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【完結】 夏鳥は弾丸を噛む -傷心のボーカリストは二度目の春を歌う-  作者: 未来屋 環


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track8-3. 嵐は秋に巻き起こる -The Storm Rises in Autumn-

 ***


 その日は亜季にとって長い一日となった。


 新学期が始まり、いつものように電車に乗って学校に向かう。

 文化祭の練習曲を聴きながら目を閉じると、無意識の内にベースラインを追っている自分がいた。


 LAST BULLETSを結成してからもう4ヶ月近く経っている。

 以前はこんな生活想像も付かなかった。

 いつか夏野がまた歌ってくれる日が来てほしいと願ってはいたが、まさか自分がそのバンドの一員になるなんて。


 ――なんか、幸せだな。


 亜季は一人静かに微笑む。

 常に近くにいながらも、夏野は亜季にとって特別な存在だった。

 かつて観客席から観ていた夏野と自分が同じステージに立っているなんて、今でも不思議に思う。


 確かに練習は大変だ。

 圧倒的に上手い他のメンバーについていこうと必死で弾いている内に、気付けば練習時間は終わっている。

 それでも、努力の甲斐もあってか6月公演の頃に比べると自分でも手応えを感じていた。

 まだすべての曲が完璧に弾けるわけではないが、このペースでいけば月末の文化祭でもきちんとした演奏ができるだろう。


 6月公演よりももっと大勢の前で夏野が歌声を披露(ひろう)する――そんな場面(シーン)を思い描き、亜季の心は満たされていく。

 そして同時に、一抹(いちまつ)の寂しさが脳裡(のうり)(よぎ)った。

 それは、小さい頃から夏野のことを見てきたからこそ(いだ)いた予感でもある。


 ――きっと、なっちゃんと一緒にいられるのもあと少しだから。


 夏野は春原(はるはら)と出逢って、変わった。

 夏休みの後半から二人で話しているシーンをよく見かける。

 その瞳には、以前にも増して熱い想いが宿っていて。


 夏野(かれ)はいつか亜季(じぶん)とは違う世界に行く――ついていけるのはここまでだ。

 だからこそ、LAST BULLETSのステージをどうしても成功させたい。


 そんな物思いに(ふけ)っている間に、高校の最寄り駅に到着した。

 改札を出ようとしたところで、この前夏野とコンビニの新作チョコの話題で盛り上がったことを思い出す。

 亜季は改札口を出ると、チョコを買うため高校とは反対側に歩き出した。


 放課後の練習の差し入れにしたら、きっと夏野は喜ぶだろう。

 冬島も何だかんだ文句を言いつつ食べそうだ。

 甘いものが苦手な春原は食べないかも知れないから、代わりにおせんべいでも買っていこう。


 三者三様のリアクションを思い描き、亜季は思わず吹き出しながら歩道橋を昇る。

 すると、亜季の脇をスーツ姿のサラリーマンがバタバタと足早に駆け上がっていった。

 危ないなぁと思った瞬間、数段上にいた老婦人に彼のバッグがぶつかり、そして――



「おばあちゃんが足を(ひね)って歩けなくなったから、一緒に救急車で病院に行ってきたの。ぶつかったおじさんも一緒に付き添ってくれて――色々治療受けたり、手続きしたりしてたら、こんな時間になっちゃった」


 隣を歩く夏野に、亜季は状況説明をしていた。


 時刻は17時前、普段であればスタジオで音合わせをしている時間だ。

 しかし、亜季の姿を見た夏野は即座に練習を切り上げ、亜季を家まで送ると言った。


 それを亜季は嬉しく――そして、心から申し訳なく思う。


 落ちてくる老婦人を咄嗟(とっさ)に支えようと伸ばした左手は、医者からは全治1ヶ月の捻挫と診断された。

 文化祭は今月末――そしてLAST BULLETSの演奏曲に右手一本で演奏できるレベルのものはない。


 夏野は黙っている。

 もしかして怒っているのだろうかと一瞬思い、即座に心の中で否定した。

 夏野がそんな性格でないことは亜季が一番よく知っているつもりだ。


 でも――きっと、がっかりしてる。


 沈黙が怖くなり、亜季は「あっ、あのね」と言葉を継いだ。


「包帯こんなぐるぐる巻きだけど、そんなに痛くないんだよ! ちょっと大袈裟(おおげさ)だよね」

「――亜季」


 ぽつりと夏野が(つぶや)く。

 それでも亜季は(しゃべ)り続けた。


「だからシンベ、またすぐ弾けるようになるはずだから。お医者さんは1ヶ月って言ってたけど、でももしかして――」

「亜季」


 夏野に袖を引かれ、亜季は足を止める。

 意を決して振り返ると、夏野が真剣な表情でこちらを見つめていた。


「――亜季は悪くない」


 その言葉を聞いた瞬間――亜季の両目から感情があふれ出た。


 ――何故、こんなことになってしまったのか。

 あんなに頑張ってきたのに、こんな形で夏野の足を引っ張ってしまうだなんて。


「――なっちゃん、ごめんね……」


 両目を押さえながら必死に声を絞り出すと、ふと頭を優しい熱が撫でた。


「大丈夫だよ、亜季。今の俺がいるのは、亜季のお蔭なんだから」


 穏やかな声に、思わず顔を上げる。

 すると、夏野は優しく笑ってこう言った。


「心配しないで――今度は俺がなんとかする」

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