track6-6. そして彼は『女王』になった -Thus He Became the "Queen"-
「――はい、着いたよ」
意識の外から声が響き、はっと達哉は覚醒する。
いつの間にか眠ってしまっていたようで、顔を上げると運転席の越智が笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「今日は本当におつかれさま。達哉くん、ゆっくり休んでね」
達哉はまとまらない思考のまま傍らに置かれた鞄を手に車を降りる。
そのままマンションに入ろうとして――思い直し運転席の窓をノックした。
窓越しに達哉の姿を確認した越智が慌てて窓を開ける。
「どうしたの、忘れ物?」
「――いや、その」
「……達哉くん?」
不思議そうな顔でこちらを見る越智に、達哉は小さく呟いた。
「……今日はありがとう。助かった」
越智は驚いたように目を見開く。
「……これはびっくり、明日は雪かな」
「はぁ?」
不機嫌そうな表情を作る達哉を見て、越智は悪戯っぽく笑った。
「冗談だよ。僕、敏腕マネージャーですから」
「……それはどうだか」
「まぁとにかく、今日はおいしいものでも食べて早く寝なよ。いい夢が見られるよう祈ってる」
子ども扱いして――いつもならそう言い返すところだが、越智の穏やかな眼差しを前に、今日は何も言わないでおこうと思った。
越智の車が走り去るのを見届けて、マンションに入る。
ポストに何も入っていないことを確認してから、エレベーターで最上階まで昇り部屋の鍵を開けた。
室内は真っ暗で、その暗闇はここの住人が達哉しかいないことを物語っている。
達哉はそのまま何をするでもなく暗がりを見つめた。
すると、過去の記憶が映画のように闇の中で浮かび上がる。
錯覚だ――そう思いながらも、達哉はそこから目が離せない。
両親の夢は家族で演奏会を開くことだった。
兄は幼い頃からバイオリンを習い、めきめきと頭角を現していった。
母は幼い達哉に必死でピアノを教え込んだ。
――達哉、今日の発表会の出来は何?
周りが上級生だから敵わないなんて何の言いわけにもならないでしょう。
――達哉、何そのCDは。
それはあなたが聴く必要のないものよ、返してらっしゃい。
――達哉、練習もせず何をやっているの。
作曲? そんなことより課題曲は弾けるようになったの?
毎日毎日途切れることなく、母は達哉に自分の理想を押し付けてくる。
そんな母に対して父も兄も何も言わなかったのは、彼女の理想が彼らの理想でもあったからだろう。
彼らが望んだのは、達哉がピアニストとしてクラシックの世界で大成すること――それ以外のなにものでもない。
だから、達哉が違う音楽の道を歩むことは『逃げ』と捉えられ、罵倒された。
並み居る大人たちを打ち負かし、必死の思いで掴み取ったコンテストの優勝ですら、彼らにとって価値のあるものではなかったのだ。
それでも、達哉は音楽を愛していた。
たとえ今は家族に認められるものではなくても、達哉が密かに創り出した音楽はいつも彼と共に在った。
そして、いつかそれが理解してもらえる日が来ると信じていた。
――そんな淡い期待を打ち砕いたのは、あの日、保護者としてアーティスト契約に同席した母が洩らした言葉だった。
「――ねぇ、それに何の価値があるの? あなたはお兄ちゃんみたいな『天才』じゃないのに」
『天才』じゃない達哉の居場所は、あの家にはない。
達哉は中学卒業と同時に、事務所が用意したこのマンションに移り住んだ。
そこまで回想を終えた達哉は、部屋の電気を点けて鞄をリビングに置く。
洗面所で手を洗ってうがいをし、そのまま服を脱いで浴室に入った。
頭の中の雑念を追い払おうと、いつもより少しだけ長くシャワーを浴びる。
ドライヤーで髪を乾かす間も食欲が姿を見せる気配はまったくなく、達哉は夕食を諦め早々にベッドに潜り込んだ。
今日やるはずだった作業は明日に持ち越して、少しでも気力と体力を回復させようと、力なく目を瞑る。
――すると、生まれた暗闇の中に今度は夏野の顔が浮かび上がった。
小鈴と比べればまだまだ未熟で、実力差は明らかだろう。
しかし、一度聴いたら忘れられないインパクトを彼の歌声は持っている。
理論的な説明はできないが――あの歌声は確かに達哉の心を疼かせた。
そんな存在を、人はきっと『天才』と呼ぶ。
「――面白い」
気付けば、達哉は笑っていた。
まさかこんな身近な所にいたなんて。
音楽に貴賤はない。
天才が必ずしも正義とは限らない。
もし音楽に正義があるとするならば――限りなく多くの人々に受け入れられるもの、それこそが正義であるはずだ。
客寄せパンダ、大いに結構。
いくらでもやってやる。
そう――King & Queenが正義であり続けるために。
いつしか心を覆っていた影は晴れている。
そして達哉は満足した思いで、眠りの世界に落ちていった。
その男は他者の理解を求めず
ただ、自らの理想だけを追い求めた
その圧倒的な誇りと気品が
彼を彼たらしめると言わんばかりに
track6. そして彼は『女王』になった -Thus He Became the "Queen"-




