから、そこまで学びが追いついてても不思議ではない。
「それがどうした」
「もしもあの毒が、毒ではなく薬なのだとしたら、どうだ?」
「ですからディオン殿下、あの毒のことはこれ以上ーー」
「違う、そういう意味ではない。ヒューズ王子にとって、あれは毒ではなく、薬だったかも知れないということだ」
「どういう意味ですか」
「ひょっとしたら彼はーー」
ーーあの毒を、自分自身に飲ませるつもりだったんじゃないか?




