track10-6.
「――隆志、本気なのか?」
夜、出張から帰ってきた父と夕食の片付けを終えた母に、隆志は手術を受ける旨を伝えた。
隆志の決意を聞いた二人は安心した様子だったが――その後の隆志の話に、随分と驚いた様子を見せた。
「確かに手術を受けるには準備期間もあるし、2ヶ月は入院する見込みだと先生からも聞いている。でも何も留年しなくたって、隆志の今の成績ならそこそこの高校には行けるはずだ。出席日数は十分ではないけれど、中学校はそれでも卒業できる。今後のことを考えると、今進学を諦める必要はないと思うよ」
父が隆志を諭すように言葉を紡ぐ。
「進学を諦めるんじゃないよ。行きたい高校に行くために、1年間きちんと準備したいんだ」
そこまで言ってちらりと母の様子を窺うが、彼女は心配そうな表情のまま隆志の言葉を待っている。
隆志は口を開いた。
「父さんの言うことはわかるよ。そもそも僕が手術を受けるかどうかなかなか決められなかったから、受験に影響してしまったわけだし」
「いや、それを責めるつもりはない。手術を受けるというのは大変なことだ。迷うのは当然のことだよ」
優しい父に反論するのを心苦しく思いながら、隆志は続ける。
「――だけど、どうしてもやりたいことができたんだ。そのためには準備しなければならないことがたくさんある。手術を受けて少しでも体調を良くしたい。ギターをもっと練習して上手くなりたい。勉強だって、本当はちゃんと授業に出て平均点ギリギリじゃなくきちんとした成績を取りたい」
そこで言葉を切って、隆志は両親の様子を窺った。
彼らは真剣な眼差しでこちらを見ている。
それを確認してから、再度隆志は言葉をつないだ。
「これまで、僕は僕だけが不公平で理不尽な目に遭っていると思っていた。だから多少上手くいかないことがあっても、仕方がないと諦めていたんだ。でも、そうじゃない。自分自身が勇気を持って戦わなければ、絶対に運命は変わらないんだってようやくわかったんだ。だから――そんな自分からきちんと生まれ変わるための猶予が欲しい」
隆志の熱の籠った言葉に、父が口を噤む。
三人の間に沈黙が流れた。
「――隆志、大きくなったね」
ぽつりと母が呟く。
父と隆志の視線を受けて、母が顔を上げた。
「隆志がそこまで考えて決めたんなら、そうしましょう。私は応援するから」
***
――今日、僕は生まれ変わる。
そう心の中で呟いて、隆志は顔を上げた。
先月末中学を卒業するまで、その視界は四角い硝子を通したものでしかなかった。
コンタクトレンズに替えるだけでこんなにも目に映る景色が変わるとは、新鮮な驚きだ。
元々目付きの良い方ではないという自覚はあったが、フィルターを通さない眼差しはよりきつく見えるのか、それとも染めたての明るい髪色が気に入らないのか――隣に座っている同級生の男子が小さく舌打ちをして顔を背ける。
その弾みで彼の耳に付いているピアスが揺れた。
ありがちな高校デビューだと、自分でも思う。
だが、それでいい。
何故なら、僕――いや、『俺』は生まれ変わるのだから。
不意にドアが開いて、何人かの上級生が入ってくる。
全員が入りきったところでドアが閉まり、先頭の眼鏡をかけた女性が口を開いた。
「仮入部の皆さん、軽音楽部にようこそ。部長の三条です、よろしく。あっ、皆さんのお目当ての鬼崎ね、今ちょっと遅れてるけど、あとで来るから」
三条の言葉に周囲の1年生がざわめく。
しかし、隆志は特段興味がなかった。
鬼崎達哉の存在は勿論知っているが、隆志の目的は鬼崎ではない。
「それじゃあ一人ずつ、希望のパートを言っていって。その後スタジオに移動して、経験者には演奏を軽く披露してもらいます。じゃあ、端っこの君から。希望パートはどこかな」
三条が隆志を見る。
隆志は立ち上がり、口を開いた。
「ギターです」
「ギターね。中学ではバンドとかやってた?」
「やっていません」
「じゃあ、初心者だね」
「初心者じゃないです」
三条が笑顔を崩さずに、目を細める。
「人前で演奏は?」
「したことありません」
それ初心者だろ、と隣の男子が小さく呟いた。
室内に変な緊張感が生まれる。
まぁまぁ、と三条が取りなし、こちらにウインクをした。
「自信があるのは大いに結構、大歓迎だよ。このあとの演奏楽しみにしてるね」
そして、座ろうとした隆志を慌てて制止する。
「ごめんごめん、名前訊くの忘れてた。君、名前は?」
隆志はもう一度三条に向き直り、口を開いた。
「――春原隆志です。俺は、夏野さんとバンドをやりたくてここに来ました。ギターのテクニックは誰にも負けませんので、よろしくお願いします」




