教皇様が私へ全裸になれと仰せられた結果
アベラール様のお説教から、ようやく立ち直った殿下を先頭に、神殿まで続く長い庭を歩く。その周囲は神殿騎士によって護衛、もとい監視されていた。
教皇との面会が許されたのは、神殿前に到着してから三時間後だった。殿下によれば、教皇のメンツを保てるギリギリの時間とのことらしい。
「結構待たされたな…やっぱり組織のトップだし、相当忙しいのだろうな」
「いえいえ、予定が無くても必ず最低三時間は空けますよ」
私の独り言を拾い上げたのは、大あくびを終えたばかりのイネスさんだった。
「もし近隣諸国との会食があった場合、お酒が入っている場合もあります。酒精を身体から抜くには、それくらいの時間が必要ですから」
は?教皇様が飲酒?
「酒と肉を食したら堕落するはずでは?」
まさにそれを元聖女に勧めたのが原因で、私は処刑されるかもしれないんですが。
「教皇様だけは例外なんです。神と下界を直接繋ぐ唯一の接点なので、下界の人々から求められた場合に限り、飲酒と肉食が認められます」
「な、なるほど…?じゃあ私達が来た時は、誰かと会食されていたのですね」
「まあ、求められなくても朝から飲んでいた可能性は、否定できませんが」
「いやいや朝から酒ってことは流石にーー」
「おい、そこの従者ども」
私とイネスさんの露骨な言い回しに、神殿騎士の一人が不快そうに絡んできた。イネスさんまで従者扱いされているのは、彼女が自己紹介の機会を得られていない上、律儀にもメイド姿をしているからだろう。
「教皇様への侮辱は、神への侮辱。減らず口は慎んでもらおうか」
「あ、すみませーー」
「口を慎むのは貴様だ、愚か者!」
そのさらに上を行く怒りを見せたのは、意外にも最上位と思しき例の騎士だった。
「この方々は、教皇様がお会いになるとお決めになった、正式な客人だ!如何なる身分であろうとも、教皇様の客人に勝る者はいない!今の我々は客人の護衛に過ぎぬことを忘れるな!皆様への暴言をすぐに謝罪せよ!神罰が下るぞ!!」
「ひっ!?も、申し訳ありませんでした!!」
あの横柄な騎士の態度を一瞬で矯正するとは、この偉い騎士様はよほど敬われているのか。
「私の部下が無礼を働きました。従者殿、どうかお許しを」
「いえ、先ほどの騎士様が正しいと思います。私達の方こそ、失言が過ぎました。大変申し訳ございません」
私とイネスさんが頭を下げると、彼とその周りの騎士たちも一斉に礼をした。門の前で狼狽えていた御仁とは、まるで別人である。なるほど、教会側が彼を重用するのは、この人柄と人望の厚さ故か。
その様子を見た殿下は、彼の誠実な人柄を再評価したらしかった。
「すまない、我が従者達の無礼を許してほしい。ところで、そろそろ貴殿の名を教えてもらえないだろうか」
「っ!し、神殿騎士団第二階位、カール・カーラインです、殿下」
「ありがとう、カール。貴殿の顔と名は忘れない。無論、良い意味でだ」
「こ、光栄でありますっ」
しかし殿下のお眼鏡に適ってしまうとは、不運な。いずれこの方は、望む望まざる関係なく、殿下によって利用されることだろう。敵味方問わず、有能なら使い倒すのがボリエ殿下流である。
「おい、クリス」
そのボリエ殿下流の犠牲者第一号たる私は、殿下からの声なき声に恐縮しきりであった。あまりの緊張感から、大きなため息を吐き出しそうになったほどである。
私は殿下に合わせ、殆ど発声せずに返事をした。学園生活一年目の中頃から、潜入捜査に必要だとして体得を強要された、読唇術の応用である。
「なんでしょう、殿下。お説教ならアベラール様のもので事足りたはずでは」
我々の声よりも、鎧が擦れる音のほうが大きい。周りからは無言の散歩を続けているようにしか見えないだろう。
「誤魔化すな。さっきから暗い顔してるってことは、この先で例の悪夢が再現されそうなのか?」
…よく気付いたな。イネスさんやアベラール様が気付かない位には、上手く仮面を被れていたはずだが。
「正解ですが、もしや唇だけでなく、心も読めるんですか?」
「この程度はお互い様だろ。それに俺に明かせない話といえば、例の夢以外にあり得ないしな。それでどうなんだ、俺達に出来ることはあるか」
流石だ。貴方には何を隠しても無駄ですね。
「では、教皇が私だけを隔離しようとしたら、あらゆる手を使って阻止してください。恐らく私を、神の敵として処刑しようとするはずです」
「………処刑だと?」
「夢では首をはねられましたが、その時は私一人でした。誰でもいいので、私の傍に付けてください。とにかく状況さえ変えれば、結末は変えられるはずです」
「………」
「黙っていてすみませんでした」
その沈黙は重かった。何故もっと早くに…恐らく、そんな言葉が出そうになったからだろう。だが、殿下はその一言を飲み込んでみせた。
分かっているんだ。私がここに来ることになった理由の一つが、イネスさんをここへ同行させろと、自分が命じたためであること。そして、この夢を早くに打ち明けてしまえば、今の作戦を実行しなかったかもしれない、殿下自身の優しさと甘さを。
「ふん…忠臣が過ぎるな」
「第一王子と同じことを言うんですね」
「二度も主人のために命を張る人間なら、どんなやつでも忠臣に見えるだろ。だが、今回は忠義というより手前勝手なだけだな。評価はできん」
「…殿下?」
「状況を変えればいいんだな?なら、それは俺にしか出来ないだろ。たった今、予定を変更した。今回の仕事は、お前の生還を最優先目標とする」
何をバカな!?
「いけませんよ、殿下。王位がかかっているだけでなく、国の在り方が問われた一大事なんですよ?国を護るべき殿下が、私一人の生死を問題にしてはいけません。自分の命は、自分で守れますからーー」
「聞き齧っただけの帝王学を語るな。そんなことは承知の上で、俺はお前の命を最優先に動くと決めたのだ」
「殿下…!?」
「命の恩人を切り捨てる王など、存在してはならん」
しまった、打ち明けたのは失敗だったか…!完全に冷静さを失っている…!
「どうか落ち着いてください…お考え直しを…!」
「落ち着くのはそっちだ。友達の輪作戦を忘れたのか?発案者が一番に消えてどうするんだよ、馬鹿。とにかく今は用事をさっさと済ませて帰るぞ。この件の説教は帰ってからだ」
どうしても私優先を譲るつもりが無いのか。命の恩人だからと言うが、それでも少し違和感がある。以前の殿下なら、保険をいくつも張り巡らせた上で、私を死地に送り込んだはずだ。謎の白い粉を追ってた時のように。
「失礼ですが、ご客人の皆様」
気が付けば、あの長い庭は終わりを迎え、神殿の手前まで到着していた。
「これより先では、武装を解いて頂きたいのですが」
「ああ、わかった。私はこの剣だけだがな」
殿下は腰に下げていたサーベルを、躊躇なく手渡した。神殿内では聖剣以外の持ち込みは許されない。
……あ、剣か。そういえば、剣なら私も持っていたな。
「すみませんが、私のこれも預かってください」
私は母から預かっていた、父の形見である短剣を懐から取り出した。御守り代わりに肌身離さず持っていたので、剣であるという認識から外れていた。殿下のサーベルに注目してなかったら、渡しそびれていたかもしれない。
「懐剣…どうして、そんなところに隠し持っていたのですか?」
それを見た騎士カールは、訝しげに眉を寄せた。うん、暗器と疑われても仕方ないよね。
「父の形見なのですが、宝飾が華美に過ぎるので、腰に下げると盗難されそうで怖かったのです。抜いてみてください、刃は潰されていますから」
「…なるほど、確かにこれは観賞用ですね。隠し武器ではなかったと認めましょう。父君様の形見は、私が責任を持ってお預かりし、お帰りの際にお返しします」
「お願いします」
私の剣と殿下のサーベルを恭しく受け取った彼は、それらを布に包んで保護した。カールさんに任せておけば、間違いは起こるまい。元々使うタイミングなど無かっただろうし、預けたことで何かが変わることはないだろう。
だが何故かこの時の私は、親のぬくもりから離れたような、少し淋しい気分になった。もしかしたら私が思っていた以上に、あの剣から父親の愛を感じ取っていたのかもしれない。
ほんの少しだけ冷えた胸の中に、あの少年の声が響いた。確定した未来という言葉が、嫌でも私の臓腑を苛んでいく。私は死の恐怖で僅かに震える手足を無理矢理鎮め、巨大な神殿の扉を見上げた。
「教皇様。神殿騎士カールが、客人をお迎え致しました」
「開けなさい」
神殿の扉が開き、奥に神聖な雰囲気を放つ男達と祭壇が現れた時、私の緊張は遂に最高潮を迎えた。どこか見覚えのある内装、そして神聖な空気。その全てがあの夢に酷似していた。
唯一決定的に異なっていたのは、奥のパイプオルガンから荘厳な演奏音が流れており、どんな不信心者であろうとも神を信じたくなるような、威圧的な雰囲気を演出していることか。
そして目の前にいる、一番絢爛な衣装に身を纏う壮年の男こそが、第69代教皇アドリアン・ベルクールと見て間違いないだろう。
殿下は中へ入らず、扉の外に立ったままだ。「お入りなさい」と言われていないので、このまま応対するしか無い。
「ようこそいらっしゃいました、ボリエ・フォン・バシュレ第二王子殿下」
頭を下げず、さらには名乗らずに歓迎する教皇に対し、殿下もまた頭を下げなかった。一歩間違えれば傲慢に映る二人の所作は、それでもお互いに完璧な礼節に則っている。神に等しい対等な客として迎えられたこの場においては、地位と権威の上下は存在しない。そして客を無条件に中へ入れねばならぬ道理もない。
「大変お忙しい中、急な訪問となって申し訳ありません、教皇殿。本日急ぎ参りましたのは、先日お伝えした件について、一日でも早く確認すべき事項があると判じたからであります」
「構いません、神は全てをお赦しになられます。お疲れでしょうから、早速中へ通したいところなのですが…そちらの従者の中に、我が神殿に入る資格を持たぬ者がいますね」
教皇はゆっくりと、私の方を向いた。その目は優しげでありながら、温かみを感じさせない。そこに殺意が隠れていると感じるのは、深読みのし過ぎではないだろう。
「クリス・フォン・ルグラン男爵ですね?」
「…はい」
当然、私の顔と名前は把握済みか。殺すべき相手を間違えるはずもないが。
「貴方は幼少の頃、洗礼の儀を完遂していないはずです。洗礼を済ませていない者は、何人であろうとも、神殿に入ることは叶いません」
……なるほど、そうきたか。
「洗礼を…?そうなのか、クリス」
「ええ、そう聞いています。母曰く、司教に触れられそうになると癇癪を起こしたように泣き叫び、儀式どころではなかったとか」
洗礼の儀。それはかつて敬虔な信徒が、我が子の誕生を神に感謝し、祈りを捧げながら沐浴をしたことが起こりとされている。一部信徒が勝手に始めたに過ぎなかったその儀式は、信徒ではない民からも好意的に見られて広まり、現在では教会が主体となって行われる、乳児の通過儀礼となっている。
通常なら3歳までには終わらせておくべき儀式であるが…。
「しかし教皇様、お言葉ですが洗礼は信徒達の義務ではありますが、国民の義務ではないはずです。それに今日の私は礼拝に来たのではなく、あくまで殿下の従者として随伴したまでです。それでも洗礼が必要なのですか」
私の弁明を聞いた教皇は、我が意を得たりとばかりに笑みを深くした。
「ええ、必要です。この神殿は最も神に近い、極めて神聖な場所。信徒でなくとも入る権利はありますが、それは誕生を神に祝福されていることが条件です。本来ならお帰り頂くところですが……貴方にも立場がお有りでしょう。特別に、奥の聖堂で洗礼の儀を行うことを許します。ここで洗礼を済ませてしまいなさい」
「今からですか?しかしそれは…」
そんなことをすれば、私は聖堂で一人孤立してしまうことになる。洗礼に同席できるのは、赤子の親などの肉親のみとされているからだ。ノコノコと聖堂へ向かえば、迎えられるのは聖剣による斬首か、あるいは事故死だろう。状況的には後者が選ばれやすいだろうか。
本来ならば断るべき提案だが…先ほど教皇は、"特別に許す"と言った。ここで断れば教皇の慈悲を拒否したことになってしまう。急な訪問に加え、洗礼を拒否したとあれば、今回の会談そのものがご破算になりかねない。そうなればこちらの失点だけが目立ってしまう。
「貴方がいないと困るのは、殿下でしょう。これは私の慈悲ですよ」
ここは受け入れるしか無い、か。あとは聖堂でどう立ち回るかだけど、果たして手はあるだろうか。これまで手にした情報の中で、私を殺すわけにはいかないと思わせられるものは有ったか、どうか。
「わかりました。洗礼を受け入れまーー」
「お待ち下さい、教皇様!」
食い気味に反応したのは、意外にも殿下でもイネスさんでもなく、アベラール様だった。殿下とイネスさんも反応の早さに驚くあまり、開きかけた口を閉じ直している。
「洗礼の儀は衣類を全て外した上で、全身を聖水で清める儀式です。女児ならともかく、クリスさんは成人した女性!それを男性司教の手で行われるというのですか!?」
「む…」
まあ18になったとは思えないほど、私の体は女児に近いのだが、そういう問題でもないのだろう。
流石はアベラール様、実に女性的な切り口である。あの教皇が、ほんの少しだが困惑していた。ていうか本来ならこれ、私が言うべきことだよな。何故気づかなんだか…。
「どうしても行うというなら、私かそこの従者をお連れください!男性の目に触れぬよう執り行う、これが最低条件ですわ!」
だが、客人ではあっても主賓ではないアベラール様が条件を提示してきたことで、教皇の表情が険しくなった。
「アベラール・フォン・バシュレ夫人。洗礼の儀は、教皇である私のみで執り行います。万が一にも失敗や間違いは起きません。それとも、私が信用できませんか?」
「そ、それは…」
やはり無理か。そう覚悟を決めた時だった。
「妻が問題にしているのは信用の有無ではなく、道徳や人道なのですよ、教皇殿。家族以外の男性に、女性が肌を見せてよいのかという、ただそれだけの事です」
殿下が教皇に対し、とんでもない爆弾を投下しはじめたのは。
「おや、殿下までそのようなことを。しかしこれだけは曲げられません。どうしても洗礼の儀に同席させたいなら、今すぐ病床にいるクリス男爵の母君を連れてくることです。血の繋がりを持つあの者なら、その資格があります」
今度こそ悪意に満ちた笑みを見せた教皇に対し、殿下は何も反応しなかった。だが私の方を横目にすると、何故か小さな笑みを浮かべた。
「…おい、クリス」
これまでに一度も見せたことのない、とても寂しそうな笑みだった。
「え?は、はい?」
それは殿下の覚悟だったのか。
「俺とお前は、これからも友だからな。忘れるなよ」
「……殿下?」
いつから抱えていた覚悟だったのか。
「もう良いですかな?ではクリス男爵、奥の方へ」
「いや、教皇殿。俺には洗礼の儀に同席する資格がある」
その一言で、パイプオルガンの演奏が止まった。
「クリス・フォン・ルグランは、俺の妹だ。腹違いのな」
……な、
「「「「何いいいいいいっ!?」」」」
殿下を除く全員の絶叫が、神殿中に響き渡った。




