25.ピンク髪の転生ヒロインは、自分で運命を掴み取る
卒業式が行われるその日、主役である私達は浮足立っていた。
なぜなら、夕方から王城の広間を貸し切って卒業パーティーが行われるからだ。
しかも主賓には国王陛下をはじめとした王族の面々も集い、卒業生たちの家族も参加することが可能だ。
よって学生たちにとっては、初めて参加する社交界といった位置付けになる。
特に下位クラスの面々は敷居が高いらしく、緊張してパーティーの内容を覚えていない人間も毎年一定数いるとか。
そして婚約者がいる生徒はその相手を伴うことが義務付けられており、二年前にはメイニーもザイル様のパートナーとして出席していたし、他のクラスメイトでも同様に参加している子がいた。
当然、その時婚約者として認められていなかった私は、ディラン様と共に出席することはできなかった。
けれど今年は違う。
私は鏡に映る、着飾られた自分の姿に目を向ける。
窓から差し込む太陽の光を反射し、キラキラと輝くダイヤがふんだんに散りばめられたドレスと、青いラインの入った、シンプルだけど美しい白い靴。
首元と耳は、ディラン様の瞳の色を思い起こさせる、ブルーサファイヤのネックレスとイヤリングが彩られている。
これらは全て、今日のためにとディラン様から贈られたものだ。
「あら、想像以上にいい出来じゃない」
ノックの後に入ってきたエリザベス様が、私の姿を見て満足そうに声を上げる。
「やっぱりヒロインだけあって元がいいわね。磨きがいがあって力が入るとみんな言っていたわよ」
準備を手伝ってくれた侍女たちが、美しく装ったダリアン様と入れ替わりに退出し、エリザベス様と二人きりになったところで、彼女がそう言ってにこりと微笑む。
なぜここにエリザベス様がいるのかというと、ここがダリアン家の邸宅だからだ。
卒業パーティーに参加するため、友人たちはみんな寮ではなく各々の屋敷に戻って準備をする。
けれど私はそもそもみんなのように王都に家がないし、使用人に肌を白く磨いてもらうことも、高い香油を塗り込んでもらうこともできないし、髪の毛をパーティー用にまとめることも、果てはメイクも、たくさん道具を持っているわけではないので他の参加者の様に完璧にできない。
友人たちは手を貸そうかと声をかけてくれたんだけど、それよりも早く、そんな私の状況を見越していたエリザベス様から、私が条件を達成したと知った時点で、手伝ってあげるから来なさいと声をかけてもらっていたのだ。
ちなみにたった半日じゃ完全に磨ききれないからと、数日前からダリアン邸に泊まり込むように命じられていた。おかげでどこもかしこもピカピカだ。
「こんなに良くしてもらえて、本当に感謝してもしきれません」
「気にしないでちょうだい。ずっと観察していくうちに個人的にあなたが気に入っただけだから」
元々エリザベス様は、前世とかゲームとか思い出す前から婚約者となったアレクサー殿下に既に惹かれていたらしい。
けれどその後ゲームのことを思い出し、ヒロインに渡したくないからとずっと私を警戒していた。
が、私に殿下を攻略する気が全くないことを知って、安心しつつ私に関わる気はなかったそうだが、ゲームではデレ度がほぼほぼゼロで常にクールだったディラン様をあんなに変えてしまった私にそのうちに興味を持って、何かあれば手助けしようと思ったんだと、初回のレッスン時に教えてくれた。
エリザベス様の指導はそれはもう厳しかったけど、どこを切りとっても美しく洗練された所作の完璧なご令嬢、と言われる方に教えてもらえるのだ。
時間がない中でも必死に喰らいつき、そのおかげで三年生の中頃には、既にパシフィック家から合格点をもらうことができた。
前世の記憶を共有していることもありすぐに仲良くなって、エリザベス様とはこうして名前で呼んでも許されるほどに近しい関係になった。
「それにしても、まさか入学時にあれほどの点差があった下位クラスの生徒達をまとめ上げて、最終試験で本当に下剋上を達成してしまうなんてね。あなた自身もパシフィック様と同じく首席卒業だし、アリスの努力には感心するわ」
「昔から勉強だけは得意だったんです。だけどあの結果は私一人で出せたものじゃありません。みんなが頑張ってくれたおかげです」
「だけど随分と不確定な要素を条件に取り入れたものね。よりにもよって下剋上を達成する、だなんて。あなたはヒロインだから、ゲームの強制力でも働いて勝てるんじゃないか、とでも思っていたの?」
「いいえ、そんなことは思っていません。だけど、完全に運に頼った不確定要素だったわけでもないんですよ」
「あら、興味深い話ね。どういうことかしら」
三年生になると、私達のクラスが上位クラスを上回ることもあり、実力はほとんど拮抗していた。
どちらが勝ってもおかしくない……そう言える状況の中行われた卒業前の最終試験の結果は、本当にわずかな差だけど、それでも勝ったのは私たちのクラスだった。
けれど、私たちが勝てるための確率を上げるために、していたことならある。
「私、よく先生に分からないところとか聞きに行っていたんですよね。勿論先生たちはテストで出す問題を教えてくれるなんてことはありませんでした。だけど個人的に教わっていると、なんとなく、口ぶり的にここを試験に出したいって思ってるんじゃないかって分かっちゃうことがあったんです。先生たちは無意識でしたけど。
そこを重点的に勉強会で教えたりしていました。あとは卒業試験の傾向とか、今年度試験を作る先生の性格とか癖を見極めて対策をしたり」
「あなた一年生の時から積極的に職員室に顔を出していたらしいものね」
「はい。他にも、私だけじゃ教師役も足りないので、学園で新しく作った人脈を使って優秀な卒業生を呼んだり。さすがに高位貴族の先輩と仲良く……っていうのは無理でしたけど、同じ平民出身の先輩たちは、むしろ積極的に協力してくれました。
途中から、なんというか、志望校に合格させるための学習塾のようなことをしているなって思いながらみんなには教えていましたね」
「意外ね。あなたはただただ馬鹿真面目に正面からぶつかって戦うものだと思っていたから」
「どうしても勝たないといけませんでしたから。ただ不正とかはしていませんよ。
それ以外だと、私の成績がみんなの士気に関わるので、本試験だけじゃなくて小テストでもずっと一番を取り続けられるようにと、正答率を上げる為に空いた時間はひたすら自分に勉強に時間を費やしました。その時間を確保するために生徒会の規則まで変えちゃったくらいですから」
「それくらいならいいじゃない。大変な仕事が結果的に減ることになって、みんな喜んでくれたんでしょう?
……何にせよ、あの結果を受けてあなたとパシフィック様の婚約は正式に認められたのだから。その上官吏にもなるのでしょう? アレクサーも喜んでいたわ。
あなたの存在が、今の貴族社会に風穴を開けるきっかけになるって。だけどあのゲームだとこれでハッピーエンドになるのだけど、現実はそうはいかないわよね」
エリザベス様の言わんとしていることは分かる。
まだまだ平民への風当たりは強いし、おそらく新しい環境下では、学園時代よりももっと大変なことがあるだろう。
それに私がディラン様にふさわしくないという声は、王命として認められた今でも陰で囁かれている。揚げ足取りをする人もでてくるかもしれない。
ディラン様はその状況にならないように先手を打つつもりだろうけど、どんな時でも予想外のことは起こる。その時に私自身がそれを対処できなければ、私を受け入れてくれたパシフィック家が悪く言われるおそれがある。
だからこれまで以上に気を引き締めて望まなければいけない。
大変なことだらけだ。気が休まる暇なんてずっとない気がする。
それでも私がディラン様と一緒にいたいと願い選んだ道だ。後悔はない。
とその時、五時を知らせる時計の鐘が鳴る。
「約束の時間ね。愛しの人との初めてのパーティー、存分に楽しみなさい。私も後からアレクサーと来賓として参加するわ。もしも無様な作法を見せつけたら、どうなるか分かっているわね」
「大丈夫です。先生の教え通り、ちゃんとやりますから」
エリザベス様とそんな会話を交わしながら、私は部屋から見送られた。
〇〇〇〇
正直に言うとヒールはまだ慣れないし、ドレスの裾も長くて踏みそうで怖い。
それでも私はそんな不安なんておくびにも出さず、背筋をまっすぐに伸ばし、堂々とした出で立ちで前を向いて開け放たれた玄関から外へ出ると、今日のエスコート役である彼は確かにそこにいた。
門に軽く背中を預け、腕組みをして目を閉じ、静かに佇んでいる。
制服姿でも私服でもない。初めて見る貴族としての正装姿。
そんな彼の姿に、私は立ち止まり、呼吸を忘れて思わず見惚れる。
すると靴音が聞こえたのか、私が声をかけるより前に彼の瞳が開き、私の姿を認識する。
その瞬間、私の大好きな人はうっとりと目を細め、甘く微笑んだ。
「とても綺麗だ」
そう言って私の手を取り、甲に一つ口付けを落とすと、そのまま体を引き寄せ軽く抱き締められる。
「あの、ディラン様っ!?」
「すまない。……二年前、俺は君を伴いパーティーに参加することができなかった。だが今年はアリスが俺の婚約者だと堂々と皆に披露することができる。それがすごく嬉しいんだ」
貰った言葉でじんわりと体の奥が熱を帯びる。
だけどそれは私も同じだ。
私はそっとディラン様の背中に腕を伸ばすと抱き締め返し、届かないと思っていた温もりが今ここにある幸せを噛みしめる。
「待たせてしまってごめんなさい」
「謝る必要はない。むしろたった二年で君はよく頑張った。俺はただ君の隣で手助けすることしかできなかった」
「それだけで十分です。ディラン様が隣にいて、そして私のことを信じて待ってくれていたから、ここまで来られたんです」
「当たり前だ。俺は誰よりも君のことを見てきたんだ。アリスならできると思っていた」
彼は私よりも、私のことを信じてくれていた。
「ディラン様、大好きです」
「ああ、俺もだアリス」
本当はいつまでもこうしていたいと思っていたけど、さすがにそういう訳にもいかない。
どちらからともなく離れたところで、ディラン様は再び私の手を取ると、胸ポケットから何かを取り出してそっと指にはめる。
「これは」
それは指輪だった。銀のリングには細かな装飾が刻み込まれていて、その中心には大きな一粒のダイヤがはめ込まれている。
「これはパシフィック家の妻となる人物に代々受け継がれる指輪だ。今日君にこれを着けてほしくて、母から譲り受けた」
こんなに小さいのにずっしりと重く感じるのは、石の重さだけじゃなくて、それだけのものがこの指輪一つに詰まっているからだ。
これは私がパシフィック家の一員として迎えてもらった証だ。
まだ何者でもなかった私が、努力して掴んだ今の立場。だけどこれは始まりに過ぎない。やっとスタート地点に立てたところだ。
私を認めてくれたルーデン様とナタリー様の顔に泥を塗らないためにも、そしてこれからディラン様と一緒に胸を張って隣で生きていくためにも、私がやるべきことはこれからも変わらない。
「まずは今日のパーティーで、ディラン様の婚約者として完璧な姿をみんなに見てもらわないといけないですね」
「ダリアンからもうちの両親からもお墨付きをもらっているんだ。心配することはない。それに俺が隣にいる。言っただろう? もしも何かあっても俺が必ず君を助けると。だからあまり気負わずに、いつものように振舞えばいい」
そう言ってディラン様は私に手を差し出す。
────ディラン様ルートの一番最後のシーン。
ドレスを着て現れたヒロインが、視線を合わせることなく、「早く行かないと遅れるぞ」と声をかけて馬車に乗り込むディラン様の後ろ姿を追いかけるところで終わっていた。
だけど今回はゲームとは全く違う。
ディラン様は私の大好きなあの笑顔を浮かべて、私のことを見てくれている。なんとなくだけど、ようやくあのゲームの強制力から解き放たれた気がした。
私はこの世界で生きている、アリス・メイト。
もうゲームのヒロインのアリスではなく、それに振り回されることはない。
自分の足で道を進み、そして自分の意志でディラン様とこれから一緒に生きていく。
「行こう、アリス」
私は笑顔で頷くと、最愛の人から差し出されたその手を取った。




