track9-10. ジャッジメント・デイ -The Judgement Day-
「――夏野さんは、何が怖いんですか?」
二人の間に流れた沈黙を割ったのは、春原だ。
彼は俯いたまま答えなかった。
春原は少しだけ返事を待ち、そして――静かに続ける。
「夏野さん、俺はあなたの歌が好きだよ」
――彼の肩が、ぴくりと揺れた。
「俺はあなたと出逢うまで、ずっと一人で練習してて――自分が上手く弾ければそれでいいと思ってた。でも、初めてあなたの歌を聴いた時、心の底からあなたと一緒に音楽をやりたいと思って……だから必死にあなたのことを探したんだ」
春原は話し続ける。
普段は鋭い眼差しに、穏やかな熱をたたえながら。
「――ねぇ、わかる? あなたは俺にとって、それだけ大切なひとなんだよ」
彼がゆっくりと顔を上げた。
その青褪めていたはずの表情は、いつしか驚きの色に染まっている。
「俺はあなたの元バンドの奴らのことなんて知らない。だけど、あなたがどれだけすごいひとなのか、それは誰よりも一番よくわかってるつもりだよ。初めてあなたに出逢ったその日から、俺はあなたの歌に何度も救われてきたんだ」
春原の声が、熱を含んで揺れた。
「過去があなたを呪うなら、俺は何度でもあなたの隣でそれをはね除けてみせるよ。あなたが歌い続ける限り、どんな時でも俺があなたの傍にいる。だから、夏野さん――」
そのまま低い声は、くぐもり、割れる。
「――お願いだから、俺のことを信じてよ……!」
それはまるで、叫びだった。
目の前の相手に、その胸の奥に、なんとしても届いてほしいと祈るような。
揺れる感情を吐き出しきって、春原が俯いた。
そんな肩を震わせる後輩の姿を、彼は驚いたように見つめる。
そのまま無言の時が一刻流れ――今度はそれを、彼の言葉が破った。
「――何で、おまえが泣くんだ」
「……泣いてないよ」
ぼそぼそと低い声で呟かれた強がりを聞いて、彼は穏やかに微笑む。
その笑顔には普段の明るさが幾分か戻っていた。
「言われてみれば、そうだな。俺――何がそんなに怖かったんだろう」
平静を取り戻した彼の声に、春原がゆっくりと顔を上げる。
確かにその顔は――少なくとも今は涙に濡れていない。
ほんの少しだけ潤んだ瞳以外は見慣れた仏頂面を貼り付けて、春原は口を開いた。
「そうですよ。そして俺をそんな裏切り者たちと一緒にしないでください」
彼は「裏切り者って」と笑ってから、しっかりとした足取りで立ち上がる。
そんな彼を、春原は座ったまま見上げていた。
「ありがとう、春原。俺、やっと目が覚めたかも。少なくとも今は――」
そして、彼は座った春原に手を差し伸べる。
「――このまま何もできずに終わっていく方が、よっぽど怖い」
その後、彼らLAST BULEETSが行ったパフォーマンスは素晴らしいものだった。
俺も実際にそれを観たわけだが、とても高校生のアマチュアバンドとは思えない出来だ。
そして、その完成度以上に俺の胸を打ったのは――堂々と皆の前で歌いきった彼の姿だった。
彼の過去に何があったのか――俺はその深い事情を知らない。
それでも、彼がそれを乗り越えてあの場に立ったということは、観ている俺にも十分伝わってきた。
――彼はあの日、過去の自分を救ったのだ。
間違いなく彼は、俺とは『別世界の住人』だ。
中学生の頃に感じたあのほろ苦さが俺の心を覆っていく。
俺はあの頃から何一つ変わっていない。
目の前で成長していく彼の姿が、俺には眩しくてたまらなかった。
――しかし、俺が抱えるその靄を晴らしたのも、まさしく彼だった。
人混みを通り過ぎ、俺は目的の場所に辿り着いた。
無人の部屋の電気を点け、渡された服に着替えながら、あまり突飛な服装でなかったことに胸を撫で下ろす。
この格好なら校内を歩き回っても特に違和感はないだろう。
着替えを終えて部屋の奥のロッカーを開けると――そこには、俺の『相棒』が眠っていた。
そう、3週間前のあの日、彼は明るさを取り戻した笑顔で俺に言ったのだ。
「文化祭で一緒に演奏をしてほしい」と。
俺は彼の言葉が咄嗟に理解できなかった――そのくらい、その台詞は俺の想定の外にあった。
熱心に頼む彼に半ば引っ張られながらスタジオに行くと、そこには春原と3年生の冬島が待ち受けていた。
彼らは驚いたように俺を見ている。
それはそうだろう、俺だってこの展開に驚いている。
すると、冬島が俺の『相棒』を一目見るなり目を輝かせ「え、これいくら?」といきなり訊いてきた。
不躾な奴だが、きちんと楽器の価値はわかるらしい。
教えてやると、冬島は「すげぇ!」と声を張り上げ、まじまじと俺の『相棒』を見つめ直す。
一方、春原はそんな冬島を気にする素振りを一切見せず、無言で楽譜を渡してきた。
一応楽譜は読めるものの、初見で弾ける程の腕はない。
態度には出さないようにしながら恐る恐る開いてみると、そこまで難しくなさそうで内心ほっとした。
その日は軽く何曲か練習をしただけだったが、彼は練習についていくのがいっぱいいっぱいの俺を嬉しそうに見ていた。
次の練習日は、そこそこ弾けた。
春原から俺のパートの音源を録ったMDを渡されていたからだ。
耳で聴きながら陰で練習した甲斐あってか、仏頂面の春原から「さすがですね」と褒められた。
冬島も「やるじゃん」と偉そうに言ってくる。
少しずつ完成度が上がっていく様に、俺も高揚していたのか――彼が俺の顔を見て「楽しいっすね」と嬉しそうに笑った。
――そう、俺は気付いてしまった。
誰かと一緒に奏でる音楽は、こんなにも楽しい。
あの日、彼の誘いを断れなかったのは――俺も過去の俺を救いたかったからなのかも知れない。




