track7-8. サマーデイズ・ラプソディー -Summer Days Rhapsody-
――そして、夏野と春原は駅までの道を二人で歩いている。
家まで送ると言う越智の申し出は、丁重にお断りした。
スタジオには今頃プロデューサーやスタッフたちが集まっているだろう。
直前まで自分たちもそこにいたはずだが――夏野は夢を見ていたかのような心持ちで夜の道を歩いていた。
当の春原は一言も発さず、夏野の後ろをついてくる。
あのあと少し機嫌を悪くした鬼崎だったが、少なくともソロ部分のメロディーは春原が弾いたものを推すつもりだと言っていた。
たとえ春原に対する心証が悪くとも、優れた音楽には真摯である――今日の一連のやりとりを経て、夏野の中には鬼崎への一種の信頼感が生まれていた。
そして、夏野は春原に確認しなければならないことがある。
「――なぁ、春原」
背後の春原に声をかけ振り返ると、春原は少し離れた位置で足を止めていた。
「なんで鬼崎さんの誘い、断ったの? プロになりたいって言ってたじゃん」
春原は黙ったまま立っている。
こちらを見つめ返す眼差しは、まるで悪戯を責められた子どものように意固地な色をしていた。
本当に不思議なやつ――夏野はふっと小さく笑う。
そんな夏野の様子を見て、春原がおずおずと口を開いた。
「……夏野さんに、ちゃんと言ってなかったんで」
そして、真剣な眼差しで続ける。
「俺は、単にプロになりたいんじゃなくて――夏野さんと一緒に音楽をやっていきたいんです」
――それが、夕方言おうとしていたことか。
夏野は純粋に嬉しかった。
自分を音楽の世界に連れ戻してくれた春原が、真剣にそう考えてくれている――それだけで身体の奥から歓びがあふれるようだ。
しかし、その一方小さな不安が顔を出す。
――何故、春原は俺が良いんだろう。
確かに音楽の趣味は合うし、これまで付き合ってきた限りでは相性も悪くないと思う。
しかし、プロになろうと努力する春原が何故夏野を選ぶのか――それだけの自信と確信を夏野は持ち合わせていなかった。
『――ヘタクソ』
6月公演の成功で忘れかけていた佑の声が頭の中でリフレインする。
夏野はぐっと口唇を噛んだ。
もう、俺はあの時の俺じゃない――そう言い聞かせて深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
震えそうになる吐息を整えながら、ゆっくりと目の前に立つ春原を見た。
春原はまっすぐにこちらを見つめている。
その眼差しに、揺らぎはない。
奥にあるのは、まさしく自分に対する絶対的な信頼感だ。
その瞳に見つめられながら、夏野は自分を包む不安が少しずつ溶け出していくのを感じた。
それと共に、思い出す。
純粋に音楽を楽しんでいた頃の――行き場のない熱がじわりとその身を灼く感覚を。
「――ありがとう」
夏野は決意した。
どうなるかはわからない――でも、諦めたくない。
もう二度と自分を見失うのは、嫌だった。
そう、今こそ――『やるしかない』。
「いけるところまでいこう――俺も春原の隣で歌いたい」
***
スタジオには続々とスタッフが集まってきている。
鬼崎達哉は楽屋で先程録った春原の音源を聴いていた。
文句のない完成度だ、恐らくこのメロディーはそのまま本番でも使えるだろう。
――それ故に、勿体ないと思う。
この音楽業界を生き延びるのは、たとえ優れた実力を持つ者であっても至難の業だ。
運がなければそもそも日の目を見ることすらなく、消えて行ったミュージシャンは星の数程存在する。
だからこそ、巡ってくるチャンスを絶対に逃してはならないのだ。
それなのに。
――何故、君は夏野に固執する?
確かに夏野には圧倒的な才能がある。
歌唱力だけかと思いきや、先程の春原の問いに対するコメントを聞く限り作曲センスも悪くはない。
磨けば光る無限の可能性を秘めている――口惜しいがそう認めざるを得なかった。
それでも、達哉には理解ができない。
「誰かと一緒に音楽をやりたい」――そんな理由で目の前のチャンスをみすみす見逃すなど、あってはならないことだ。
消化しきれない思いを一人巡らせていると、コンコンとノック音がして越智が入ってきた。
「おつかれさま。コーヒー持ってきたけど、飲む?」
「うん、そこ置いといて」
越智はテーブルにコーヒーを置き、そのまま達哉の隣に座る。
いつもならすぐに出て行くはずなのに――達哉は怪訝そうに越智を見た。
「――何か用?」
「いや、残念だったなぁと思って。達哉くん、あの子のこと買ってたもんね」
笑顔で越智が言う。
その真意を捉えかねた達哉は、先程の消化不良もあいまってあからさまに不機嫌な顔をした。
すると、越智が穏やかな笑みを浮かべたまま達哉の肩に手を載せる。
「まぁまぁ、そんな顔しないで。きっと彼らは同じ道を選ぶと思うよ。早いか遅いかの話で」
「――どういう意味?」
「そのままの意味だよ。夏野くん――だっけ。彼、達哉くんと春原くんのやり取りをすごいカオで見てたよ」
達哉の眼差しが鋭さを増した。
そのリアクションを想定していたかのように、越智が飄々と続ける。
「二人を見る視線が、こう、なんていうか――『俺を仲間外れにするな』って燃えているみたいでさ。それなのに口元は笑ってるんだよ。あの演奏を聴いてあんな表情ができるなんて――彼もよっぽどだね」
その言葉を黙って聞いていた達哉は、ようやく「そう」とだけ答え、コーヒーに手を伸ばした。
――そして、ふと思い出したように口を開く。
「――ねぇ、『あの話』ってまだ生きてる?」
達哉の発したその言葉に、越智が目を見開いた。
「うん、正式回答はしていないから――でも、達哉くんは断ると思ってたよ。そりゃあ実現すれば社長も高校サイドも喜ぶだろうけど……もしかして、気が変わった?」
投げかけられた問いには答えず、達哉は越智から視線を逸らす。
その眼差しには、達哉にしては珍しく熱が宿っていた。
「うん、『あの話』進めていいよ――今度は本気でやるから」
track7. サマーデイズ・ラプソディー -Summer Days Rhapsody-




