track8-1. 嵐は秋に巻き起こる -The Storm Rises in Autumn-
――思い返せば、嵐の気配はすぐそこまできていた。
track8. 嵐は秋に巻き起こる -The Storm Rises in Autumn-
昼休みの到来を告げるチャイムが鳴る。
夏野は愛用のCDプレイヤーを鞄の中から取り出し、音楽の世界へと旅立つ準備を始めた。
夏休みが明けて2日が過ぎ、クラスの雰囲気は少しずつ落ち着いてきている。
月末の文化祭公演まではもう1ヶ月を切っていた。
去年の今頃は何をしていたっけ――昼食のパンを齧りつつ、夏野は曲に浸りながら思いを馳せる。
当時帰宅部だった夏野は、仲の良いクラスメートたちとたまに遊びに行ったり、単発のアルバイトをしたりしながら過ごしていたはずだ。
しかし何とも記憶は遠く朧気で、まるで違う世界での出来事のように思える。
――それだけ、この高校2年生の夏休みは色濃いものだった。
鬼崎に連れられてスタジオに行った帰り道、春原と共にプロのミュージシャンをめざすことを決めた。
以降、バンド練習の日以外も二人で曲作りに励んでいる。
作詞をしたのもこの夏休みが初めてだ。
「歌うひとが歌詞を書く方が、想いは届きやすいと思います」と春原が言うので、見様見真似だが必死で言葉を探しては詞を紡いでいる。
LAST BULLETSの練習も順調で、合宿には行かなかったものの、日々のスタジオ練習の成果か完成度は上がってきていた。
残りの期間で仕上げていけば、当日は6月公演を超えるパフォーマンスができるだろう。
まさに音楽漬けの夏だ。
それが、夏野にとってはたまらなく幸せだった。
一度喪った音楽が自分の手に戻ってきたことが――それも、心が通じ合う素晴らしい仲間たちと共に。
こんな日が来るなんて、あの頃の自分には想像もできなかった。
イヤホンからは『Bite the Bullet』――春原と初めてセッションした曲が流れてくる。
思えばすべてはここから始まった。
夏野は満たされた気持ちで静かに目を閉じる。
――その時、ポケットに入れていた携帯電話が震えた。
取り出してみると、春原からの着信だ。
何かあったのだろうか――イヤホンを外して電話に出る。
「もしもし?」
「あ、夏野さん。お昼休み中にすみません」
春原の少しくぐもった声がした。
その声色に微かな違和感を覚えて、夏野はCDプレイヤーの電源を落とす。
「あの――今から物理室まで来られますか?」
物理室のドアは閉まっていた。
中から、何やら騒がしい声が聞こえてくる。
そういえば、今日は文化祭公演のタイムテーブルを決めると春原から聞いていた。
特に演奏順にこだわりもないので、他バンドとの話し合いは春原に任せている。
しかし、電話の先の春原の声からは困惑の色が滲んでいた。
ノックをしてみても、議論が白熱しているのか全く反応がない。
仕方がないので、夏野は意を決して物理室のドアを開けた。
瞬間――室内に存在するすべての目がこちらに向けられる。
中には、春原と部長の三条、1年生バンド鈍色idiotsのギターボーカル御堂、Cloudy then Sunnyのボーカル香織、そして1年生の時夏野のクラスメートだった同級生吉永と、3年生の鬼崎がいた。
――いや、吉永?
夏野の視線が鬼崎から、その細面で穏やかそうな男子に戻る。
あまりクラスでも目立つタイプではない彼が軽音楽部所属ということを、夏野はこの時初めて知った。
「夏野さん、急にすみません」
駆け寄ってきた春原のお蔭で逸れた意識が戻る。
「(何だか面倒なことになっています)」
その囁きに頷き、夏野は春原と共に手前の席に座った。
二人が腰を下ろしたのを見計らって三条が咳払いをする。
「夏野くんが来たからもう一度話を整理するね。今日は文化祭公演のタイムテーブルを決めるために、各バンドの代表メンバーに集まってもらった。今軽音楽部に所属するのは6組――3年生の私たち『takoyaki』と鬼崎のソロ、2年生の『ペリドット』、1年生の『鈍色idiots』と『Cloudy then Sunny』、そして多学年構成の『LAST BULLETS』。軽音楽部が使えるのは視聴覚室のみで、文化祭が行われる10時から17時の間でタイムテーブルを組まなきゃいけない。だけど――」
「――さっきも言った通りだよ。僕は出ないから、他のメンバーが僕の枠を使えばいい」
鬼崎がきっぱりと断言した。
三条が頭を掻きながら再度口を開く。
「だから何で? 鬼崎は軽音楽部所属でしょ。これまでも出てたし、それで集客できていた一面もあることはわかっているよね。文化祭は来年の新人へのPRにもなるし、そもそも集客数が少ないと部費の予算だって削られるんだよ」
部費の件は、夏野にとって初めて知る事実だ。
隣を見ると、春原も神妙な顔をしている。
確かに周囲のクラスメートたちも文化祭準備にはかなり熱が入っていた。
単純に2年生が各部の中心メンバーだからとだけ思っていたが、まさか文化祭の集客が部費に直結していたとは。
軽音楽部の細かい収支状況はわからないものの、学校側で所有する楽器のメンテナンスにも当然費用はかかるであろうし、今は楽譜の購入にも補助が出ている。
それらが削られるとなると、学生たちにとっては死活問題だ。
「かつてうちの部の集客数ランキングは下から数えた方が早くて、予算も全然もらえなかった。それが鬼崎の入部と共に順位が上がり、一昨年は5位、去年はTOP3までいった。お蔭さまでこうして才能豊かな後輩たちも入ってきてくれて――それなのに、何でいきなり今年は出ないなんて話になるのさ」
部屋中の視線が鬼崎に集まるが、彼は顔色一つ変えることなく黙っている。
そのまま無音の時が流れたが、それを終わらせたのは夏野だった。
「――もう決まったことですか?」
鬼崎が夏野を見る。
その表情から彼の思いを読み取ることはできないが、夏野は意を決して続けた。
「鬼崎さんにも事情があると思うので、決まったことであれば仕方ないとは思います。でも――せめて理由くらい教えてもらった方が、ここにいるメンバーも納得できると思いますけど」
再度沈黙が場を支配する。
次にそれを打ち破ったのは、鬼崎の小さな笑い声だった。
「随分と物分かりがいいね――そう、これはもう決定事項だよ。後戻りはできないし、理由も残念ながら言えない。それに、僕がいなくたって大丈夫でしょ」
注がれる視線をものともせず鬼崎が立ち上がり、そのまま物理室を出て行こうとして――最後にこちらを振り向く。
「まぁTOP3は難しいかも知れないけど、5位くらいは死守してよね。僕も陰ながら応援してるよ」




