track7-3. サマーデイズ・ラプソディー -Summer Days Rhapsody-
「あ……練習中邪魔してごめん。でもそろそろ時間も時間だから」
夏野がそう言うと、御堂は長く伸びた前髪の隙間からじっと夏野を見つめ返す。
その眼差しには静かな怒りの色が見受けられ、夏野は思わず口を噤んだ。
暫しの沈黙の後、御堂はようやく「――練習し足りないんすよ」とぼそりと呟く。
「ギタリストが抜けたんで、俺がその分弾かないといけないし」
『そういえば、知ってる? 鈍色idiots、ギターの子辞めちゃったんだって』
6月公演の打上げの場で亜季が話していたことを夏野は思い出した。
成る程、辞めたギタリストの分を御堂がカバーしなければならないということか。
彼の全身を包む刺々しい空気感は、まるで自身を取り巻く状況すべてに対する憤りのようにも思えた。
「……そっか」
かける言葉が見付からない夏野に対し、御堂が苛立ったように口を開く。
「わかったなら、さっさと出て行ってください」
敵意を隠そうともせず、彼は早口で続けた。
「まぁ、恵まれてるあんたには何もわからないだろうけど。才能もあって仲間もいて、鬼崎さんから名前だって覚えられてて、俺には――」
そして、ぽつりと呟く。
「――俺には、何もないんだよ」
御堂の眼差しは厳しいままだったが、その一方で彼の姿はどこか脆く、あと少しバランスが崩れてしまえば一気に瓦解してしまいそうだった。
――あぁ、そうだ。
夏野はその姿に見覚えがある。
それはまるで、すべてを喪い、逃げることしかできなかった――かつての自分のようだった。
「――俺にも、なかったよ」
思わず言葉が洩れる。
御堂が「何を……!」と言いかけ、そして夏野の様子を見て言葉を飲み込んだ。
今自分はどんな表情をしているだろう――それすらわからず、夏野は続ける。
「何もかも上手くいっていると思ってた。でも、実際そう思ってたのは俺だけで、あの日あっという間にすべてが崩れ去って――俺はただ逃げることしかできなかった」
御堂からすれば、夏野が何のことを言っているのかわけがわからないだろう。
それでも、目の前の彼は黙ったまま夏野の言葉を聞いていた。
「今になって思い返してみれば、俺にもできることがあったんじゃないかって、そんなことばかり思うよ。結果は変わらなかったかも知れないけど、それでも何もできなかったから――だからきっと、今でもあの頃のことを思い出す度に胸が疼くんだ」
『――ヘタクソ』
夏野の脳裡に、こちらを冷たく見据える佑の顔が過る。
こんな表情が最初に思い出されてしまう程に、二人の距離は遠く離れてしまった。
最後のシーンがそうであっただけで――それまでにはかけがえのない思い出がたくさんあったはずなのに。
「でも、御堂くんはそんな俺とは違う。自分では気付いてないかも知れないけど、御堂くんはすごいよ。少なくとも俺にはギターの弾き語りなんてできないし、鈍色idiotsには他のメンバーだっているじゃない。鬼崎さんはああいう人だから気にしなくていいと思うし――」
そこまで言いかけ、夏野は慌てて口を閉じた。
何を偉そうな――きっと、そう思わせてしまっただろう。
反省しつつ御堂の反撃に備えて心の準備をしていると――意外にも、彼は無言のままこちらを見つめ返している。
そして暫く経ったあと、御堂は言った。
「――今日は帰る」と。
スタジオを出て携帯を見ると、春原から何件も着信が残っている。
まずい――そう思って慌てて折り返すと、どうやら方々を探し回っていたらしい。
スタジオにいることを告げた数分後、春原は飛ぶように戻ってきた。
「御堂といたの? 夏野さん、何もされてない?」
「なんだそれ。大丈夫だよ」
心配そうな春原の表情がおかしくて、夏野はつい笑ってしまう。
言ってはあれだが、まるで犬のようだ。かぶりもののセレクトはそこそこ合っていたんだろう。
――それなら俺は、ニワトリか。
まぁチキンと言われてしまえばその通り、否定もできない。
お詫びに夕食を奢ると言うと、春原が遠慮がちにチェーンの定食屋を挙げたので駅前の店に入る。
一昨日の打上げの時も思ったが、春原は食べ盛りの男子高校生にしては食の好みが渋い。
春原は焼き魚定食……俺は腹も減ったしがっつりいくか――そう思案して夏野は焼肉定食を選ぶ。
「文化祭公演なんだけど、オリジナル曲とかどうかなと思って」
一通り食べ終えたところで、春原が話を切り出した。
春原は夏野と二人で話す時、たまに敬語を使わないことがある。
意図的かどうかはわからないが、夏野にとって特段気になるものでもないので注意したことはない。
「オリジナル? いいけど、俺作曲したことないや」
「曲はもう作ってあります」
「えっ、おまえ作曲もできるの?」
驚いて夏野が問い返すと、春原は「……多少」と、少し恥ずかしそうに頷く。
へぇ、と夏野は感嘆の声を上げた。
「すごいじゃん。いいよ、やろうやろう」
夏野の答えを受けて、春原が鞄からMDを取り出す。
話をよく聞いてみると既に5曲完成しており、その中から夏野が選んだものを1曲やりたいとのことだった。
あまりの準備の良さに、夏野は舌を巻く。
「夏野さんの音域に合わせて作ったから、多分どれもいけると思うんだけど」
春原が曲のコンセプトを話し出した。
聞いている内に、先程の御堂との会話の中でふと思い出された佑の顔が薄れていく。
――そうだ。
すべてを喪くしたと思っていた。
そんな自分をまたこの世界に引き戻してくれたのは、亜季であり、冬島であり、そして――春原だ。
「――どうかした?」
黙り込んだ夏野の様子に気付き、春原が声をかけてくる。
「いや……俺って確かに恵まれてるよなぁと思って」
夏野が素直にそう答えると、春原は「何ですか、いきなり」と、少し嬉しそうに笑った。




