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【連載版】(電子書籍化決定)ピンク髪の転生ヒロインは、運命の人を探さない  作者: 春樹凜


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16.泣いたあとは


 あの後、これ以上心配をかけたくないという一心で、溢れた感情をかき集めて必死に抑え込んだ。今の私を悟らせないよう全てを押し殺し、ディラン様と別れて寮へと戻ると、ちょっと風邪気味だからという理由で夕食も取らずすぐに部屋に引き籠る。


 扉を閉め、ベッドに体を投げ出した私の中に、ふとゲームのとあるシーンが脳内再生される。


『彼のことを想うだけで幸せなのに、張り裂けそうなほどに胸が痛む』

『身分の釣り合わない私よりも、彼女との方がお似合いで、黒い感情に心が呑まれて、嫉妬でおかしくなりそう』


 これは唯一婚約者のいたアレクサー殿下のルートで、エリザベス様と殿下が笑顔で話している場面を見てしまったヒロインが、涙ながらに心の内で独白している時に出てきた台詞だ。

 相手が違えど、まさかあのヒロインと気持ちがシンクロする日が来るなんて。


「ほんっと、最悪」


 限界だった。

 張り詰めていた糸がほどけ、ポロリと私の目から涙が零れ落ちる。はじめは顔を濡らすだけの、けれど涙はどんどんあふれていき、やがて食いしばった歯の隙間から小さく嗚咽の音が漏れる。

 そのまま枕に顔を埋め、私は感情の赴くままに、声が枯れるまで泣き続けた。




○○○○




 どのくらい時間が経っただろう。 

 泣きすぎて喉がカラカラで、口で息をするとヒューヒューと乾いた空気が出て行く。どんなに懇願されても、もう一滴も出ない自信がある。 


 自分の本当の気持ちに気付き、動揺したせいでとりあえず感情に任せて泣き喚いてしまった。

 我ながららしくない。この学園で嫌味を言われた時だって平気だったのにまさか恋愛のことで思い詰めて泣いてしまうなんて、まさしく乙女ゲームのヒロインみたいだなと自嘲する。

 それでも、ついさっきまでの鬱々していた時よりも気分はかなりマシになった。


 起き上がった私は机に置いていた水を手に取り、失った水分を全て補充するようにごくごくと飲み干す。

 次に部屋についている洗面台に行き、鏡の中の自分の顔を確認すると、思わず乾いた笑いが浮かぶ。


「ひどい顔」


 泣き過ぎてカスカスになった声も酷いけど、目がパンパンに腫れていて、今まで泣いていたのが丸分かりだ。

 こんな顔で人前に出たら、間違いなく心配される。明日も学園はあるので、もう一度ベッドに戻り、今度は仰向けに寝転ぶと、閉じた瞼の上に水で濡らしたタオルをのせて自分の今の状況について冷静に考えてみる。


 暗闇で満たされた世界の中でまず浮かんできたのは、この気持ちは本当に私自身のものなのかという疑問だった。


 思えば、ここが現実だと理解しつつ、デイジーの攻略対象者への突撃シーンには百パーセントの確率で出くわしたりもしていたし、ゲームの強制力が絶対に働いていないとは言い切れない。

 それに彼女から助けてくれたのはたまたまディラン様だったけど、それがどうして偶然だと言えるのか。別にゲームのキャラじゃなくても、他の生徒でもよかったはずだ。

 それでも私を助けたのは間違いなくディラン様で、あまつさえ同じような台詞で彼と友人になり、仲を深めていくことになった。


 だったら、私は自分の意志で彼を攻略しなかったけど、勝手にヒロインとしての感情が育ってしまって、こんな感情を植え付けられてしまったのではないだろうか。


 ……と、ここまで考えた時、いや、それはないなとすぐに否定する。


 だって私がゲームで見ていたディラン・パシフィック様は、甘いものが好きだという設定が全く活かされないくらいそんな場面は皆無で、攻略を進めると多少は凍てつく冬のオーラが緩和されるとはいえ、たとえヒロインに対して恋慕の情を抱いても表情を緩めることはなく常に冷静で、最後まで感情を露にすることなんてほとんどなく、まったく隙のない絶対零度の貴公子だった。


 だけど現実のディラン様は、やっぱりゲームとは全然違っていて。


 私好みのお菓子を作ってくれたり、私が無理しないようにといつも気遣ってくれたり、大好きな甘味が関わるとふにゃりとした笑顔になったり、新しいレシピを教える時は目がキラキラと子供のように輝いたり。


 いつからだったのか分からない。少なくとも彼と友人になると決めたあの時はこんな感情ではなかった。けれど一緒に過ごすうちに、いつの間にかその一挙手一投足に目が離せなくなっていて、無意識のうちにどうしようもなく惹かれていったのだろう。

 それをやっと今日自覚した、ただそれだけ。


 たとえディラン様と接触する機会が強制的に与えられたものだったとしても、それはきっかけにしか過ぎない。

 この気持ちはヒロインとしてじゃない。確かに今の私がディラン様に感じている、嘘偽りない感情だ。


 まあかといって、どうすることもできないんだけど。思わず口元に自虐的な笑みが浮かぶ。


 だってディラン様が好きなのは、きっとセリーナ様だ。これまで何度かディラン様からセリーナ様の話を聞いたけど、彼が好意を持っているのは間違いなさそうだった。女の勘である。


 しかも、間もなくセリーナ様が隣国から一時帰国するという話もディラン様から直接聞いている。理由ははっきりとは教えてもらえなかったけど、どう考えても二人の婚約を発表するためとしか思えない。これも女の勘だ。


 つまり、気持ちに気付いた瞬間、失恋決定というわけだ。


 二人のことを考えるだけで、ディラン様への気持ちで胸の奥がきゅっと収縮する一方で、黒いもやもやがひょっこりと一緒に顔を覗かせる。

 甘くて苦い正反対の感情が私の中で混じり合って余計に苦しくなり、どうせ失恋するなら、気付かずに友人として別れたかったと思う気持ちは今でもある。

 それでももう、なかったことにはできない。今更飛び出してしまったものを完全に抑え込むことは不可能だ。


 だからこの気持ちは絶対に隠し通す。万が一ディラン様に気付かれでもしたら、今ある友人関係も壊れてしまうかもしれない。そっちの方が嫌だ。


 そうと決まれば私がすることは一つ。


「……勉強するか」

 

 今更悩んだところで仕方がない。

 それに、私がこの学園に来た目的は、乙女ゲームのヒロイン生活を満喫することではない。優秀な成績を修めて良い就職先を手に入れるためだ。

 うっかりディラン様のことを好きになってしまったとはいけ、どれだけディラン様のことを思ったって状況は変わらないんだし、身分違いの不毛な片思いにいつまでも引っ張られるわけにはいかない。

 

 私はお金持ちの実家に生まれたお嬢様ではないし、貴族の令嬢でもない。何か特別な才能があるわけでもなく、できることといえば、目の前のことに愚直に取り組むことしか能がない、ただの平民少女。

 だからどんな状況であっても、逃げずに今やるべきことをする。

 

 ぬるくなったタオルを取り起き上がった私は、椅子に座ってノートと参考書を開く。

 ディラン様から借りた参考書にはいつも通り彼の勉強した痕が残っていて、彼のことを無意識に考えてしまいそうになるのをなんとか無理やり切り替え、夜が更けるまで机に向かい続けた。




○○○○

 



「アリス、起きてる?」


 ちょうどきりのいいところまで終えたところで、控えめなノック音と共に聞き覚えのある友人の声が扉の向こうから聞こえてきた。

 時計を見ると結構な時間だ。どうしたんだろうと思いながらドアを開けると、心配そうなそうな面持ちのカトレアが立っていた。


「ごめんなさいね、風邪気味だっていう時に。明かりがついていたから」

「あ、ああ、うん、もう平気だから」


 そういえばそういう理由で部屋にさっさと帰ったんだったっけと思い出し、慌てて話を合わせる。


「夕食を取ってなかったでしょう? 少し食べ物を持ってきたの。良かったら食べて」

「いいの? ありがとう。実はお腹空いてたんだ」

「それからこれ」


 サンドイッチのお皿の後彼女が取りだしたのは、薄いシートのようなものと小さな飴がたくさん入った小瓶だった。

 

「えーと、これって……?」


 差し出された物について首を傾げていると、カトレアが私の目を指さして声量を落とす。


「寝る時にこれを目に貼れば朝には完全に腫れも引いていると思うわ。飴は喉の通りをよくするから食べてみてちょうだい。……あなたが泣いていたこと、皆には隠したいだろうと思って」

「!? 何で知って────」


 言いかけて思い出す。角部屋の私の唯一の隣の部屋の住人は、カトレアだ。聞こえてたのかと、ばつが悪くなって苦笑いを浮かべる。

 カトレアはそんな私の体を引き寄せると、軽くハグをして、ポンポンと背中を叩く。


「理由は聞かないわ。だけど相談したくなったり、何か力にならることがあったらいつでも言ってね」


 ……なんとなく、彼女には泣いていた原因はばれている気がする。

 それでも何も聞かれなかったことにほっと安堵しつつ、小さく頷いてみせた。



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