track8-4. 嵐は秋に巻き起こる -The Storm Rises in Autumn-
翌朝、亜季はいつもより早めに登校していた。
腕を吊っているからか、ちらちらと周囲の視線を感じる。
なんだかいたたまれない気持ちになっていると、後ろから走ってきた佳奈に「亜季、大丈夫!?」と声をかけられた。
学校への道すがら事の顛末を話すと、佳奈はとても心配そうな顔で話を聞いてくれる。
話していると気が紛れて、亜季は友人の存在を心からありがたいと感じた。
「亜季ものすごく頑張ってたのに――こんなのってないよ」
一通り話を聞き終えた佳奈が悲しそうに、ぽつりと言う。
亜季は心の中でぐっと口唇を噛み、思いを押し止めた。
「……ありがとう、佳奈。でも、こうなっちゃったものは仕方ないから」
そう言いながら、胸の中に澱が溜まっていくのを感じる。
――本当は、「仕方ない」なんていう一言で済ませたくはなかった。
でも、そうやって自分に言い聞かせるしかない。
それよりも、夏野たち他のメンバーに迷惑をかけたことが一番気にかかっている。
夏野は心配しないようにと言ってくれたが、本番まであと3週間しかない。
一体どうするつもりなのだろう。
一人物思いに沈んでいたその時、隣を歩く佳奈が「えっ?」と声を上げる。
慌てて意識を引き戻すと、目の前の友人の表情が固まっていた。
何事かと思ったその瞬間、背後から「おい」と声が響く。
――振り返ると、そこには冬島康二郎が立っていた。
「夏野から聞いた。お前通りすがりのばあちゃん助けたんだって? すげーじゃん」
亜季と冬島は校庭のベンチに座っていた。
冬島が自販機で買ったオレンジジュースを亜季に渡そうとしたところで、「あ、悪ぃ」とストローを挿す。
差し出されたジュースを受け取ったあとで、亜季は俯いた。
「……すみません、迷惑かけて」
「あ? 別に迷惑じゃねぇよ。今練習してる曲は冬公演でやるし」
「――え?」
想定外の言葉に思わず顔を上げる。
視界の中の冬島は、涼しい表情でいちごオレを飲んでいた。
「だから、文化祭公演は新しい曲やるわ。折角いい感じに仕上がってきたし、今の曲は冬公演でおまえとやった方がいいだろ」
「え、でも、皆練習してきたのに……このタイミングで演奏曲変えるんですか?」
しどろもどろになりながら問いかけると「3週間もありゃあお釣りが出るわ」と軽く笑い飛ばされる。
そして、冬島は少し意地悪そうな笑みを浮かべた。
「それとも何――おまえ、俺らができないとでも思ってんの?」
「いえ、できるとは思いますけど」
そう反射的に返してから、慌てて口を押さえる。
すると、冬島が得意げに「だろ?」と頷いてから――真剣な表情で亜季の瞳を見つめた。
そのまっすぐな眼差しに、思わず息を呑む。
「そう、俺らの腕を一番よくわかってるのはおまえだろ。とにかく余計なことは考えないで、ちゃんとその怪我治せ――で、俺らのステージは安心して観てりゃいい。むちゃくちゃかっこいいリズム刻んでやるから、せいぜい俺に惚れないよう気を付けるんだな」
そこまで言って、目の前の冬島はにやりと笑い――そして「あ」と声を洩らした。
「――いや、あれだ。今のは別におまえがいなくてもバンドが大丈夫とか、そういう意味じゃないからな。そりゃあおまえがいた方がいいけど、とにかく気にすんなってことだから……そこんとこ勘違いすんなよ!?」
少し焦ったように弁解する冬島を見ながら、亜季は密かに驚きを感じる。
――いや、意外ではない。
一人音楽室で練習する亜季の元を訪れた時も、6月公演前に夏野の不在に気付いた時も、夏休みにアイスを買ってきてくれた時も。
その外見と言葉遣いから威圧的に見えてしまうことは否めない。
しかし、思い返せば――冬島はいつも自分たちのことを気にかけてくれていた。
そう思い至りつつも、目の前で慌てる冬島の姿はなんだかおかしくて。
思わず小さく吹き出したその瞬間――亜季の心を覆っていた影が、静かに晴れていく。
「わかってますよ、そこまでは卑屈になってませんから」
「あぁ? マジか?」
「はい、大丈夫です」
――笑うと、視界が一気に拓けるから不思議だ。
そうだ、演奏は次の冬公演で頑張ればいい。
来たる文化祭では自分のできることを全力でやろう。
「冬島さん、ありがとうございます」
笑顔でお礼を言うと、冬島は「別に」と顔を背けジュースのパックをゴミ箱に投げ入れる。
ふと視線の先のその耳が少し赤く染まっているような――そんな気がした。




