track10-3.
「こんにちは、『NORTHERN BRAVER』です。よろしくお願いします!」
そのボーカリストは少し小柄で、中性的な顔立ちをしていた。
同じ中学の同級生同士で組んだバンドだという。
ボーカルの彼は屈託のない笑みを浮かべていたが、それ以外のメンバーは緊張した面持ちでステージに立っていた。
「へぇ、隆志と同い年だね」
隣に座った父が話しかけてくる。
元気にはきはきと受け答えをする彼を、隆志は無感情に見つめていた。
どうせ他の面子と変わらず、大したことはないだろう。
NORTHERN BRAVERの面々がそれぞれの立ち位置につき、ギターのリフから演奏が始まった。
その印象的なリフは隆志にも聴き覚えがある――往年の有名ロックバンドの代表曲だ。
隆志自身も何回も弾いたことがある。
一方、ステージの上の彼が紡ぎ出すリフは、原曲よりもだいぶ速いテンポで進んでいく。
隆志の目には、ギタリストが緊張のあまり随分と突っ走っているように見えた。
あのテンポだからこそリフが映えるのに――曲の良さが台無しになっている気がして、隆志はため息を吐く。
しかし、その落胆は長く続かなかった。
イントロが終わりボーカリストが歌い始めた瞬間――隆志はステージ上の彼に釘付けになる。
その喉から放たれた歌声は、先程朗らかに話していた彼が発したものとは思えなかった。
強く存在感を持ったその声は、高いキーをものともせずにやわらかく伸びていく。
彼の歌の力に巻き込まれるように、走り気味だった楽器陣のテンポが落ち着いた。
ボーカリストの彼はその変化を心地良く感じたのか、メンバーたちに軽く笑顔を見せる。
その歌いながら見せた表情には何とも言えない色気があり――隆志は言葉を失った。
そのまま彼は自由に歌い続ける。
原曲とは異なるフェイクが入るも聴いていて嫌味に感じない。
高音部分であっても安定した声が確実に音を刻んでいく。
彼は完璧にその曲を自分のものとして歌いこなしていた。
間奏のギターソロが始まる。
イントロで走ってしまっていたギターはだいぶ落ち着きを取り戻しており、高難度のソロを懸命に再現していた。
さすがに完璧とまではいかないが、当初の隆志の想定よりも『弾ける』ギタリストだったらしい。
しかし、それすらボーカルの彼の前では霞んでしまう。
曲ラストのCメロはボーカリストが歌い上げる見せ場だが、彼の放つ歌は凄まじかった。
低音から始まったかと思えば一気に高音に飛び、そのままメロディーをなぞりながら変幻自在に跳ね回る。
そして、他の楽器に負けない強さでホール内に響き渡った後に堂々のエンディングを迎えた。
曲が終わって少し間が空いたあと――会場中を大きな拍手が包み込む。
呆気に取られていた隆志も慌てて我に返り、手を叩いた。
「あの子すごいなぁ!」
「本当、プロみたい! 何ていうバンドだっけ?」
興奮のあまり騒ぎながら母がパンフレットを捲る。
そして目当てのページを見付けたらしく、ぴたりと彼女の手が止まった。
「あ、これね。NORTHERN BRAVER――」
隆志は思わず彼女の手元を覗き込む。
そこには、メンバーたちの名前が書かれていた。
『Gt. Tasuku / Vo. Natsuno / ……』
「ねぇ隆志、この『Vo.』がボーカルのこと? Natsuno……夏野くんっていうのかな」
母が自分に話しかける声をどこか遠くのもののように感じながら、隆志はその名前を目に焼き付ける。
その日、彼――夏野の歌声は隆志の心に消えない色を残した。
***
それから、隆志の夢の世界に謎の影が現れるようになった。
海の上で立っている隆志にその影はゆっくりと近付いてくる。
年齢も性別もわからないそれは、いよいよ隆志の目の前までやってきて小さく笑う。
顔がないはずなのに、その瞬間確かに隆志にはその開いた口が見えるのだ。
――その正体が誰だか、隆志は薄々気付いていた。
あの日から、彼のことが忘れられない。
あれこそ、隆志の焦がれた声そのもの――いや、それを凌駕すらしていたように思う。
あの歌声を聴いた瞬間、隆志は確信したのだ。
そう――彼こそが、自分の探していたボーカリストなのだと。
夏野の歌を聴いてから数日間、隆志の記憶は朧気だった。
特に何の問題も起こらなかったということは、恐らく普段通りの生活を送っていたのだろう。
しかし、自分が何をしていたのかあまり覚えていない。
ふと気付けば、あの歌声、あの笑顔に意識が持って行かれる。
ぼんやりとそんな日々を過ごしたあとで、隆志は我に返り自分が作ってきた曲を聴き直した。
その当時は会心の出来だと思っていた曲たちが、彼の歌声に頭の中で焼き直してみると色褪せて聴こえてしまう。
――この曲では、あのひとの歌声が生かせない。
隆志は新たな曲作りに没頭した。
コンテストで披露したあの曲が歌えるなら、音域をもっと広げても歌いこなせるはずだ。
ギターの練習と並行しながら、彼をイメージした曲作りを進める。
――あのひとに、僕の曲を歌ってほしい。
その願望は隆志の中で日増しに大きくなっていった。
目を閉じれば、ホール中に響いた夏野の歌声がよみがえる。
夏野の存在は自分の思い描く音楽に必要不可欠だと、今の隆志には確信を持って言えた。




