track7-2. サマーデイズ・ラプソディー -Summer Days Rhapsody-
「うん。8月のお盆前くらいに3泊4日だって。冬島さん行ったことあります?」
「俺はねぇな。バンド組んでないから他の奴と練習する必要もなかったし……おまえらが行きたいなら別に行ってやってもいいけど。夏野、どうする?」
「うーん……」
思案する振りをしながら、夏野は春原の様子をちらりと窺う。
春原は目線を下に向けたまま上げようとしない。
しかし――その瞳には動揺の色が浮かんでいるように見えた。
瞬時に、夏野はへらりと笑顔を作る。
「あっ、俺その時期バイト入れちゃってました。忘れてた」
「バイトかよ、それじゃあ仕方ねぇな」
「そうなんだ、そしたら私バレー部の方の合宿行こうかな――あ、パフェ来た!」
「まだ食うの? おまえ細いのによく食うな」
「え、冬島さんも一緒に食べます?」
「はぁ!? いらねぇし!!」
「じゃあなっちゃん、一口あげる」
「お、サンキュー」
「……夏野、おまえ」
「え、冬島さんも欲しいんですか?」
「だからいらねぇっつうの!」
そんなパフェを巡る攻防を続けている内に合宿の話題は終わった。
夏野がふと隣に座る春原を見遣ると、彼はドリンクバーで取ってきた緑茶を静かに飲んでいる。
その顔が、夏野には少しほっとしているように見えた。
***
その週の金曜日、LAST BULLETSは早速文化祭公演に向けて演奏曲の練習を始めた。
前回は洋楽と邦楽1曲ずつだったが、今回は他バンドとの差別化を図るため洋楽の比重を増やすことに決める。
バンド内で最も一般的な感覚を持つ亜季が好きな曲も織り交ぜながら、今日の練習は終了した。
「夏野さん、今日少し二人で話したいことがあるんで、夕飯一緒にどうですか」
練習が終わり帰ろうとしたところで、春原が夏野を呼び止める。
その眼差しには真剣な色が宿っていて、夏野はすぐに「あぁ、いいよ」と答えた。
嬉しそうに表情を綻ばせる春原を見て、夏野もまたほっと胸を撫で下ろす。
冬島や亜季に見せないその笑顔は、夏野にとって春原からの信頼の証に思えた。
「じゃあ俺ら先に帰るわ」
「なっちゃん、また来週」
並んで帰る冬島と亜季の背中を見送っていると「スタジオの鍵返すついでに教室寄ってくるので、ここで待っていてください」と春原も足早に去って行く。
手持ち無沙汰になったので冬島に借りた音楽雑誌を読もうと思ったその時、反対側のスタジオのドアが開き、中から男子生徒が二人出てきた。
「――あ、夏野さん! おつかれさまです」
一人が夏野の存在に気付くと、もう一人も嬉しそうな顔で会釈する。
6月公演以降、夏野は校内で話しかけられることが増えた。
あの日鬼崎に名前を呼ばれたことで、自然と名前が広まってしまったらしい。
なお、今挨拶をしてきた二人は1年生バンド鈍色idiotsのメンバーだ。
確かベースとドラムだったな――そう記憶を手繰り寄せていると二人が話しかけてくる。
「そういえばLAST BULLETSも金曜練習になったんですよね。絡みがあるわけじゃないですけど、一緒の曜日でなんか嬉しいです」
「そうなんだよ、ラッキーなことにシフト増やしてもらえてさ」
「まぁ、鬼崎さんは学校のスタジオ使う必要ないですもんね。元々シフト入っているのが意外だったっていうか」
「――え、この時間、元々鬼崎さんが使ってたの?」
初耳だった。
そういえば6月公演の翌週、練習終わりに冬島から「これからは金曜も使っていいらしいぞ」と聞いただけで、元々誰の練習シフトかなど考えもしなかった。
「はい。まぁ俺たちもここで鬼崎さんに逢ったことないんで、実際に使っていたのかわかりませんけど」
「そうなんだ……」
夏野の脳裡に6月公演の際の鬼崎の表情がよみがえる。
あの日鬼崎は「夏野にも興味が出てきた」と言っていた。
しかし、口元は笑っていたものの眼差しは厳しく――その表情はどちらかといえば『敵意』に満ちていたように思う。
それなのに、何故彼は夏野たちにシフトを譲ったのだろう。
まぁ、考えても鬼崎の魂胆などわかるはずはない。
夏野と鬼崎はどう考えても違うタイプの人間なのだ。
相手は天才高校生ミュージシャン、自分はようやく立ち上がりかけた素人ボーカリストなのだから。
「じゃあ俺ら帰るんで。おつかれさまです」
「うん、おつかれ」
帰っていくその後ろ姿を見送りながら、ふと夏野は二人がスタジオの鍵をかけていないことに気付いた。
慌てて呼び止めようとしたところで、二人が出てきたスタジオから小さく音が漏れてくる。
どうやらまだ中に誰かいるようだ。
手元の腕時計を確認すると17時20分――部活終了時刻の17時はとうに過ぎている。
「金曜日は私の貴重な自由時間なんだ。小さい子どもがいると部屋におちおち楽器も置いておけないからな。バンドを組むような仲間もいないし、一人でカラオケに行ってベースを弾くのが今の一番の愉しみだよ」
顧問の坂本の台詞が思い起こされた。
軽音楽部に入る前はただ生真面目な教師だと思っていたが、たまたま入部届を出そうと物理準備室に行った際、机の上に往年の洋楽ロックバンドLIPSのアルバムを発見した時の驚きは今でも覚えている。
その時の坂本の不覚を取ったような苦々しげな表情も印象的だった。
しかし、それから夏野が逢う度に音楽談義を仕掛けるようになると、坂本も少し気を許してくれたのか、今では準備室の奥に隠しているベースまで見せてくれる間柄になった。
LIPSのベーシストはその界隈では有名で、坂本はそのシグネチャーモデルを所持している。
有名ミュージシャンのシグネチャーモデルともなると金額もそれなりで、驚く夏野に坂本は確かな熱量でそのベースの素晴らしさについて語り倒してきた。
音楽好き同士であれば立場や歳の差など関係ない――夏野は坂本と出逢うことで、また一つ音楽の奥深さを知ったのだった。
そんな坂本の貴重な金曜日だ、できるだけ早く解放してあげたいと思う。
夏野は決意し、音が漏れ出てくるスタジオの扉を開けた。
すると、ギターの練習に励む一人の少年の背中が視界に入る。
彼は夏野が入ってきたことに気付く様子もなく、ギターを懸命に弾き続けていた。
その必死ささえ滲む背中に違和感を覚えつつ、夏野は少年の肩をとんとんと指で叩く。
びくりと反応して振り返ったその少年は――鈍色idiotsのギターボーカル、御堂だった。




