嫉妬心への決着
「あのボリエ様が、女の子と二人きりで秘密の会食を続けてたなんて、よほどのことですわ。婚約者だった私とでさえ、二人きりの時間なんて…」
なんだこの負のオーラは!?本当に、あのアベラール様が発しているものなのか!?
「奥様、飲み過ぎです。私達の関係は植物園でお話しした通りですから。ほら、お水」
「そもそも貴方も貴方なのよ」
「私ですか!?」
「貴方とボリエ様の距離感は異常よ?不敬罪を適用可能な軽口を叩きあって、アイコンタクトも多いし、しかも時々声を出さずに会話してるでしょ。横から見てれば熟年夫婦か、付き合って数年の恋人同士よ?結婚してからの私が、どれだけヤキモキしていたか、貴方に分かる?」
こ、怖ええ…怖すぎる……。ていうか殿下と私の読唇会話、しっかり見られていたのか…。
でも、アベラール様の言う通りなら、私達は無自覚なまま不安にさせ続けてきたことになる。それなら奥様の心境も分からなくはないかも…。
「す、すみませんでした。立場を弁えずに…」
「…わかってる。別に謝らなくていいの。私は自分の浅ましい嫉妬心に、決着を付けたいだけなのだから」
奥様…申し訳ありませんでしーー。
「さあ、ボリエ様も黙ってないで、正直にお答えください。クリスを女として見てた時期があったか、否か!」
ーーいや、やっぱ怖ええわ。アベラール様も、ボリエ様とはまた別方向で、酔うとまずいタイプらしい。頼む殿下、無難な答えを…!思わせぶりな答えは避けてくれ…!
「見ていたとも…」
「「!?」」
おいいいい!?
「…そうでないとも言える」
いやどっちだよ!?そこはハッキリ否定しろ、今死ぬほど気まずいから!
「誤魔化さないでくださいまし」
「そうじゃない。クリスは、特別なんだ」
「特別ですって…!?」
「ひいっ!?」
思わずビキる奥様と、ビビる私だったが…。
「ああ。仮にこいつが男だったとしても、特別なことに変わりはないよ」
殿下が物寂しそうに笑うものだから、それ以上の突っ込みを差し挟むことは、躊躇われた。
その後に続く殿下の赤裸々な告白は、所々で呂律が回っていなかった。
「俺が荒れ始めたのがいつか、知ってるか」
「……10歳位の頃と聞いてますわ」
「そう、ちょうど10歳の誕生日を迎えた日に、王位継承順位が正式に決まったんだ。結果は知ってのとおりだよ」
屋敷の庭の横を、身なりの良い親子が歩き去っていく。はしゃぐ子供と、それを優しく見守る夫婦を目にした殿下の唇は、痛みに耐えるかのように引き結ばれていた。
「俺は兄上が好きだった。あの人はお忙しい父上と母上以上に、俺を見守ってくれていた。王族が学ぶべきマナーや習い事も、お手本はいつも兄上だった。本当に優秀な人で、勝てる部分がなかったよ。だから俺は、兄上が王になると確信していたんだ。それは兄上が妾の子だと知った後でも、変わらなかった」
国王は、より優秀な人間が担うべきで、血の繋がりは大きな問題ではない。幼いながらに、俺はずっとそう考えていた。あの日までは。
「兄上の継承順位が俺より下と知った日から、俺は周りが全て本物に見えなくなった。血統を優先して兄上の資質を軽視したのかと、父上の決定に失望した。俺に優しかった人々は、俺が次の王になると知ってたんじゃないかと、疑うようになった。事実、俺の王位継承が現実味を帯びた頃から、露骨に媚びへつらう貴族共が、新たに集まるようになった。……どいつもこいつも、くそったれだと思ってたよ」
……あの日酔いつぶれた時も、そんなことを言ってたっけな。
「だから周囲に分からせてやりたいと思ったんだ。俺はお強くも優しい兄上と比べて、どうしようもなく狭量で、心から人を信じることの出来ない、弱くて醜い存在だと。王にふさわしいのは、俺ではなく兄上だと」
当時の幼さを言い訳にするつもりはないが、大人よりも視野が低かったことは、否定しようがない事実だ。俺にとっての正義は、最も王に相応しい人を王にすることだと信じていた。
「稚拙な演技を何年も続けていく内に、どこまでが演技で、どこまでが本音か、俺自身分からなくなっていった。自分の弱さを肥大し続けられるほど、俺の芯は強くなかったんだ」
殿下は一口水を飲むと、深いため息を吐いた。
「……そんな有様だったにも関わらず、俺の継承順位は一位のままだった。とても惨めな気分になったよ。どうして周りは分かってくれないんだ…俺は何をやってるんだ…ってな。バカな話さ。一番のバカは、俺だってのに」
吐息から漂う酔っぱらい特有の酒気が、当時の心情を物語っているかのようだった。
「クリスと出会ったのは、そんな自分に嫌悪を超えて、絶望し始めた頃だった。その日の俺はよそ見をしながら歩いてて、大量の薬草図鑑を運ぶのに苦労していたクリスに、後ろからぶつかったんだ――」
『おい、眼鏡女!俺にぶつかってくるとは良い度胸だな!跪け!ここで首を飛ばしてくれる!!』
『ぶつかってきたのはそっちでしょう!まずは謝りなさいよ!ていうかまず、お前が名を名乗れ!誰よあんた!私は平民のクリスですけど!?』
お前は誰だと聞かれたのは、人生で初めてだった。
『なっ…なああ!?お、俺はボリエだ!知ってるだろう!!王位継承権一位の第二王子ーー』
『肩書きなんざどうでもいい!』
『なにっ…!?』
衝撃だった。王族を相手に、真正面からぶつかって来れるやつがいたことが。
『非礼を詫びることも出来ないやつは、王子だろうとただの無礼者だ!こんな風に育て上げた親の顔が見てみたいわ!』
『お…親の顔だと!?父上は、この国の王だぞ!!』
そして俺の非行が、親の評価に影響を与えているだなんて、その時まで一度も考えたことがなかった。
だが、それ以上に――
(おい待て、俺は今、こいつの言葉に怒っているのか…!?何に…?父上を侮辱されたことに…!?あの人の名誉を守ろうとしているのか、俺は!?)
――未だに見えない陛下の真意を、そして見失いつつあった父親の愛をまだ信じようとしていた自分に、愕然とした。
『は、発言を訂正しろ!父上を侮辱するな!!』
何もかも分からなくなった。今までの俺のことも、今の俺のことも、目の前の女が正しいのかどうかも。それすらも分からないことに、分からなくなってしまった自分自身に、無性に腹が立った。
だが、分からなくて当たり前だった。父上の決定に対して勝手に不貞腐れていた俺は、周りを拒絶してばかりで理解しようとしてこなかったから。
そして誰よりも俺自身が、家族のことを知ろうとしてこなかったから。
『だったら母親の躾が悪かったとでも言いたいわけ!?自分の失態くらい、自分で拭いなさいよ!』
『母上まで侮辱するのか…!?貴様、不敬だぞ!!』
そんな俺が自分の正体を知ることなんて、出来るはずがなかった。
『いちいち叫ぶな、この不良男子!先に謝るべきはアンタの方だ!黙ってさっさと頭を下げろ!!』
頭を思い切り殴られたのは、あの日が初めてだった。そうなって初めて、俺は気付いた。俺のことを真剣に叱ってくれた他人なんて、これまで一人もいなかったんじゃないかと。
こいつは当たり前のことで叱ってくれる、初めての他人だったんだ。
思わず全力で殴り返したのも、女に手を挙げたのだって、俺にとって初めての経験だった。そこからは、取っ組み合いのつかみ合い、そして殴り合いの喧嘩だった。
喧嘩が終わった時には、もう陽は沈みかけていた。お互いボロボロで、酷い有様だった。
「殴り合いをしたとは聞いていましたが、そこまで壮絶なものだったとは…」
「喧嘩の後、女子に手を挙げた自分の愚かさに恐怖したよ。だがこいつときたら、俺が全部謝罪したのに、心がこもっていないと言いながら再度殴りかかってくるしさ」
「クリスもクリスね…」
唖然とするアベラール様だったが、私はむしろため息をつきたい気分だった。あれは壮絶というより、ただ幼稚だっただけだ。本当にあの日の私は、らしくなかった。
「そんな訳わからないところにも興味が湧いた。友にならないかと声を掛けたのは、俺の方からだった。翌日の、闇焼肉の最中にな。あれは地獄だったな…」
「何故そんなタイミングで…」
まぁそれはそれとして、しゃべりすぎである。
「はいはい殿下ーお水を飲みましょうねーいらんことしゃべってますよーいらんことも一緒に飲みこみましょうねー」
「んぐぉごくっごくっ」
まったく、これだから酔っぱらいは…。これ以上私の恥部を晒されたらたまらない。さっさと寝かせるに限る。
「ぶはぁ……まぁ俺はそんなだったし、こいつの他に友と言えるやつなんて出来なかった。だからあの三年間で、こいつに抱いていた好意が異性に対するものだったかなんて、今の俺にもわからない。同性との友情を培うより先に、恋心を学ぶ前に、俺は結婚してしまったのだから。ただ――」
「まだ水が足りないみたいですね。さあどんどん飲んで」
「ん」
んん?なんだその手は。口に運べないだろうが。……あ、この人、まさか。
「……それでも、俺が生涯愛すると誓ったのは、人生で初めて愛したいと願った女は、アベラール。お前だけだ」
「……!!」
「クリスでは、駄目なんだ。こいつは俺の女である以上に、大事な友人のままであってほしいから。これが答えでは、足りないか?」
「……試すような質問をしてしまい、申し訳ございませんでした。しかし、もう二度と愛を確かめたりは致しません。私も改めてここに誓いますわ。私はこの一生を、貴方を愛する妻として尽くすことを」
「俺もだ、アベラール。お前を心から愛している。生涯に渡り、愛し続けると誓う」
「ボリエ様…!」
心からの言葉だと理解したアベラール様は、涙を拭いながら微笑んでいた。ひとまず納得して頂けて何よりだが…。
「お人が悪い…」
「なんか言ったか?」
「いえ、別に」
いつから理性を取り戻していたのやら。相変わらず酒臭いが、これくらいなら大崩れもしないだろう。
……お幸せに、殿下。
「それで、続きはどうします?そろそろイネスさんが限界なんですが」
「うん?うわ、なんか静かだとは思っていたが、ずっと黙々と飲み食いしてたのか?」
「らっれー!なんらうおうしりあうらからー!」
何言ってんだか全然分からんぞ、この限界駄メイド。これはもう長くは保たないね。
「ぐすっ…じゃあ、私のお肉を最後に焼きましょう。これだけはどうしても、今日食べてもらいたかったから」
「「え」」
アベラール様の、肉って…あのランタンみたいに光ってる、紫色の肉のことか?炭火の灯りよりも神々しい、その肉を焼くのか?この発光体をマジで喰らうと?
「いや、アベラール、待て。やはり今日はここまでにしよう。俺も今日はちょっと飲み過ぎたーー」
「いいえ、絶対に食べて頂きます。私も食べますから。いいですね?」
「それはーー」
「アベラール様、そーー」
「いいわね?」
「「……はい」」
……圧が、超強い。流石はボリエ様を矯正した奥様だ。私なんかじゃ相手にならない。間違いなくこの中で最強の御人である。
「…せめて調理を手伝おう」
「ええ、お願いしますわ。ああ、念の為言っておきますけども」
「な、なんだ?」
「洗っても無駄ですからね」
「うっ…」
……終わったわ。
「うひょー!すごーい!きれー!」
完全によっぱっぱなイネスさんは、炭火に炙られてバチバチと七色に弾ける紫肉を観ながら、盛大な拍手を送っていた。酔いすぎた彼女からすれば、花火みたいなものに映るかもしれない。
だが私と殿下の目には、点火された爆弾にしか映らない。それも、爆発寸前の。
焼く前に少し厚めにカットされている訳だが、表面積が広がった分、むしろ光量が増していた。ていうか、なんで断面まで光っているんだ?真っ当な肉じゃないでしょ、これ絶対。
「どうするんですか、これ」
「どうするって…焼くからには全部食うしか…」
「食べてもらいますわよ、絶対に」
この圧倒的な支配力…実はアベラール様が一番、王に向いてるんじゃなかろうか。
「……うん。焼けた…と、思う。光ってるせいで焼き面がよく見えないが、焼き時間としては十分なはずだ。なんの肉か知らんが、寄生虫の類を心配する必要は無い」
「さあ、焼けたなら食べますわよ」
「いただきまーす!!」
うっわ、二人とも躊躇無くかぶりついたよ!もはや無敵か?無敵の人々なのか?
「……?」
…なんだ、イネスさんの様子がおかしい。どうしたんだろうか?………うお、もう一切れいった。
「……。……???」
おい、さっきまでのテンションはどこへ行った?
「イネスさん、味はどうですか?」
「ええーっと……無ですね、これは。何も無いです」
無?何も無い??
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味です。何も無いんです。ご主人様も食べてみてくだされば分かります。虚無としか表現できません」
なんだそりゃ。どれどれ…。
「……」
……………。
「おい、何か言え。どうなんだ、クリス」
「イネスさんの言ってることが、よく分かりました。味を構成する要素が、何もありません。味付けがされてないとか、そんなレベルでなく」
「肉の食感がするだけの空間を噛んでる感じですよね」
「そう、それです。歯ごたえのある空気です」
「????」
本当に、何も無い。無味無臭なのだ。舌の上に乗っているのに、本当にちゃんと飲み込めてるのか不安になる程である。まあ今は暗いので、口を開けてみて明るければ、まだ飲み込めてないとわかるだろうけど。
「…どれ」
殿下も光る肉を口に運び、ゆっくりと咀嚼した。その顔には感動も、不快感も無く、ただ無表情だ。
「どうなっている…?これだけ咀嚼しているのに、肉の風味すら感じないとは」
「残さず食べてくださいませ」
「いや、食うけどさ…アベラールも、よく食べ進められるな。逆に感心するよ」
アベラール様が肉を買った時は、まだ素面だったはずだから、熟慮した上での選択に違いないのだが…何故これを選んでしまったのか。
しかし殿下の言う通り、全く味がしないのでは食も進まない。止むを得ず私は、殿下が用意していた合成香辛料を振りかけて、かぶりついた……が。
「え」
「どうした」
「いや…殿下の香辛料をかけたはずなのに、何も感じないんですけど」
「なんだって?…げ、本当だ。スパイスが肉に触れた瞬間、香りがしなくなるぞ。おい、これ本当に食っても大丈夫なのか……って、クリス!?」
殿下?…うわ、なんだ!?
「きゃあ!ご主人様、鼻血が!?」
ちょっ、なんだこれ、全然止まらないぞ!?おまけに体も熱いし、汗かいてきたし!?
だ、駄目だ、くらくらする…!立っていられない…!
「お、奥様、これは…!?」
「あら、効きすぎね。それとも香辛料と一緒に食べたからかしら?」
アベラール様の声は、これまでになく妖絶で、官能的ですらあった。思わず背筋がゾクゾクするほどの艶めかしさだ。
「アベラール!いくらお前とはいえ、友人を毒で傷付けるような真似は許さんぞ!」
「誓って毒ではありませんわ。それにそろそろ、ボリエ様にも効果が出る頃ですわよ」
「はあ?おいお前、いい加減…に…し…??」
…うん?殿下のご様子がおかしい。顔が真っ赤だし、息切れしてて。ていうか、おズボンのご様子もおかしい。
なんだ、このテントは。いや、山脈かな?まるで噴火寸前の活火山で、今にも鼻先に触れそうなーー。
………。
「……なあっ!!!ちょっ!!?ち、近っ!?」
うっそだろ、この男!!?奥様の前でナニ興奮してやがる!!?
「きゃあああああ!!?」
「うおおおお!?ち、違う!これは違うから!おい、アベラール!!お前、俺達になに食わせたんだよ!?」
「精力剤と媚薬で漬け込んだ、娼館特製の熟成牛肉ですわ。そのまま食べると酷く苦いことから、魔法で味と香りを封じられているらしいですの」
「い、いかがわしい魔法の使い方しやがって…!」
精力剤!?び、媚薬ぅ!!?娼館特製の肉って、それ一発キメる前に一服キメるやつでは!?絶対こんな食べ方するやつじゃないぞ、明らかに食べ過ぎだろ!?
「気は確かですか!?」
「もちろんよ。ねえ、ボリエ様」
「な、なんだ…?おい、まて、今は駄目だ!今の俺に近付くな!色々と抑えが効かないから!」
し、仕方ないとはいえ、殿下がズボンを抑えながら、前屈みになって後退る姿なんて見たくなかったな…。
「万が一、クリスへの気持ちに情愛があったら、これを使って無理やり既成事実を作ろうと思ってましたの。でもそこまで私を愛してくださっているのなら、本来の使い方を致しますわ。さあ帰りますわよ、殿下。お話の続きは寝室で致しましょう」
「お、おま、何をしれっと恐ろしいことを!?ていうか、兄上がご結婚されるまで待つって話は……ちょ、やめろ、わかった!帰るからさわるなって!離れろ!自分で歩けるからー!!」
結局、しなだれかかる奥様を払い除けられなかった殿下は、二つの影を一つにしながら城へと向かっていった。流石に途中からは馬車を使うだろうが、この先は宿屋の誘いも多い。その誘惑に耐えられるかどうかは、お二人次第だろう。
実に人騒がせな新婚夫婦だ。巻き込まれるこっちの身にもなってほしい。
「はあ…イネスさん、すみません。まだちょっと、体がうまく動かなくて。もう少し熱が引いたら、片付けをしましょ……う?」
あの、イネスさん?なんか、目が怖いんですが。…顔、近くありません?
「え…はっ!?ちょ、駄目です、それはまずいですって…!ここ庭先ですよ…!?他の人に見られますから…!?」
非常に緩慢とした動きで、私の上に被さってくるイネスさんの肢体は、普段からは考えられないほど熱く、艶かしい汗で湿っていた。
「イネスさん…ほ、本気ですか…!?わ、私、そんなつもりじゃ…!?」
イネスさんはうっとりと頬を赤らめたまま、何も答えなかった。無言のまま私に覆いかぶさると、そのまま……。
「飲み、過……」
「……へあ?」
「あっ」
「アッーーーーーー!?」
私の顔の横で、無音のまま、輝く瑠璃色の吐瀉物をぶちまけてくれました。もちろん、避けきれませんでした。世の中はどいつもこいつも、くそったれだと思います。




