track8-5. 嵐は秋に巻き起こる -The Storm Rises in Autumn-
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「高梨さん、大丈夫?」
「はい、ご心配をおかけしてすみません。見た目ほど痛くないので大丈夫です」
昼休みのミーティングが始まる前、三条の神妙な問いかけに亜季は笑顔で答えた。
そんな彼女を見て、夏野は内心胸を撫で下ろす。
――昨日の亜季は、かなり落ち込んでいた。
腕の怪我も心配だが、なにより必死で練習を続けてきた亜季が文化祭に出られないことが、夏野の一番の気がかりだった。
しかし、今朝教室にやってきた亜季は何かが吹っ切れたような爽やかな空気を纏っていた。
授業中もそれとなく様子を窺っていたが、その表情は普段と変わる様子がない。
何かあったのだろうか――まぁ、何だっていい。
大切な幼馴染みである亜季が元気を取り戻してくれたのであれば。
昨日の帰宅後、亜季の状況とこれからどうすべきかについて、夏野は春原と冬島に連絡を取っていた。
鬼崎の抜けた穴を埋めるためのコラボ枠や、急遽不在となったLAST BULLETSのベーシストポジションと、課題は多い。
しかし、夏野は少なくともLAST BULLETSのセットリストを変更したいと考えていた。
それは共に練習してきた亜季の心情を慮っただけでなく、それらの曲に亜季のシンベがぴたりとハマっていたからだ。
春原のギターと冬島のドラム、いずれも個性の強いその音たちを、亜季は落ち着いた的確なシンベでぴたりと蓋をしてみせる――まるですべてを包み込むかのように。
それは、亜季が着実に積み重ねてきた努力の産物に他ならない。
一方でその決断をすれば、本番まで残り3週間しかない中でその分春原と冬島に負担を強いることになる。
どうすべきか悩みながらもその旨を相談すると、二人とも即座にOKの答えが返ってきた。
春原はまだしも冬島がこの提案を快諾してくれたことに感謝の念を抱きつつ、次回の練習に幾つか候補曲を持ち寄ることを決めて、昨日のやり取りは終わった。
「――さて、昨日夏野くんが提案してくれたコラボだけど、各バンド参加できそうな人いる?」
三条が室内を見回す。
物理室には例の如く軽音楽部メンバーが集まっていた。
しかし、皆顔を見合わせるものの、なかなか意見が出てこない。
「……正直、うちはキツイっすね。歌だけならいいですけど」
御堂がぼそりと沈黙を破った。
それに続くように「すみません、うちも……」と香織が口を開き、他のCloudy then Sunnyのメンバーたちも頷く。
まぁそうだろう、特に1年生にとっては初めての文化祭だ。
自分たちの持ち時間をやりきることに精一杯で、他に気を回す余裕がなくても無理はない。
しかし、何気なくそちらを見ていた夏野は、ふと繭子だけが首を縦に振らないことに気付いた。
じっと動かず、落とされた視線は机の上に固定されていて――そんな彼女を見つめていると、ぱっとその猫のような丸い瞳がこちらを見つめ返す。
その色素の薄い瞳と見つめ合うのは3回目だった。
最初は6月公演、次は夏休みの練習日――相変わらずその表情はマスクで隠れていて、彼女の真意を読み取ることは難しい。
それでも、その静かな色の瞳の奥に確かな情熱を感じて、夏野は繭子から目が離せなくなった。
「まぁそうか……ちなみにLAST BULLETSも難しいよね、今の状況だと」
「――えっ、あ、はい」
三条に意識の外から話を振られ、夏野ははっと我に返る。
隣を見ると春原も何か考えているようだが、特に言葉を発することはない。
物理室内に再度沈黙が広がったその時――唐突に、放送を知らせるチャイムが鳴った。
『――こんにちは、文化祭実行委員会です。文化祭まであと3週間、皆さん準備は順調に進んでいますか?』
こんな放送、これまであっただろうか。
無論意図的ではないだろうが、ほぼスタートラインに立っている自分たちを揶揄するような言葉に夏野は小さくため息を吐いた。
当然そんなことはお構いなく、放送主は文化祭についての連絡事項を次々に伝えていく。
貸し出し用備品の置き場所、文化祭当日の対応事項、後夜祭の開始時間など……視界の中では三条の指示で3年生の男子がペンを走らせていた。
――そして、最後に告げられた連絡事項が、またもや軽音楽部を揺るがせることになる。
『最後にビッグニュースです。今年の文化祭では、なんと3年A組鬼崎達哉さんがリーダーを務めるKing & Queenのライブが行われます! 学外のお客さんの来場数も大幅な増加が見込まれる今年の文化祭、是非全校で盛り上がっていきましょう!!』




