track9-6. ジャッジメント・デイ -The Judgement Day-
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「やっと終わった……」
100分間の枠いっぱいドラムを叩き続けた俺の口から、ぽろりと本音が洩れる。
まぁ控室には俺一人だからいいだろう。
夏野が考案した生バンドカラオケ大会は想像以上の盛況ぶりだった。
あまりの客の多さにフルコーラスでは捌ききれず、1コーラスとラスサビだけにしてなんとかやりきった形だ。
耳馴染みのあるメジャー曲が多かったものの、それでも初見で楽譜を見ながら演奏するのは思った以上に気が張るものだった。
まぁプロのスタジオミュージシャンならこれくらい朝飯前か――予行演習だと思えば、いい機会になっただろう。
冷やしたペットボトルを額に当てて涼んでいると、控室のドアが開き高梨亜季が入ってくる。
「冬島さん、おつかれさまでした。あれ? 他の皆さんは?」
「あぁ、全員どっか行った」
春原は少し疲れた様子ではあったが、昼飯を食いにさっさと出て行った。
ベーシストの二見は自バンドtakoyakiのライブに連チャンで出演している。
同じバンドメンバーの三条が心配していたが「そんなに難しい曲なかったし、余裕」と涼しい顔をしていた。
現に今、視聴覚室の方からは重低音が踊るように響いてきている。
もしかしたら良いウォーミングアップになったのかも知れない。
そして、1年のキーボーディスト――秋本も思った以上の腕前だった。
いつもマスクして黙っている変な女子だとしか思わなかったが、夏野も色々なやつを見付けてくるもんだ。
見付けてくるといえば、例の『Secret Guest』のアイデアを出したのも夏野だ。
最初に聞かされた時は、正直冗談だと思った。
しかし、話はとんとん拍子に進んでいき――俺たちはこの文化祭、4ピース揃った形でライブを敢行することになった。
――ふと、初めて夏野に逢った時の記憶が頭を過る。
最初はひ弱そうなやつだとしか思わなかったが、お蔭さまで退屈しない高校生活を送ることができている。
あのいけ好かねぇ鬼崎のやつも、夏野のことを意識しているのは一目瞭然だった。
そのくらい、あいつは無視できない存在感を持っている。
「あ、私も行かなきゃ」
高梨の声で意識を控室へと引き戻された。
バタバタと荷物整理している高梨の左手にはまだ包帯が巻かれていたが、一時期よりはだいぶ良くなっているように見える。
「おまえも忙しいな。今度は何だ?」
「これからペリドットのメンバーと校内練り歩きです。少しでもお客さん呼ばないと」
――あぁ、あのビジュアル系か。
確かにあいつらの見栄えはインパクトがある。
あの格好じゃあ演劇部と間違われそうな気もするが、新しい客層を引っ張ってこれるかも知れない。
それにしても――こいつもよくやるもんだ。
俺は作業をする高梨のことをじっと見つめた。
9月の初め、落ち込んでいた時の顔が頭を過る。
あの時はどう励ましてやったらいいかわからず、ひとまずジュースを奢り、発破をかけてやることくらいしかできなかった。
結果、今日に至るまで悲しみの片鱗は見られず、様々なサポートを買って出ていると夏野からは聞いている。
――本当、根性あるし、いいやつだよな。
そう思っていたところで、高梨が急にこちらを振り返った。
思いがけず目が合い、俺は一瞬どきりとする。
そんな俺の気も知らずに、高梨は俺の方に近付いてきて手提げ袋を差し出した。
「冬島さん、これどうぞ」
「……おぉ、何だ?」
「いつもお世話になっているので、差し入れです――じゃあいってきます」
そうとだけ言って袋を俺に渡すと、高梨は荷物を持って控室を出ていく。
その背中を見送ったあと、袋の中を覗き込み――俺は自分の目を疑った。
そこには、ずっしりとした弁当箱が入っている。
慌てて取り出して蓋を開けてみると、中から色とりどりの食べ物たちが顔を出した。
おむすび、ハンバーグ、玉子焼き、たこの形をしたウインナー、そしてブロッコリーとミニトマト……端の方にはナポリタンも詰まっている。
――これはどう見ても、手作りだろう。
母親以外から初めて受け取った手作り弁当に、俺の口から思わず「……すげぇ」と言葉が洩れる。
あいつ、器用だとは思っていたが、料理も上手かったのか。
早速食べようと袋から箸を取り出したところで、今度は箸袋に小さな付箋が貼ってあることに気付く。
『いつもありがとうございます。今日のステージ、楽しみにしています。頑張ってください。高梨』
俺のものとは似ても似つかない綺麗な字――その短いメッセージを見て、俺は思わず笑ってしまった。
こんなの――頑張るしかねぇだろ。
俺は付箋を自分の楽譜にそっと貼り付ける。
「……うまい」
誰もいない控室で、俺はその弁当をいつもの倍以上の時間をかけゆっくりと味わった。




