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【完結】 夏鳥は弾丸を噛む -傷心のボーカリストは二度目の春を歌う-  作者: 未来屋 環


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72/75

track10-12.

 思わず隆志はリュックからニット帽とサングラスを出し、自らの顔を隠す。

 馬鹿馬鹿しい、相手は自分の顔すら知らないはずなのに――それでも、何故かそうせずにはいられなかった。


 当然夏野は隆志に見向きもしない。

 何をするでもなく、ベンチに座ってじっとしている。


 ――まさか、こんな所で逢えるなんて。


 隆志の胸は著しい速度で鼓動していた。


 近付いて話しかけてみようか。

 いや、いきなり話しかけたら怪しまれるかも知れない。

 どうすれば、自然に近付くことができるだろう。


 考えあぐねた隆志は――ひとまず思考をリセットし、本来の目的であるギターを弾くことにした。

 幸い時間は幾らでもある。

 夏野が興味を持ってくれるよう、片っ端からロックのメジャー曲を弾いてみることにしよう。


 隆志は素知(そし)らぬ顔で演奏を始めた。

 1曲弾き終え様子を(うかが)ってみるが、夏野が動く気配はない。

 もしかしたらイヤホンで音楽でも聴いているのかも知れない。

 それでは、こちらの演奏に気付かなくとも無理はないだろう。


 しかし、今の隆志にギターを弾く以外の選択肢はなかった。

 仕方なく、隆志は別のミュージシャンの曲を弾き始める。

 数曲弾き終えても、相変わらず反応はない。


 そういえば最後に姿を見たあの時――倉庫の中で彼が歌っていたのはMr.Loudの曲だった。

 それじゃあそっちに絞ってみるか――。


 手を変え品を変え、懸命にギターを弾き続ける。

 そして、隆志がギターを弾き始めてから1時間近くが経過したところで、夏野に動きがあった。

 ベンチに座ったままではあるが、こちらに視線を向けているのだ。


 ――俺のことを、見ている。

 あのひとが……夏野さんが。


 夏野に近付きたい気持ちをぐっと抑え込み、隆志は演奏を続けた。

 しかし、夏野はこちらを見てはいるものの、一切動こうとする気配がない。

 その視線はまるで、隆志ではない別の何かに向けられているようで。


 ……もう、限界だ。


 いよいよ隆志は(こら)えきれず、何曲目かもわからないその曲を弾き終えた瞬間立ち上がる。

 そのままギターを抱えて夏野へと一歩足を進める毎に、隆志の胸を様々な想いが去来した。


 ――ようやく、ここまで辿り着いた。


 ついに隆志は夏野の前に立つ。

 夏野は隆志に気付く素振りを見せず、無表情でベンチに座ったままだ。

 その顔には、隆志が初めてステージで観た時の溌溂(はつらつ)さは見られない。

 倉庫の中で肩を震わせていた夏野の姿がふと重なり――隆志はぐっと口唇を噛んだ。


「――あの」


 意を決して声をかけると、目の前の夏野がはっと我に返ったように顔を上げた。

 初めて間近で見る夏野の顔は、思ったよりも線が細く――そして、(はかな)く見える。

 少年のようなあどけなさを残したその表情が、一瞬固まった。

 しかし次の瞬間、少し強い口調で「――何?」と言葉を返してくる。


 ――あぁ、やっと話せた。


 感情の奔流(ほんりゅう)を必死に押し留めながら、隆志は口を(つぐ)んだ。

 サングラスをかけていて良かった――そうでなければ、いきなり涙ぐむ見知らぬ男に、彼はきっと驚いてしまうだろう。


「……いや、俺の演奏一生懸命聴いてくれてたから、もしかして知っている曲かと思って」


 気持ちを落ち着けながら少しずつ話す内に、夏野の警戒も解けてきたように感じる。

 笑顔で会話をしながら、隆志はこの時間がずっと続いてほしいと願い――そして、()の焦がれたボーカリストにようやく想いを告げた。


「――ねぇ、折角(せっかく)だから、一曲歌っていかない?」



 気付けば空は少しずつ夕暮れに染まってきている。

 そんな中、『Singing with You』は時に激しく、時に穏やかに会場中に響き渡った。

 ステージに立つ夏野は、真剣な眼差しでバラードを歌い上げている。

 その歌声からは、まさしく彼の魂が伝わってくるようだ。


 ――そう、この曲は初めて夏野が歌詞を書いた曲だった。



「――どう? 俺の歌詞、変じゃない?」


 隆志は夏野がこの曲の歌詞を書き上げた時のことを思い出す。


「全然。(むし)ろ初めてとは思えないくらい、いい」


 隆志がそう言うと、夏野は「本当かぁ?」とふざけたように――しかし、嬉しそうに()いてきた。

 「本当ですよ」と答えながら、隆志は歌詞を読み込んでいく。


 その歌詞は、音楽を歌い奏でることの(よろこ)びと、圧倒的な全能感で溢れていた。

 隆志にもその想いは共通するところがある――夏野と一緒なら、たとえ世界が相手だって怖くない。

 一人180度ずつ、二人合わせて360度すべての風景を見渡すことができるのだと――本気でそう思った。


 最後の一節に目を移したところで、隆志は小さく笑みを浮かべる。


「あっ、笑った」


 目ざとく隆志の様子を見ていた夏野が、口を尖らせた。


「違う違う、なんか――すごくいいフレーズだと思って」

「え、本当に?」

「うん、本当に。『さぁ――』」


 隆志はもう一度その言葉を読み返す。

 今度は心にしっかりと刻み込むように。


「『今こそ歌おう、僕らと共に。世界を変えよう、僕らの歌で』」



 夏野の歌声が夕暮れの空気に溶け込むように消えていく。

 隆志が最後のアルペジオを弾き終えると、観客席から大きな拍手が生まれた。


 隆志は隣に立つ夏野を見る。

 その横顔は、とてもステージ上にいるとは思えない程の穏やかさに満ちていた。

 ふと、夏野が隆志の方にゆっくりと顔を向ける。

 そして目が合ったその時、彼が何かを言おうと口を開いた。



 瞬間――夏野の足元から、音もなく青色が広がっていく。



 ――それは、隆志が何度も夢に見た光景だった。

 気付けば辺りは一面海となり、夏野と隆志の二人だけが立っている。

 視線を落とすと水面(みなも)は透き通り、隆志の姿を鏡のように映し出していた。


 ――あぁ、こんなにもこの世界は澄んでいたのか。


 顔を上げると、夏野は穏やかな表情でこちらを見つめている。

 ずっとひとりぼっちで不変だと思っていたその世界は、その時初めて愛すべき侵入者を迎え入れた。


「――ずっと、探していたんだ」


 目の前に立つ夏野がぽつりと言った。


「ここには、誰もいなかった――俺以外。(たすく)だってここに来ることは一度もなかった」


 二人だけの世界で、夏野は隆志をまっすぐに見据え、言葉を(つむ)ぐ。


「春原――おまえが俺を、この世界につなぎ止めてくれたんだ」


 そう彼の口から(こぼ)れた言葉は、()しくも隆志が夏野に伝えようと思っていた言葉そのもので。

 あふれそうになる想いを必死で押し留めながら、隆志はようやく口を開く。


「夏野さん――それは、こっちの台詞(せりふ)ですよ」


 ねぇ、ここに辿り着くまで、俺がどれだけあなたの存在に救われてきたかわかる?

 あなたが俺を救ったように、俺もあなたの救いになれたのなら――こんなに嬉しいことはない。


「――夏野さん、俺をこの世界につなぎ止めてくれて、本当にありがとう」


 隆志の言葉に、夏野はその表情を優しく(ほころ)ばせた。



 ――気付けば、二人はステージに立っている。

 隆志は意識を少しずつ現実に引き戻しながら、周囲を見回した。


 観客の歓声はまだ止まない。

 冬島と坂本は既にスタンバイを終えている。


 そして――夏野は、変わらぬ笑顔でそこにいた。


 隆志と目が合うと、夏野はウインクをして、観客席の方に向き直る。


 ――そうだ、まだあと1曲残っている。


「ラスト1曲、聴いてください!」


 夏野の声に導かれるように、隆志は深呼吸を一つしてからギターを鳴らし始めた。

 そう、この世界にもう一度歌を響かせるために。



 ――夜の底に落ちたその少年は

 ただひとり、光を探していた

 その時、夏は訪れる

 世界を変える歌声と共に



track10. 春は夏と共に歌う-I'm Singing with You-

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― 新着の感想 ―
体、震えますね!! めっちゃ! 泣ける!!
なんという世界だろう! 青一色の。 未来屋さんの小説には、いつも「色」がありますね。
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