21.二人の決意
「まずは君に謝らせてほしい」
二人きりになった部屋で、勧められるままソファに腰を下ろした私にディラン様は開口一番そう言い放つ。
急な謝罪の意味が分からず私が目を瞬かせていたら、隣に座った彼はそっと瞳を伏せる。
「俺は君の気持ちに気付くことができなかった。そればかりか想い人が幼馴染だと勘違いさせるような言動を取ってアリスを傷付けた。本当にすまない」
「そんな、パシフィック様────ディラン様は何も悪くありません!」
むしろ私はディラン様が好きだってばれないよう振舞っていたし、セリーナ様のことが好きだって思ってたのも私が勝手にそう思い込んで、メンタルがやられていただけだ。
私の女の勘というやつは、随分とあてにならないもののようだ。
「セリーナのことだが……確かに彼女は、俺の婚約者の第一候補だった。俺もセリーナもそのことは薄々分かっていたし、何もなければ彼女とはそういう関係になっていただろう。だが子供の頃からよく顔を合わせていたせいか、血は繋がってなくとも互いに感じていたのは姉弟のような情だ。それに、セリーナには既に恋人がいる」
「え!?」
なんと、留学してすぐにセリーナ様には好きな人ができたらしい。しかも相手は彼女と十歳離れた隣国の王弟殿下で、彼がその恋人なのだ。
だが出会った当時は王弟殿下には婚約者がおり、秘めたる恋として胸の内に抑えていたセリーナ様は、それでも誰かに歯痒い気持ちを聞いてほしくて、わざわざ違う言語に置き替えた文面を認めてディラン様に送っていたというのが手紙の真相だという。
彼女が学園卒業後に隣国に残ったのも、今セリーナ様の通うアカデミーで件の彼が教鞭を振るっていたから。
そんな愛しの人が、相手の浮気が原因で婚約が解消になり、フリーになったところでガンガンアプローチをし、年齢差をものともせず見事射止めた。
隣国に嫁に出したくないセリーナ様の父親に猛反対されたものの、最近になってようやく認めてもらえたので、婚約を結ぶべく、王弟殿下を連れてもうすぐ一時帰国するのだという。
「正式な発表がまだだったからな。そのせいで君にも、彼女が帰ってくる理由をきちんと伝えられなかった」
そりゃあディラン様も、そんなことをおいそれと私に言えないだろう。
知らなかったとはいえ、完全にこちらの勘違いだった。重ね重ね恥ずかしい。
「私の方こそ、色々とすみませんでした。一人で考えすぎちゃって、ディラン様を避けるようなことをしてしまって」
むしろ謝罪すべきは私の方だろう。私の行動は彼を傷付けた。あの時ディラン様が浮かべていた表情は今も私の中に残っていて、それを思い出しただけでも胸が痛む。
「そんな顔をしないでくれ。もう過ぎたことだ。俺は気にしていない。今はこうして君の気持ちをちゃんと知れた」
「でも傷付けたことは事実です」
「……というよりも、君の力になれなかったことが歯痒かったんだ。あとはそうだな、少し寂しかった。俺にとって君と過ごす時間は、かけがえのない幸福なものだったから」
「それは……私も同じです」
たった数週間一緒に過ごせなかっただけで心のどこかにぽっかり穴が開いたような気持ちになって、日常生活から色が抜けたように感じていた。
自分から顔を合わせないようにしていたくせになんだか毎日物足りなくて、それであの裏庭に足を伸ばしたくらいだ。
「アリス」
ディラン様に名前を呼ばれる。
少し俯き加減だった顔を上げるとすぐ近くにディラン様の顔があった。そのまま彼は自分の額を私のおでこにこつりと当てる。
「俺は君に何も言わないつもりだった。ただの友人として傍にいて、君を手助けできればそれでいいと。それなのに俺は、君との未来を望んでしまったんだ」
そう言ってディラン様は、校門で掴んでいたよりももっと弱い、それこそ軽く腕を振っただけで外れそうなほどの力で、私の手を握る。
「君に降りかかる火の粉はできる限り振り払うつもりだ。アリスの夢だって諦めさせたくはない。両立できるよう力を尽くす。それでも、パシフィック家を継ぐ俺といれば間違いなく君には負担がかかる。本音を言えば俺は、それでもアリスと一緒にいたい。だが、もしも君が望まないのなら、今ならこの手を離せる」
「ディラン様……」
こんなにディラン様に想ってもらっていただなんて考えもしなかった。彼からの気持ちは素直に嬉しい。
だけど、私とディラン様の間には確実に身分差という大きな壁があって、好きだからという理由だけで婚約がすんなり認められるわけがない。
だって今の私は第三者の目から見れば、勉強ができるという取り柄しか持ち得ておらず、まだなんの実績も残していないただの平民少女だ。そんな私が周囲に認めてもらうには、今やっている努力だけじゃ足りない。
それに、仮にこの後私がどんな成果を残そうと、平民上がりの人間がとそしってなじる人々はいる。アレクサー殿下の治世になればそれも少しずつ減っていくかもしれないが、すぐにはなくなりはしない。それが貴族というものだ。
だからこそ、彼らに認められるために、私がゲーム主人公であることを放棄した理由──礼儀作法や貴族としての知識も頭に入れ、貴族社会で渡り合えるような力を持つ必要がある。
ましてディラン様は公爵家。
彼の婚約者になり、そしてゆくゆくは公爵夫人になるのなら、一緒にいる時の彼に感じたような、完璧で美しい所作も求められる。
ディラン様は私を守ろうとしてくれるだろうけど、自分で己の身を守れないようではそもそも彼の隣に立つ資格はない。
彼の気持ちを受け取るということは、そういった諸々のこと全てを乗り越える覚悟を持つということ。
そして、夢も、何もかもを諦めたくないというなら、これまで以上に努力をしなければならないということだ。
彼は言葉通り、もしもこの後待ち構えるであろう現実が辛いから諦めると言えば、本当に私のために手を離すだろう。
だけど私は────。
「ディラン様」
彼の名前を呼んだ私は、自分の唇をディラン様に合わせる。そして何をされたのかすぐに分かりわずかに顔を赤らめた彼に、「さっきのお返しです」と冗談めかした口調で告げたあと、先程とは違い起きているディラン様に、ちゃんと今の気持ちを伝える。
「私、ディラン様のことが好きなんです。一緒にいられるためなら、どんなことだってします。それに官吏になる夢も諦めません。だからどっちも叶えられるように頑張ります。結構欲張りな性格なんですよ、私。それにディラン様も知っているとは思いますけど、努力だけは得意なんです」
勉強も礼儀作法も死ぬほど頑張りながら貴族社会の荒波に生涯その身を置き続ける、なんて、絶対にごめんだと思っていた。だけど今の私はそれをしてでもディラン様と一緒にいたいと望んでしまった。だったら四の五の言わず、無理も無茶も承知の上で、できることはすべてやる。
「……後悔しないか? 一度掴んだら、俺はもうアリスを手放してやれない」
「ディラン様こそ、私でいいんですか?」
その瞬間、どんな極上のお菓子を食べた時よりも艶やかに、それでいて甘く、少し泣きそうな瞳でディラン様が微笑んだ。
「俺は君がいいんだ」
そしてこんな時に────こんな時だからこそ、なのか。
「アリス、君を必ず幸せにすると約束する。だから、どうか俺を選んでほしい」
辿ってきた過程は全く違うのに、これはディラン様ルートの告白のシーンだ。
彼の手を取れば、後戻りはできない。
だけど、たとえどんな結果になったとしても、後悔はない。
誰に強制されたわけでもなく、ましてやゲームヒロインとしてでもなく、私は私の意志でこの道を選ぶ。
外れそうな彼の手をぎゅっと握り返すと、私は晴れやかな笑みを浮かべて答えた。
「私を選んだことを後悔なんてさせません。ディラン様の事、絶対に幸せにします。だから何があってもこの手を離さないでくださいね」




