23.示す覚悟
「王立学園一年、アリス・メイトと申します。本日はお忙しい中、貴重な時間を割いて頂きありがとうございます」
通された応接室で、今日の為に叩き込んできた渾身のカーテシーを披露しながら自己紹介をした私に対し、部屋の中央に立っていた御仁は、うっすらと目を細めると口を開いた。
「君の噂は聞いている。久方ぶりに特待生枠で王立学園への入学を勝ち取った才女。君のお陰で現在一年生のクラスの面々の点数は向上し、良い刺激になっていると。それにしても聞いていたのと見た目が随分と違うようだが……。まあそう畏まらずに楽にしてくれ」
彼こそがディラン様のお父様で現在宰相を務める、公爵家の当主のルーデン様だ。
はじめてお目にかかったルーデン様は、紺に近い髪色と漆黒の瞳を宿しており、話し方も顔立ちもディラン様ととても良く似ていた。黙っていると威圧感すら感じられ、彼が多くの貴族達と同様の選民主義ではないと知っていても、自然と体が強張るほどの独特なオーラを持っている。
正直昔のディラン様よりも他人へ与える畏怖感は圧倒的だ。
けれどこちらを見つめる目に敵意がないことは伺えた。
対する夫人のナタリー様は、ほんわかした柔らかい空気を纏う方だった。
ディラン様よりももっと明るい青色の大きな瞳で私を見つめるナタリー様は、まるで甘いものを食べている時のディラン様のような無邪気な笑顔を浮かべて私を出迎えた。
「髪がピンクなのはディランからも聞いていたけど、目の色も違うのね。ふふっ、ディランの髪色とお揃いで綺麗な色ね。悪目立ちしないようにって聞いていたけど、隠していたなんてもったいないわ」
こうして二人と対峙してみると、ディラン様は彼らの血を引く人なんだなと良く分かった。
その後四人でお茶を飲みながら、学園での生活や私の生い立ちなど、一見すると取り留めのない話が続く。
相手が相手なのでやっぱり緊張はしていたけど、ナタリー様が優しく話しかけてくれたり、強面ルーデン様の甘党ぶりを垣間見たり──何食わぬ顔で紅茶に砂糖を大量に投入していたので──気付けばディラン様が強張りそうな私の手を握ってくれていたこともあって、会話が進むごとに、緊張感は未だに感じるものの、肩に無駄に入った力は抜けていった。
そしてひとしきり話し終わり話題も尽きたところで、ルーデン様が本題を切り出した。
「────さて。二人を今日ここに呼び出した理由だが。メイト嬢、そしてディランよ。君達が想い合っていることは今日の二人を見てよく分かった。だが、想いだけで結ばれるほど世の中そう甘くはない」
ディラン様とよく似た面差しのルーデン様はそう言うと、これまでの表情を一転させ、ディラン様に険しい目を向けた。
「まずはディラン。お前は我がパシフィック家の跡取りだ。そのお前が、私たちにこの間言ったな。このメイト嬢と婚約し、ゆくゆくはパシフィック家に迎え入れたいと」
「はい。俺は彼女と共にありたいと思っています。その気持ちに今も変わりはありません」
「ならば愛人として傍に置いておくのではだめなのか」
「アリスをそのような立場にするつもりはありません」
「だが、ナタリーを見ていれば分かるだろう。公爵家の夫人を務めるのはそう楽なものではない。他貴族との交流も必要になってくる。
ましてメイト嬢はこれまで貴族とは無縁の世界で生きてきた平民だ。────お前は本当に彼女にその役割が務まると思うのか?」
「アリスはとても優秀な人間です。それに勤勉さも勿論彼女の魅力の一つですが、現在学園で、選民主義の筆頭と呼ばれるあのバリビオン家の次男であるザッカリーをはじめとした、上位クラスの面々とも身分の垣根を超え、交流を深めているほどです。
そんなアリスなら、将来パシフィック家の夫人になったとしても問題なくやっていけます。それに足りないところがあれば俺がフォローをします」
「それでも、メイト嬢に対する誹謗はなくならないだろう。彼女の出自を理由に我がパシフィック家の足元を掬おうとする輩が出ないとも限らん」
「その時は俺が全力で叩き潰します。アリスにもパシフィック家にも、絶対に危害は加えさせません。俺は、俺の全てを賭けて彼女とこの家を守ります」
「口で言うだけなら容易いことだ」
「現段階で選民主義の思考に呑まれている、後々障害になりそうな貴族たちの名前は把握しています。それに彼らが攻撃を仕掛ける前に封じるための手段も既に考えています。────叩けば埃の出る連中ばかりですので」
元々、アレクサー殿下の治世になった際に敵対しそうな貴族の名前は殿下の命によりある程度は調べていたらしい。それに加えて今回は、ルーデン様に今のように言われた時にと、この二週間で調べられるだけのことは調べてくれたのだ。
だから今のディラン様の言葉は、決してその場しのぎのはったりではない。
「書面に認め紙に残すのは得策ではないと判断しましたが、父上が具体的な内容を知りたいというなら、口頭で良ければ伝えます」
ディラン様がそう言ったら、ルーデン様は観念したように大きく息を吐いた。
「なるほど。ディラン、それほどまでに彼女を傍に置いておきたいというお前の決意はよく分かった。────ならば次はメイト嬢だ」
そしてルーデン様は、今度は私にあの闇色の瞳を向けた。視線だけで体が凍り付きそうになるけれど、臆さずまっすぐに見返した。
そんな私にルーデン様は一瞬だけ険しくなった目元を緩めたが、すぐに元通りになると、厳しい口調で尋ねる。
「私もナタリーも君の優秀さは分かっている。だが、それだけでパシフィック家の後を継ぐディランの婚約者として君を認めるわけにはいかない。理由は分かるな?」
「はい。今の私は学園の成績がいいだけで、まだ何の実績もないただの一生徒にしか過ぎないからですね」
「その通りだ。君は知っているか? 貴族たちの間で君自身が、そしてディランが何と言われているか」
「地位と財産目当てで貴族を骨抜きにした浅ましい生まれの娘、そしてディラン様はまんまと篭絡された愚かな子息だと。……今の私には、悔しいですがそれを覆せるほどの力はありません。
ですがずっと言わせておくつもりもありません。差し出がましいことだとは理解しております。ですが、どうか二年、お時間を頂けないでしょうか」
「聞こう。待てばどうなる」
「その間に私は、私自身の価値を周りに証明します」
「ほう、具体的にはどうするつもりだ」
「これまでの特待生の中で首席で卒業できた平民の生徒はいませんので、私がその第一号となります。それと卒業時の最終試験、私の属する下位クラスを、私の力で必ず上位クラスに勝たせます」
ただ優秀なだけの人材なら山ほどいる。その中でもずば抜けていると証明する必要があった。
そして下剋上の達成は、ゲームだと本来ならルーデン様達の立場から婚約を認める為に出された条件だった。だけど私はそれを自分からあえて提示した。
「なるほど。君が主導して彼らの成績をこれまで以上に底上げさせ、尚且つそれが達成できれば、確かに君の有用性は示されたも同然だな。しかも二人の婚約を王命によるものとすれば、表立って文句を言える者はいなくなる」
下剋上は元から目指していたとはいえ、達成するのはかなり骨が折れる。まして今、上位クラスは私が焚き付けたこともあって、歴代の上位クラスの中でも群を抜いて成績が良い。
絶対に勝てるかどうか、断言はできない。でも勝算はある。
「それに、私は平民初の女性官吏になる夢も諦めていません。もし私が官吏となれば、アレクサー殿下の考える、能力のある下位貴族や平民の有用性を示すアピールにも繋がると思いますので」
「ふむ。……しかしそれだけではまだ足りない」
「はい、公爵家の人間に恥じない完璧な教養やマナーも、卒業までにマスターします」
「貴族として生を受けた者達が、生まれた時から何年もかけて学んだことを叩きこめるのか? まして君は勉学に集中し、一分一秒も惜しむほどだろう」
「それに関してはありがたいことに、とある方が師として助けてくれることになりました。王家仕込みのスパルタですが、二年でものにできると」
「たとえ全ての条件を君が満たし、ディランの婚約者として並び立てたとしても、君を揶揄する声は上がるだろう。ディランは君を守るとは言ったが、本当に耐えられるのか」
「ディラン様の隣にいられるのなら、どんなことにだって耐えられます。それにやられっぱなしも守られっぱなしも性に合わない性格ですので、そのくらいは自分の力で跳ね返します。口の達者さにも心の強さにも自信がありますから」
私が自分から出した条件は、正直ゲーム以上に難度が高い。下剋上以外の、貴族の振る舞いを身に着けることと首席での卒業、そして平民で女性初の官吏になること。これらはゲームでは出てこなかったことだ。
だけど今の私には不可能なことでもない。
それにこのくらいできずに躓いたら、この先とてもじゃないけどやっていけないだろう。
「私の手を離さないと、ディラン様は約束してくれました。そして私も離さないと。ディラン様が私のことを誰よりも信じてくれているんです。だから彼の期待に応える為に、必ず全てやり遂げます。────私を選んでくれたディラン様が間違っていなかったと証明するために」
ルーデン様と、そしてナタリー様の目を逸らさず、はっきりと自分の気持ちを告げれば、そこで二人の表情が一気に和らいだ。




