track9-3. ジャッジメント・デイ -The Judgement Day-
「どこ行ってたの小鈴ちゃん。メイク崩れてない?」
「さっきメイクさんの所で直してもらったから大丈夫ー。ハイこれ越智さんにお土産」
手に持っていた袋を越智さんに押し付けて、彼女は僕の方に歩み寄る。
「ねぇ達哉、さっき夏野くんと春原くんがステージ出てたよ。何か生バンドでカラオケ大会やるんだってさ」
「ふーん、そう」
僕は小鈴の報告を軽く流して、キーボードの電源を落とした。
成る程、僕の枠をそういう風に使ったのか。
例年通りのやり方では順位をキープできないから、色々とテコ入れが必要だったんだろう――まぁ、僕には関係のないことだけど。
僕の興味のなさそうなリアクションに、小鈴が「反応薄っ」と笑う。
「二人とも、本番15分前だからそろそろ出るよ」
越智さんがどこからかかかってきた電話を受けながら、控室のドアを開けた。
僕はステージ用の靴の紐を結び直し、小鈴と一緒に部屋を出る。
見慣れた校内の廊下もこの格好で小鈴と歩くと何だか新鮮に感じた。
僕は深く呼吸することを意識しながら、歩みを進めていく。
「ねぇ、達哉」
「……何?」
「もしかして――緊張してたりする?」
予想だにしない小鈴の言葉に、僕は思わず横を向く。
隣を歩く小鈴は、悪戯っぽい笑顔でこちらを見ていた。
「――まさか、何で?」
「なんか――いつもより、ちょっと怖い顔してる」
そんなつもりはまったくなかったが、それはまずい。
意図的に営業スマイルを浮かべてみせると、小鈴が明るい笑い声を上げた。
「そうそう、その嘘っぽい笑顔! 達哉はそれがなきゃ」
「……相変わらず失礼だね」
とはいえ、全身を強張らせていた変な力が抜けた気がする。
僕が小さく「……ありがと」と呟くと、小鈴がウインクを返してきた。
「それにしても夏野くんは本当歌上手いよね。たまたまさっき校庭で歌ってるのを見掛けたけど、思わず聴き惚れちゃった」
前から思っていたが、小鈴は随分と夏野くんにご執心だ。
同じボーカリストとして感じるものがあるのか――僕は彼女の言葉を鼻で笑う。
「何言ってるの、小鈴の相手じゃないでしょ」
次の瞬間――小鈴の表情が、すっとステージ用のものへと切り替わった。
あぁ――この顔。
いつものことながら、彼女のスイッチが入るこの瞬間――僕ですらその美しさにぞくりとさせられる。
「――まぁ、当然?」
小鈴はそう呟き、艶やかに微笑んでみせた。
「それはそれは、頼もしい限りで」
僕も顔に心からの笑みを浮かべ、前を向く。
今日という日がKing & Queenにとって運命の一日になることを確信しながら。
***
鈍色idiotsの公演が終わった。
できる限りのことはしてきたつもりだ。
ギターが抜けた穴を埋めるため必死で練習し、曲も3ピースバンド前提で選んだ。
曲数を減らしつつ、他メンバーのソロパートや俺の苦手なMCも取り入れて、なんとか60分のライブをやりきった。
――それでも、胸の内に残るのは後悔ばかりだ。
もっとこうすれば良かった、ああするべきだったと思いがあふれてくる。
やはりギタリストが抜けた穴は、大きかった。
『……俺、もうおまえについてくの無理だ』
6月公演が終わり教室に戻ったあと、あいつは俺の席に来てそう言った。
予想だにしない言葉に、俺は何も返せない。
呆然とする俺を見て、あいつは寂しそうに笑った。
『ごめんな――おまえみたいに上手くなくて』
――その言葉を聞いて、余計に何も言えなくなる。
それは、まさに俺の心の声そのものだったからだ。
俺はちゃんとやっているのに――上手くいかないのは、初心者の他のメンバーのせいなんだと。
『自分の好きな曲ばっかりだとメンバーついてこなくなっちゃうよ』
鬼崎さんに言われた言葉がリフレインする。
そのまま何も言えずにいる俺を置いて、あいつも何も言わず教室を出て行った。
「――はい、鈍色idiotsおつかれさま! そろそろ次のセッティング始めるよ」
三条さんの声で現実に引き戻される。
次のプログラムはカラオケ大会だ。
機材入れ替えのため、俺たちはすぐ撤収しなければならない。
アンプからシールドケーブルを抜いていると、背後から「おつかれ」と声がかかる。
――そこには、同学年の春原がギターを持って立っていた。
俺はこいつが苦手だ。
高校生とは思えない程のギターテクニックに加え、俺たち同級生には目もくれず上級生とバンドを組む。
何を考えているかわからないが、少なくとも俺たちとは住む世界が違う――そんな風に感じさせる雰囲気が、春原にはあった。
言葉を返さずその場を離れようとすると「御堂くん」とまたもや声をかけられる。
振り返ると、そこには2年生の夏野さんが立っていた。
正直、俺はこの人も苦手――というか、嫌いだ。
中学の頃から音楽をやっていた俺にとって、春原から誘われて軽音楽部に入るという半端さがそもそも気に食わない。
6月公演の時、わざとらしく遅れてやってきたのも鼻についた。
そしてなにより、この人が歌い出した時の圧倒的な存在感。
あの日、この人の歌声は会場の空気を瞬時に塗り替え――その衝撃は俺のちっぽけな自尊心を粉々に砕いた。
「じゃあ春原、あとは頼むな」
「はい、任せてください」
心なしか春原の表情が普段より穏やかに見える。
そしてそれを確認してから、夏野さんは俺に向き直り、笑った。
「――御堂くん、昼飯ついでに俺に付き合ってもらってもいい?」




