応援すべきか微妙な恋慕
闇焼肉の翌日。二日酔いでダウン中の駄メイドに一日休暇を与えた私は、昨日の悪夢を頭から払いながら、執務室へ入った。
「おはようございま…」
……殿下、痩せましたか?いや、これは…やつれてるのか。
しかも殿下がげっそりしてる一方で、奥様の肌はツヤツヤと輝いている。昨日、別れた後で何があったかは聞かないでおこう。否、聞きたくない。
「クリス、聞いて欲しい話があるんだが」
聞いて欲しいのかよ。昨晩の紫肉でデリカシーまで消えてしまったのか?
「奥様にまた怒られますよ」
「えっ?怒らないわよ?」
あれ?
「おい、なにと勘違いしている?話したいのは、お前の母君が襲われた件についてだ」
「ああ、そっちでしたか。すみません」
「…お前、今とんでもなく失礼な誤解してただろ」
良かった、まだ人間性を残していたか。もし昨晩の苦労と戦果を共有しようとしてきたら、夜通し説教も辞さないところだった。酒の肴なら、昨日焼き損ねた魔物肉があることだし。
「まあいい。さて馬車内で話した通り、今日は事件と関わりのある人間に会わせようと思う。が、会う前に今一度、釘を差しておこうと思ってな」
「言われなくとも、もう殺意マシマシで詰めたりしませんよ」
「確かに前よりは冷静みたいだがな。言うまでもないが、もし関係者に対して復讐を考えているなら、会わせられないぞ」
そういえば、教会本部へ行く前にも何か言ってたな。確か、様々な思惑が重なった結果とか、主犯がいないとかどうとか。
「断罪は司法に任せます。実行犯が既に捕らえられている今、私が知りたいのは事件の背景だけです。母を守るために私が何をすべきか、考えたいんです」
「そうか、ならいい。ではまず、懲罰室へ行こう。そこに、ブリアックをお前の母君に引き合わせた……いや、引き合わせてしまった原因の一つとなった男がいる」
懲罰室…って、なんだろう。
「独房の間違いではなく?」
「そうか、お前には馴染みが無いかもな。懲罰室ってのは、兵舎で過ちを犯した者を懲罰し、反省させるための個室だ。もちろん快適とは程遠い環境なのだが、その者は自分自身を許せないからと、自ら籠もりつづけている。食事もまともに摂らないでな。多分、お前が来るのを待っているんだと思う」
「私を、ですか」
「彼はお前に裁かれたいのかもしれない。その男の名は、バルト」
……!!!
「そんな、バルトって…!」
「ああ…」
あの、兵長だ。
兵舎の奥に設置されたその部屋は、立て掛けられた訓練用の剣や槍を越えた先にあった。
「バルト兵長」
「殿下…ですか」
殿下は気楽な様子でドアをノックしたが、返ってきた返事は、まさにその対極にあった。
「入るぞ。クリスも一緒だ」
「……はい」
重い扉を開けた先で、兵長さんは簡素なテーブルの前に腰掛けていた。その顔はすっかりやつれていて、最後に病室の前で見た時とは比較にならないほど、顔色が悪くなっている。
「兵長さん…」
「クリス様…この度は、大変申し訳ありませんでした…!面目次第もございません!!」
兵長さんは椅子から降りると、自分が表せる最も深い礼を私に返した。足を揃えて膝を床につき、額を床に擦り付けるその所作は、いつでも断頭台に上がる覚悟があることを示しているという。
殿下は黙したまま、私に頷いた。どうやらこの場は、私に任せてくれるらしい。
「兵長さん、頭を上げてください」
「しかし…しかし、私のせいで!」
「お、落ち着いて」
兵長さんの目から流れる涙は、とても演技によるものとは思えない。きっとたくさん後悔したからに違いないが、一体この人が何をしたというのだろう。
「大丈夫ですから、落ち着いて話してください。母が襲われたあの日、何があったのですか?」
「……はい、全てお話しいたします。事の始まりは、クリス様と出会った日、つまり殿下と殿下妃の披露宴でお会いした日でした」
涙を流し続ける兵長さんは、まさに懺悔をするかのように、頭を下げたまま話し始めた。
「クリス様のお姿を初めて拝見した日に、私は奇妙な感覚を覚えていました」
「奇妙な感覚…?」
「はい。平民の一学生でしか無かったはずの貴方に、何故か尊いものを感じました。その後、殿下から貴方を手伝うように命じられた時も、騎士のプライドが傷付くどころか、少なからぬ喜びを覚えていたのです。自分でも訳がわかりませんでしたが、騎士としてそうすべきだと、肌と心で確信していました」
語り続ける兵長さんの独白は力無く、今にも消え入りそうなほどだった。
ポーションショップにおける兵長さんの働きぶりは、母も私も認めるところである。あれは兵長さん自身が優秀だったのもあるが、自身でも説明のつかないモチベーションによるところが、大きかったのかもしれない。
「ポーションショップのお手伝いをしている日々は、とても忙しくも充実したものでした。クリス様が隣国より帰還された後も、日常的にあの店に通い、手が空いてる日は変わらずお手伝いをしていました」
えっ、ずっとバイトを続けていたの!?聞いてないだけど…さてはお母さんめ、敢えて私に言わなかったな。言えば私が無理してでも手伝うと分かっていただろうし、信用出来る貴重な男手を失いたくなかったのだろう。
「ありがとうございます。母に代わり、お礼申し上げます」
「好きでやっていたことですから、それは良いのです。それに、その…私にも、打算はありましたので」
「打算?」
思わず首を傾げた私に頷いた兵長さんは、殿下と目を合わせた。殿下もまた頷き返している。どうやら事の核心に関わることらしい。
「……すみません、墓まで持って行くつもりだったのですが…は、恥ずかしながら、好意を抱いてしまったのです。い…異性として」
「へっ?」
こ、好意?……好意!!?誰に!?……私に!?ど、どうしよう。兵長さんはすごく良い人だけど、そんな対象として見たことは、一度も無いんだけど…!?
「い、いつから、ですか…?」
「初めてお会いした時からです。あのおおらかなお人柄と、メイド顔負けの的確な仕事ぶりに、心を射抜かれました。あの方と過ごす時間を思うだけで、心が満たされるのです。店のお手伝いも、あの方にお会いするためでもありまして…」
………んん?あの方?
「えーっと…すみません、誰に、好意を抱いたと?」
「ーーで、ですから、店主殿にです」
「お母さんにぃぃ!!?」
「…はい」
そっちかよ!?た、確かに兵長さんは私よりは少し年上だろうけど…それでも母とは一回りくらい年の差があるはずだぞ!?
「母の年齢を考えると、子供は望めないのでは…?」
「子ど…!?そ、それは、あの…しかし、子供は既に、クリス様もいることですし…」
「わ、私はもう自立してますので、お気になさらず!…あ、でも出来れば、弟が良いです。もしもの時は店を継いで貰いたいですしーー」
「おい待て。落ち着け。二人ともだ。懲罰室は見合いをする場所じゃないぞ」
「「はっ!?」」
「特にクリス、お前は兵長と母君の再婚を希望してるのか?弟が出来て、本当にいいのか?」
「……あー」
……駄目だ、一旦落ち着かないと。
「…んんっ!えーっと…母に好意を寄せてるのは分かりましたが、それと襲われた件にどう関係が…?」
「…クリス様を追ってきたブリアックは、貴方を探して城下町を嗅ぎ回っていたようです。しかし貴方の不在を知ったあの男は、代わりに騎士が連日店番をする変わった薬屋があるとの噂を拾ったのです。平民が経営する薬屋に、騎士が就く背景を洗い出せば、クリス様と店主殿の関係に辿り着くのは自明でした。私が…不必要な接触を繰り返したばかりに…!」
なるほど…兵長さんの顔立ちは貴族然とした精悍なものだし、そりゃ騎士としても店番としても目立ったことだろう。一般客から、顔を覚えられていても不思議ではない。でも、それは…。
「申し訳ありません!私が、奴を誘い出したも同然です!この罪は一生をかけて償います!!」
「それが、どうして兵長さんの罪になるんですか?」
「……え?」
にやりと笑う殿下の顔が史上最悪にムカつくが、今は無視しよう。殿下の性格が悪いのは、今に始まらない。
「兵長さんは、プライベートを削って、私と母に尽くしてくれていただけじゃないですか。そりゃ兵長さんはかっこいいので、噂のきっかけにはなったかもしれませんが、やましい事は何一つありませんし。むしろ私達からは礼を述べるべきところです。噂などという不確かなものの責任まで、取ろうとしないでください」
「ですが!?」
「よって兵長さんは無罪とします!はい、これでこの話は終わりです!これからも母と仲良くしてあげてくださいね!ほら、みんなの迷惑だから懲罰室を空けましょう!さっさと出る出る!」
「そ、そんな!?ちょ!?クリス様!?」
私は半ば強引に兵長さんを立たせると、渾身の力を込めて懲罰室から引っ張り出した。別れ際まで終始申し訳なさそうにしている兵長さんだったが、こんな事で怒ってたら、世の中の全てを呪わねばならなくなる。許せるものは、許すべきだ。
「いつまでニヤついてるんですか」
「いや?大人になったなーと思ってさ」
「ふんっ、昔から殿下よりは大人ですよ」
「大人は、自分を大人だと言わないもんだ」
時々猛烈にキモいのは、ホントすぐ直すべきだと思う。最近猛烈に覚醒したアベラール様の手腕に期待しよう。
しかし、それにしても。
「殿下が主犯は居ないと言った理由が、今になってようやく分かってきましたよ。善意がきっかけになってしまうケースもあるんですね」
「この場合は必ずしも善意だけではないけどな。さて、今日はもう一人会ってもらうつもりだが、本人に会うのは様々な理由で難しい。そこで今回は、代理を立ててもらった」
「代理?伝言役ってことですか」
「いいや、文字通り代理だ。そして恐らく彼に関しては、俺よりお前の方が詳しい」
なにこのニヤけづら。むかつく。
「勿体ぶらないで誰なのか教えてくださいよ」
しかしてその人物は、私が最もよく知る人物であると同時に、この事件における最重要人物の一人でもあった。
「隣国のディオン第三王子だ。アーマン第一王子の代理として、秘密裏に入国を済ませている」
「!…そうですか、やはりアーマン殿下が絡んでましたか」
あのブリアックがわざわざ我国にやってくるからには、相応のきっかけが必要だろう。アーマン殿下が、その一つ目のピースになったというわけだ。
「集合場所は、お前の実家だ」
「そうですか、やはり私の実家で……」
……私の実家?
「いやいやいや、なんでそうなるんですか!?ご存知の通り、ポーションショップですよ!?」
「ディオンの希望だ。後学のためにだそうだぞ」
「後学…ですと…!?」
王子様がポーション作る機会なんて、絶対無いでしょ!?買えよ、ポーションが必要なら!出来れば、うちで!
「安心しろ。お前の母君からは許可を得ている」
母よ、そこは許可を与えるところでは…。
「あまり待たせるのも悪い。そろそろ行こう」
……既に待機中かよ。もう、何も言うまい。
私達が見慣れた実家に到着すると、臨時休業中の店内から、当たり前のようにディオン殿下が現れた。その服装は庶民そのものであり、端正な顔立ちを除けば、王族であることを感じさせない。
「クリス殿、久しぶりだな」
「……はい」
「よお、ディオン。忙しい時に済まないな」
「ボリエ殿も、壮健で何よりだ」
お二人が仲良しなのはよく分かった。だがちょっと待って欲しい。
……なんでディオン殿下の平民服に、ポーション染みがあるのさ。
「ところでクリス殿、これを見てくれ。初めて作ってみたんだが、どうだ」
まさかの手作りヒールポーション。しかも多分、売れるレベル。
「……お見事です」
「そうか、よかった。ポーション学も、結構楽しいものだな。だがエプロンを用意すべきだった」
まさか本当に、後学のためにここを選んだというのか…?
「おい、あまり羽目を外すなよ。後ろの護衛が頭痛に耐えかねてるぞ」
「そうか。ではこのヒールポーションは彼らに与えるとして、早速本題に入ろう」
頭痛の原因が御自身にあるとは、御考えにないのですね。
……やはり王子様という人種は、未来永劫理解出来そうにない。
今年最後の投稿かもしれません。
来年もよろしくお願いします。




