track10-1.
――夜の底に落ちたその少年は
ただひとり、光を探していた
track10.
そこにはただ、海が在った。
眠りに落ちる度、僕は何度でもこの世界にやってくる。
水面に足を浸けたまま空を見上げると、そこには同じく一面の青色が広がっていた。
いつだってこの世界は僕を優しく受け入れてくれて――いつしか、ここにいることにも慣れた。
僕はひとり深呼吸をしてから、耳を澄ます。
波音が僕の鼓膜を震わせるだけで、世界は何も変わらない。
僕は静かに目を閉じ、その微かな音に身を委ねる。
――いつかは現れるのだろうか。
僕を他の世界とつなげてくれる存在が。
目を開くと、そこには不変の景色が広がっていた。
ただひたすらに、僕は待つ。
ひとりぼっちの世界で、来るとも知れぬ待ち人を待ちながら。
***
「――隆志?」
意識の扉が抉じ開けられる。
隆志はゆっくり目を開いた。
視界には、心配そうに表情を曇らせる見慣れた母の顔があった。
――いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
隆志はベッドから身体を起こす。
手元のカセットテープを見ると、B面の最後で止まっていた。
イヤホンを外しポーチにしまう間に、母が処置室の端に置かれたランドセルを持ってくる。
渡されたランドセルを背負い、隆志は母と共に病院を出た。
――こうなった切っ掛けはよく覚えていない。
日々の生活を送る中で、やけに疲れやすいと感じたのが最初だった。
数年前より随分暑くなった夏のせいだろうと高を括っていたら、体育の授業中に倒れてしまった。
それから色々なことがあり、結果的に今隆志は週の半分以上病院に通い、数時間ベッドで過ごす生活を余儀なくされている。
医者からは何度か説明を受けたが、隆志にはよく理解できなかった。
いや――理解したくなかった、という方が正しいだろう。
学校の成績は上から数えた方が早い隆志にとって、自身の身体に起きた変調が生易しいものでないことは、薄々わかっていた。
母は仕事の合間を縫い、夕方病院まで隆志を迎えに来る。
息子の隆志からも、母は忙しく――しかし生き生きと働いているように見えた。
しかし、隆志が体調を崩してからは随分と仕事をセーブしているようだ。
当初、母は隆志の病院への送迎をすべて担うと言って聞かなかった。
父は仕事で帰りが遅い上に出張も多く、隆志の面倒を日々見るのはどうしても母が主体となる。
しかし、隆志を病院に送っていくとなると、母は昼過ぎには仕事を切り上げなければならない。
隆志は少しでも母の負担を減らすため、病院に行くのは一人で大丈夫だと彼女を説得した。
今日も帰りの会が終わり次第、隆志は小学校の近くのバス停からバスで病院までやってきた。
ほぼ指定席となっている後方の席に座ると、隆志はランドセルの奥に隠していたポーチを取り出す。
ポーチを開けば、ポータブルカセットテーププレイヤーのお目見えだ。
このプレイヤーは、遠方に住んでいる祖父からのプレゼントだ。
隆志がこのような生活を送るようになってから、待ち時間はさぞ退屈だろうとプレゼントしてくれたのだ。
祖母はカセットテープなど今の子どもには古いと文句を言っていたが、隆志はとても嬉しかった。
そのお蔭で、憂鬱でたまらなかった病院通いの日々が少しだけ色付いた。
父が様々なCDをカセットテープにダビングしてくれるので、隆志はいつも家から2、3本めぼしいそれを持ち出す。
その中でも隆志が気に入ったのは、彼が生まれる前に発売されたハードロックバンドのものだった。
それまで、隆志は音楽の主役は歌だと思っていた。
歌番組でも大抵歌手がメインでTVに映され、それ以外のメンバーは伴奏者のような扱いだ。
カラオケに皆がこぞって行くのも、歌を歌いたくて行くのだろう。
しかし、隆志が出逢ったそのカセットテープからは、驚く程強くその存在を主張するギター音が鳴り響いていた。
そもそもギタリストの名前が冠されているバンドがあるというのも衝撃だった。
驚きはいつしか憧憬に変わり、気付けば隆志はギターの虜となっていた。
何度も何度も繰り返し聴く内に、いつか自分もギターを弾けるようになりたいと思った。
中学校に上がっても、病院に通うペースは変わらない。
隆志は休み時間、いつも一人で音楽を聴いて過ごしていた。
激しい運動ができないので、小学校が同じだった友人たちとも遊ばなくなった。
学校を休みがちでクラスに溶け込もうともしない隆志をクラスメートは腫れ物のように扱っていたが、一人で過ごすことが苦でないので特に気にならなかった。
相棒は中学の入学祝いに祖父がプレゼントしてくれたポータブルMDプレイヤーだ。
「今度は最新型だぞ!」と胸を張る祖父に、はいはいと祖母が苦笑いで応える。
確かに説明書を読んでみると、再生だけではなく録音や編集もこれ一つでできるらしい。
隆志はCDのダビングだけではなく、次第に自分で考えたメロディーを吹き込んだり、それをつなぎ合わせて曲を作ったりするようになった。
治療を受けている時間も作業をしていればあっという間に過ぎる。
中学に上がってから母の迎えを断った隆志は、病院からの帰り道、自分で作った曲を聴きながら帰るようになった。
家に帰り、自分の部屋に籠ってその曲を歌ってみる。
録音したものを聴き直すと、何だか居心地が悪い。
自分の声が嫌いなわけではないが、隆志の思い描いた歌声とは少しギャップがある。
まぁいつか自分に合ったボーカリストを探せばいい。
――僕はギタリストになるのだから。
密かにそう願うことは、隆志にとって日々を生きる原動力となっていた。




