ボリエ殿下は過去一番ブチ切れておられる
「う、嘘でしょう!?クリスさんが!?」
「あわわわわ…!」
「馬鹿な!バシュレ王国に王女が誕生したなどという記録はない!しょ、証拠はあるのですか!」
殿下の暴露によって、神殿の内外は騒然としていた。私自身、突然の暴露によってただ呆然とするしか無かった。
この場で冷静だったのは、暴露した張本人だけだ。
「記録は無いが、証拠はある。カール・カーライン、預けていたクリスの懐剣を出せ」
「は、はい!こちらに!」
その口調が、いつの間にか粗雑なものになっていることにすら、誰一人気付けなかった。
「この剣の意匠は、我が国の象徴たるコロコロ草の花をモチーフにしたものだ。宝飾が華美で分かりにくいと思うが、はっきりと花が三輪彫られている」
「三輪ですと…!?で、ではまさか!?」
「ああ。俺の剣は、刀身に花が二輪彫られている。兄上の刀身には一輪。つまりこの剣は陛下より賜ったものと見て間違いない。確認すれば、すぐに明らかになるだろう」
「いや、しかし、刀身に刻まれていないのでは本物とは――」
「女児だったからだろうな。陛下は三番目に生まれた娘が、自ら剣を抜く未来を望まなかったのだ」
「ぐっ…」
殿下は淡々と語っているが、あまりにも現実離れしていてさっぱり頭に入ってこない。だが、これまで感じてきた小さな違和感の点が、線となって繋がっていくのを感じた。
「……いつからですか?いつ、そのことに気付いたのですか」
いつから私は、貴方から妹として見られていたのだ。
友としての私に、妹としての私を重ねていたのは、いつからだ。
「確信したのは、その短剣を見た時だ。今ここで言えるのは、それくらいだ」
「……そうですか。私の父は、生きていたのですね」
「クリスさん…」
「お父さん……よかった……!」
アベラール様は涙を浮かべながら、私を抱き寄せてくれた。親の温もりが遠い今、奥様の情愛は何にも勝る救いだった。
「帰ったら、知っていることを全て話すよ。お前に隠し事はしない」
「わかりました。今はそのお言葉を信じます」
「すまないな」
「何を今更」
殿下は私に、何があっても友であると言ったのだ。であるならば、私も殿下を信じよう。この人が友を裏切るはず無いのだから。
しかし殿下が腹違いの兄であるなら、色々と説明はつく。私が殿下の危機に対して、理性より先に体が動いた理由。そして披露宴のあの日、同じように殿下が私に駆け寄ってくれた理由。これらは本能的に、お互いに血縁を感じていたからかもしれない。
そして、数々の王族に会いながらも平然としていた、母の態度も。
……待てよ。じゃあ、まさか。
「さて…どうするのだ、教皇殿」
「は?」
「は?ではない。このまま洗礼の議を行うのかと聞いている」
先ほどの暴露がまるで無かったかのように、殿下は傲然とした態度で教皇に迫っていた。
「い、いや、それは…」
「俺も妹の裸体を眺めて喜ぶ趣味は無いが、教皇殿がどうしてもと言うのなら呑もうと思う。ただし、こいつの肌に傷の一つでも付いた時には、相応の覚悟をして頂く」
「うっ…!」
その迫力には有無を言わせぬものがあった。
「……殿下の妹君であるならば、神が祝福しないはずがありませんね。特例として、洗礼の儀は免除し、神殿へ入ることを認めましょう」
まさか私を許した訳でもないだろうが、この場で自分の命や立場を天秤に掛ける度胸と執念は無かったようだ。殿下は自分が言った通りに、状況を塗り替えることで私を救ってみせたのだ。
「感謝する」
殿下の一言と同時に、止まっていたパイプオルガンの演奏が再開された。一度弛緩しかけた空気が再び張り詰めていく中、私たちは神殿の奥へと歩を進める。
しかし既にこの場の主導権を支配しているのは教会側ではなく、ボリエ殿下だった。誰もが殿下に目を向け、殿下の一挙手一投足にぴくりと反応してしまっている。
教皇が立ち止まったのは、神殿の奥に奉られた祭壇の前だった。朧げな夢を辿るなら、私の首が跳ねられた位置に近い気がする。
「では、改めてお話を伺いましょう」
ややぎこちないながらも、教皇の顔には笑みが戻っている。どうやらここが自身の領域であることと、本来の目的を思い出したようだ。処刑を回避できたとはいえ、こちらも本来の目的を達成出来なくては、私としても片手落ちだ。
「どうしましたか?遠慮はいりません。神はどのような告白でも赦されますよ」
一件善意に満ち溢れているが、そんなはずはない。
「嘘です」
「承知しています、イネス殿」
殿下に小さく耳打ちするイネスさんを横目に、ふと馬車の中で行われた、彼女のありがたい言葉を思い出した。
『神殿の雰囲気は、染み付いた俗っぽさを隠すための演出です。相手が殿下なので、必ず必要以上に張り切って演出してきます。教皇の丁寧な物腰は一切無視して、殿下が思う最も低劣な言葉に変換しながら、やり取りをしてください』
『低劣とは…随分な言い方ですな。それが教皇様の本性というわけですか』
『いいえ。そのイメージを酒と肉汁と金で漬け込んだものが本性です。素面で真正面から受け止めてると確実に病むので、適当に受け流してください。コツは、神様が自分の背中を見守ってくれていると思う事です』
『……実に頼もしい』
その頼もしいイネスさんはと言えば、うっすらと口元に笑みを浮かべながら、目が一切笑っていなかった。多分今頃、神様の存在を背中に感じていることだろう。
さて、そろそろ私も目の前の現実に集中せねば。教会が望んでいるのはボリエ殿下の謝罪と、枢機卿と司祭の解放だ。それはバシュレ王国の全面降伏と服従を意味する。既に第一王子からの書面上の謝罪を受け取っているアチラとしては、早めに勝利を確定しておきたいのだろう。
その教皇の野心と傲慢を意図的に無視した殿下は、教会の希望に反して堂々と胸を張ったままだった。当然殿下に、相手の望みを叶えるつもりは無い。むしろ私の一件によって、さらなる怒りに燃えているように見えた。
頼むから短気を起こさないでよ、殿下。
「その前にいくつかの事実確認と、これからのやり取りを記録させて頂きたいのだが、よろしいか」
「記録を、ですか?」
「ええ。妹のような悲劇は、二度と起こしたくないですから」
教皇の口の端がぴくりと動いた。不快感を隠しきれていないが、それでも余裕を演出したいのか、ゆっくりと首肯する。それを見た私は鞄から筆記用具を取り出し、即興の議事録を録り始めた。色々と余計な出来事が目白押しで目を回していたが、こういう雑用こそが私に求められた本業である。
「議事録の証人及び立会人は、神殿騎士カール・カーラインとしたい。異存はあるだろうか」
忠誠心と公平さを併せ持つ彼なら、確かに立会人として適任だ。彼自身は早速殿下に利用されている訳だが、この場合は私でもカールさんを推しただろう。
「良いでしょう。何を聞きたいのですか?」
「いくつかあるが、まずひとつ目。解放要求リストの中に、一部含まれていない人物があった。その理由を教えて頂きたい」
改めて言うまでもないが、予言の聖女のことを指している。
「ああ、そんなことでしたか」
誰に対してのものか、嘲笑らしきものを薄っすらと浮かべた男の返答は、初めから答えを用意していたかのように滑らかだった。
「あの者は神の奇跡を偽り、信徒たちを騙した大罪人です。当然神の裁きが下るでしょうが、まずは法によって人として裁かれるべきでしょう。貴国の誤解によって投獄された枢機卿達とは、立場が異なる存在です」
イネスさんが殿下へアイコンタクトを送った。神の裁き……つまり秘密裏に病死させるという意味で、間違いないようだ。これまでも公に処刑する訳にはいかない人物は、大抵そうしてきたのだろう。今日からはそのリストに、私も含まれることになりそうだが。
「わかりました。誤解とやらについては後ほど伺うとして、ふたつ目の確認をさせてください。……何故、我が国の聖堂に住まうシスター達は、貧困に苦しんでいるのでしょうか?」
いよいよ本題に切り込んだ殿下だったが、その言葉と怒気は抜き身の刃そのものだった。その圧倒的な迫力に気圧されたように、神殿騎士達の左手が腰の剣へと伸びた。私も自分の背中に冷や汗が流れたのを感じたが、恐らく殿下のすぐ隣に配置されていたイネスさんも、同じ心地だったことだろう。
「我々は教会関係者に対し、その宗教活動を阻害せぬよう、生活に必要な補助金を支給しています。枢機卿達を拘束した後も減額はしていません。しかし先日私の部下に視察をさせたところ、教会本部からの補助金が使われている様子がありませんでした。理由を説明して頂きたい」
上手い持って行き方だ。補助金の不正受給の問題点を、教会と金ではなく国民の生活へ向けている。
だがこの質問も、教皇にとっては想定内だったのだろう。激しい怒気を受けても、平然とした態度を保っていた。
「ふふふ…それこそ誤解ですよ、ボリエ殿下。我々は相応の額を、各地の聖堂へ振り分けています。しかし聖堂に住まう者達の方が、自主的にその金を返納しているのです。御覧なさい、これがその帳簿です」
勝利を確信しているような様子の教皇は、数字がびっしりと記入された紙の帳簿を提出した。イネスさんはメイド然とした姿勢のまま、ちらりと帳簿に目を向けてから、殿下へ耳打ちした。
「本物の聖印です」
「よし…アベラール」
そのびっしりと書き込まれた内容は、私には読み取れなかったが、パラパラと一通り捲ったアベラール様は、肯定するように殿下へ頷いている。
「金額は合っています」
「確かに送金履歴は、我々が確認した聖堂の帳簿とも一致しているようだ。返金したという話は本当らしい」
「ええ。我々は何も、やましいことはしておりません」
「最後に返金した日付は、この日で間違いないのだな?」
このやり取りの違和感に気付いていれば、もう少し穏当な着地点があったかもしれない。だが私の処刑という誤断を回避したことで、少なからず油断していた教皇は、殿下とアベラール様が隠し切れなかったぎこちなさに気付けなかった。
「ええ、間違いありません」
或いは宗教の世界なら、この程度のミスはミスにも当たらないのかもしれない。"神の思し召し"と言う名の魔法は、多少の不合理もねじ伏せるだけの力を持つ。
だが政治とは、些細な言葉の掛け違いが致命傷になりうる世界だ。神殿内の頂点に立つ彼は、宗教の頂点でもあるがゆえに、その認識に欠けていた。
殿下が私に目で合図する。もはや読唇術を使うまでもない。
「そうか。では、これをどう説明する?」
私は証拠書類の束が纏められた鞄の中から、紐でまとめられた書類の束を取り出し、殿下へお渡しした。その厚みと重みは、片手で持つのに苦労するほどだ。
「うん…?なんですかな、それは」
「件の聖堂に住まうシスター全員に対する、聞き取り調査の結果だ。結論から申し上げると、彼女たちは補助金の存在を一切知らなかった。その結果、現在の窮状の原因は国のせいだと誤認していたのだ」
「ッ!?」
「この回答に誤りが無いことは、彼女たちの指印が証明してくれている。偽証や、調査漏れはあり得ない」
また一瞬だけ演奏が乱れた。しかしそれ以上に、教皇の顔色が悪くなっている。まさかこの短期間で、現場のシスター達全員に聞き取りするとは思わなかったのだろう。実際に動いたのは私とイネスさんで、前日まで走り回ってたんだけどね。
「あの日、返金処理を行えたのは補助金の存在を知る人間だけだ。であればシスター達には出来ないし、やりようがない。一方で補助金を知る司祭と枢機卿は牢に居て、聖堂の業務には一切関われない。となるとあの日、返金処理を行えた人物はただ一人」
恐らくイネスさんの合図があったのだろう。殿下は教皇の隣に立つ、小太りな男を迷いなく指差した。思い掛けず殿下から指名されたその男は、明らかに狼狽し、全身を震えさせている。
「当日に元聖女イネスを教会から追放した、本部付きの枢機卿に他ならない」
この指摘で最も取り乱したのは、指差された男よりも、むしろ教皇の方だった。
「で、でたらめを言わないで頂きたい!そもそもこの者が貴国の聖堂へ訪れたという証拠がないでしょう!?」
「ああ、訪問記録は無いだろうな。しかし証人がここにいる」
イネスさんはメイド服のまま髪を解き、姿勢を正して聖女スマイルを全開にした。その神聖な空気は、教皇の演出と合わせても比較にならない。
「ご無沙汰しております、教皇様。元聖女イネスにございます。それと…ハマン枢機卿。追放されて以来ですね」
「な……イネス、だと!?何だ、その服装は!?元聖女がメイド服だと!?」
「ひぃ!?」
ハマンと呼ばれた男は、よたよたと後ずさる。なるほど、イネスさんをここへ呼びたかった裏の理由はこれだったのか。
追放された本人が居れば、返金処理の流れに矛盾があることを証明できる。元聖女を追放した本人が、都合よくここにいるのは嬉しい誤算だったが、両名がここに居てくれたお陰で、話はより簡単になった。
「どうやらハマン枢機卿には、お心当たりがあるようだ。後日、詳しいお話を聞かせて頂きたいので、通達書を待つように」
「ぐぅっ……!?」
「さて…最後にもう一つだけ、確認させて頂きます」
殿下の口調は、訪問した時と同じく丁寧なものに戻っていた。しかし溢れる怒気を収めないまま口端を持ち上げた殿下の目には、一切の容赦がない。その落差は、味方であるはずの私でさえ眩暈を覚えるほどだった。
「教皇殿はこれらを全て承知した上で、我が国に住まう人々を搾取されていたのですか?シスター達は敬虔な信徒である前に、我が国の民ですよ?貴方の私物ではないはずだ」
「いや…それは、ちが…」
教皇は完全に飲まれていた。失敗の原因は明らかな準備不足にあるが、その準備をさせなかったのは殿下による電光石火の早業である。
あるいは教皇にあと一日猶予があれば、ハマン枢機卿の処理に気付けたかも知れない。仮に送金履歴の修正が間に合わなくても、ハマン枢機卿一人が補助金を着服していたことにすれば、彼一人を処断すれば済む話だったのだ。
しかしこれは言い出したらきりが無い、埒の空かない妄想と言う他ない。現実はそんな都合の良い未来を、ゆっくり選び取る余裕を与えてくれなかった。今からハマン枢機卿を処理しても、証拠を隠滅したと受け取られるだけだ。
「言葉は慎重に使われた方がよろしいですよ。我々の言動は全て、そこの部下に議事録を取らせています」
「なっ…!い、今すぐ記録をやめろ!」
「やめませんよ。事前に許可を得ていますから。そうだな、神殿騎士殿?」
カールさんは狼狽えつつも、大きく首肯した。
「は、はい。教皇様は間違いなく、記録して良いとおっしゃってました」
「カール!?こ、この裏切り者めが!」
「私は裏切っていません!裏切ったのは、教皇様の方です!私の元へ送られた妹からの手紙には、聖堂で何不自由ない暮らしをしていると書かれていました…まさかそれも嘘なのですか!?妹は無事なのですか!?」
「し、知らぬ!そのような末端のやり取りまで把握出来るものか!私は知らぬぞ!!」
「知らないですって!?それではお約束が違います!」
「内輪揉めはそこまでにして頂こう。外で三時間も待たされたおかげで、我々にも時間が無いのでな」
為政者の顔に戻った殿下には、教会に対する敬意は微塵も感じられなかった。むしろ、片付けるべきゴミとして見ているのではないか。
「カール。妹君は我が国のシスターか?」
「は、はい!」
「名前を教えてくれ。まずは調査書の中に同じ名前があるか調べよう。少なくとも聖堂で無事にいるかどうかは、それではっきりする。確認ができたら報せよう」
「あ…ありがとうございます!ありがとうございます!!」
「それから教皇殿は、今回の不正返金によって聖堂のシスター達が困窮していた事実について、責任ある説明を陛下へするように。ただし、その内容に虚偽や偏向が確認された場合は、各隣国とも協力して真相究明に励むことになる。どうか留意されたし」
「ぅ……うぅ……!」
不正を認定されたばかりか、部下の心まで奪われたとあって、教皇の顔色はいよいよ最悪を極めていた。最初に期待していたであろう、枢機卿達の解放と殿下の謝罪は得られぬまま。
しかしこれでは、少し追い詰め過ぎではないか。教会と我々の間で遺恨をのこしかねない……そう思った時だった。
「あーあ、だから言ったんだよ。おねえちゃんたちをいじめたら、大変なことになるよって」
さらなる追い打ちは、パイプオルガンの演奏席から聞こえてきた。
聞き覚えのある、この場に最も相応しくない子供の声。
「君は…」
「さっきぶりだね、おねえちゃん。でもごめんよ、今日はもうあそべそうにないや」
その少年の体毛は白く、瞳だけが不自然なほど紅かった。




